2024年9月11日

重陽の節句とアンディーウォーホルの菊 北岡技芳堂の絵画買取ブログ

重陽の節句とアンディーウォーホルの菊

 

皆さん、こんにちは。 一昨日は重陽の節句でした。菊の花を愛でるこの日、秋の深まりを感じながら、日本の伝統文化に思いを馳せる素敵なひと時を過ごされた方も多いのではないでしょうか。 重陽といえば、菊の花が象徴的ですが、今回は少し視点を変えて、ポップアートの巨匠、アンディー・ウォーホルが描いた「菊」の作品をご紹介したいと思います。 ウォーホルといえば、キャンベルのスープ缶やマリリン・モンローの肖像が有名ですが、彼は自然の美しさにも深い関心を寄せていました。ウォーホルの「菊」は、彼独自の色彩感覚とシンプルな形が見事に調和し、日本の伝統的な花である菊に、現代的な美の解釈を与えています。 重陽の節句に、伝統と現代アートが交差するこの作品を通じて、菊の新たな魅力を感じていただければ幸いです。秋の夜長に、ウォーホルの「菊」を眺めながら、少し違った視点でこの季節を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

アンディ・ウォーホル KIKU 菊

アンディ・ウォーホル KIKU

 

アンディ・ウォーホルの「KIKU(菊)」は、彼の日本文化への関心を反映した作品シリーズです。菊は日本では皇室のシンボルであり、長寿や高貴さを象徴する花として知られています。このシリーズでは、ウォーホルがポップアートの手法を用いて、伝統的な日本の花を現代的かつ鮮やかな色彩で再解釈しました。 ウォーホルは「KIKU」を1983年に制作しており、シルクスクリーン技法を用いてカラフルかつ大胆なデザインを生み出しています。彼の他の作品同様、シンプルなモチーフを反復しつつ、色彩の違いによって各作品に独自の個性を与えています。 ウォーホルの「KIKU」シリーズは、伝統的な東洋の美学と西洋のポップアートが融合した独特な作品で、現代美術においても高く評価されています。

 

 

アンディ・ウォーホル KIKU 菊

アンディ・ウォーホル KIKU

 

 

何故重陽の節句が菊なのか

重陽の節句に菊が関係しているのは、菊が古くから不老長寿や無病息災を象徴する花とされてきたためです。 重陽の節句は、中国から伝わった五節句のひとつで、奇数が重なる「陽」の日、特に最も大きな陽の数字である「9」が重なる9月9日に行われます。この日は、古代中国で「陽が重なる日」として非常に縁起が良い日とされ、日本にも伝わりました。特に菊が秋を代表する花として尊ばれたため、重陽の節句は「菊の節句」とも呼ばれるようになりました。 菊の意味と重陽との関連: 不老長寿の象徴: 菊は長寿を象徴する花であり、その香りや花弁に健康を守る力があると信じられていました。菊の花を浸した酒(菊酒)を飲むことで、邪気を払い、長寿や健康を願う風習がありました。 邪気を払う力: 菊は、浄化や再生の力があると考えられており、菊の花びらを浮かべた水や酒を飲むことで、心身を清め、病を予防するという信仰がありました。 このように、重陽の節句と菊の花は健康、長寿、繁栄を祈る日として結びついています。菊の花が持つ生命力や清らかさが、秋の深まりと共に大切にされてきた伝統です。

 

アンディ・ウォーホルの「KIKU」シリーズの今後の評価

 ウォーホルのポップアートにおける地位

アンディ・ウォーホルはポップアートの象徴的なアーティストであり、彼の作品全体が今後も現代アートの歴史において高い評価を受けることは間違いありません。「KIKU」は、ウォーホルが日本文化や自然のモチーフを取り入れた貴重な作品群の一つであり、彼の多様なテーマ探求の一環として特別な位置を占めています。

日本と西洋文化の融合

「KIKU」シリーズは、東洋と西洋の文化が交わる象徴として評価されるでしょう。ウォーホルが日本の象徴的な花である菊をポップアートの文脈で表現することで、国境を超えた芸術の普遍性が強調されています。このような文化的な融合は、グローバル化が進む現代においてますます評価されるポイントです。

装飾性と色彩の魅力

菊の形状や色彩の美しさは、視覚的に非常に魅力的であり、インテリアアートや装飾作品としての価値も高く保たれるでしょう。ウォーホルの大胆な色使いや抽象的なアプローチは、今後もファッションやデザイン業界でインスピレーションの源として扱われる可能性があります。

アジア市場での需要の増加

特にアジアの美術市場において、ウォーホルの「KIKU」シリーズは今後ますます高い評価を受けるかもしれません。日本、中国、韓国などの市場では、ウォーホルの作品がすでに非常に人気がありますが、日本文化に特に関連する作品である「KIKU」は、さらなる注目を集める可能性があります。

オリジナル性と限定性

ウォーホルの「KIKU」は、彼の作品の中でも比較的少数のシリーズです。限定された作品は、今後ますます希少性が高まり、コレクターや美術館にとって特に貴重なものとなるでしょう。

アンディ・ウォーホルの「KIKU」の今後の評価

総合的に見ると、アンディ・ウォーホルの「KIKU」シリーズは今後も高い評価を維持し、特にアジア市場での人気がさらに高まることが予想されます。また、文化的な意義や視覚的な魅力が評価されることで、現代アートの文脈でも重要な位置を占め続けるでしょう。

 

北岡技芳堂はアンディ・ウォーホルの絵画を高価買取致します。版画やシルクスクリーンなど、どんな作品でもお問い合わせください。

 

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2024年9月10日

ガンダーラの仏頭 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

ガンダーラ仏頭

 

ガンダーラ 石彫 仏頭

ガンダーラ 石彫 仏頭

ガンダーラ美術、石彫の仏頭を紹介します。

お写真の仏頭は、鼻の欠損がなく非常に優れた造形になってましてお顔がピシッと引き締まっております。

度々見かける仏頭は状態が悪かったり、何か魅力がなかったりであまり惹かれない作品もあります。

千差万別で、そこが古美術の面白い所ですが………。

何を選ぶかは本人次第ですね!

台の作りも非常に良く、箱いきも良いですので1級のコレクターさんがコレクションをされていたと思われます。

ガンダーラ美術は、古代インドとギリシャ・ローマ文化が交わるガンダーラ地方(現在のパキスタン北西部やアフガニスタン東部)で発展した仏教美術です。紀元前1世紀から紀元3世紀にかけて栄えたこの美術様式には、以下のような特徴があります。

1. ギリシャ・ローマ風の影響

ガンダーラ美術は、アレクサンドロス大王の東方遠征によるギリシャ文化の影響を強く受けています。彫刻の表現において、ギリシャやローマの彫像技術が取り入れられ、以下のような要素が見られます。

  • 写実的な人体表現:仏像や菩薩像の体が、筋肉の表現や衣服のひだの表現など、非常に写実的です。
  • 衣服のドレープ表現:ギリシャ・ローマ風のトガやヒマティオン(布を巻いた衣装)のような衣服のひだが、仏像にも詳細に彫り込まれています。

2. 初期仏像の制作

ガンダーラ美術は、仏像を初めて具現化した美術様式の一つとして知られています。それまでの仏教美術では、仏陀は主にシンボル(仏足石や菩提樹など)で表現されていましたが、ガンダーラでは仏陀の人間像が作られるようになりました。

3. ヘレニズムとインド的要素の融合

ガンダーラ美術は、ギリシャ・ローマ風の影響だけでなく、インドの伝統的な要素も併せ持っています。

  • 仏教のモチーフ:仏陀の生涯や過去世の物語(ジャータカ物語)を描いた浮彫や装飾が多く見られます。
  • 顔立ちや表情:仏像の顔立ちはギリシャ風の理想的な美しさを持ちつつも、穏やかで静かな表情を持ち、仏教的な静寂や瞑想を表現しています。

4. 石彫技術の発達

ガンダーラ地方では、灰色または青灰色の片岩や石灰岩を使用した石彫が中心でした。これにより、細部まで非常に精緻な彫刻が可能となり、衣服や髪型、表情などが非常に詳細に彫り込まれています。

5. 装飾的な背景や場面描写

浮彫や彫刻には、仏教の説話や儀式の場面が頻繁に描かれ、建築物や自然の風景が詳細に表現されています。これにより、単に宗教的な偶像としてだけでなく、物語を伝える手段としての役割も果たしていました。

ガンダーラ美術は、インド仏教と西洋文化が融合した独特の美術様式として、後のアジア全体の仏教美術に大きな影響を与えました。

 

 

ガンダーラ 石彫 仏頭

ガンダーラ 石彫 仏頭 横

多少欠損の部分もありますが顔の部分は痛みが少ないです。

上でも紹介しましたが、ガンダーラ美術は、仏像を初めて具現化した美術様式の一つとして知られています。

仏像の初期の彫刻です。

 

 

ガンダーラ美術は今後も評価

ガンダーラ美術は、古代の遺産として現代でも高く評価されており、今後もその文化的価値は保たれると考えられます。しかし、いくつかの課題と可能性を考慮すると、今後のガンダーラ美術の状況は次のように発展していく可能性があります。

1. 研究の深化と新発見

ガンダーラ美術に関する考古学的研究は、今後も続けられるでしょう。特に、現代の技術(デジタル考古学や3Dスキャン技術)を活用した調査によって、未発見の遺物や新たな遺跡が発見される可能性があります。これにより、ガンダーラ美術の理解がさらに深まり、その歴史的・文化的な文脈が明確になることでしょう。また、近年の研究はインドや中国、中央アジアとの文化的交流や影響関係についても注目しており、ガンダーラ美術が地域的にどのような役割を果たしたかがさらに解明されると考えられます。

2. 文化財保護の強化

ガンダーラ美術の遺物は、これまで紛争地帯(パキスタン北西部やアフガニスタン)に位置しているため、破壊や略奪の危険にさらされてきました。今後も、戦争やテロリズムによる文化財の破壊は懸念事項であり、国際的な協力によってこれを保護するための取り組みが一層強化されるでしょう。

国際的な組織(ユネスコなど)による文化財保護活動や、デジタルアーカイブの構築などが進むことで、ガンダーラ美術の遺産を未来に残す努力が続けられると予想されます。

3. 美術市場における価値の持続

ガンダーラ美術は、世界の美術市場でも高く評価されており、今後もその需要は続くでしょう。特に、アジアや中東の文化や仏教美術に興味を持つコレクターや博物館は、今後もガンダーラ美術を求めるでしょう。ただし、偽物や違法な取引のリスクが続くため、これに対する厳しい監視と規制が求められます。

4. 観光と教育の推進

ガンダーラ美術が所蔵されているパキスタンやアフガニスタンの観光業が発展すれば、その地の遺産に対する認知がさらに高まるでしょう。特に、仏教に関心のある国々(日本や韓国など)の旅行者にとって、ガンダーラ美術が観光の重要な目的地となる可能性があります。

また、ガンダーラ美術の展示や特別展が、世界中の美術館で開催されることで、教育的な価値も広がるでしょう。これにより、ガンダーラ美術の知識やその文化的背景が一般に浸透し、次世代にわたってその価値が守られていくと期待されます。

5. デジタル化と普及

近年のデジタル技術の発展により、ガンダーラ美術の作品がデジタルアーカイブ化され、インターネットを通じて世界中でアクセス可能になる可能性が高まっています。これにより、物理的なアクセスが難しい場所でも、研究者や一般の人々がガンダーラ美術を学び、楽しむ機会が増えるでしょう。

また、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)技術を使って、ガンダーラ遺跡や美術品をバーチャルに体験できる展示が増えることも期待されます。これにより、世界中の人々がガンダーラ美術をより身近に感じることができるでしょう。

まとめ

ガンダーラ美術は、今後も研究や保護活動、美術市場、教育、デジタル技術を通じてその価値が持続・発展していくと考えられます。国際的な協力や最新技術の活用が進む中で、より多くの人々にその文化的遺産が共有され、次世代に引き継がれていくでしょう。

 

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2024年9月9日

村井正誠の顔 北岡技芳堂の絵画買取ブログ

村井正誠の顔

本日は、当ギャラリー所蔵の村井正誠の作品を紹介致します。

額装もシンプルにして現代の空間にもあう、額装に私が変更いたしました。

最近は、額装をよりシンプルにした方がスッキリしてカッコイイと思います。最初に入っていた額装のままですとチョットダサく思えました。

村井正誠は、日本の洋画家であり、特に「顔」をテーマにした作品で知られています。彼は長年にわたり、顔の表現を追求し、その研究を通して「顔」というものが持つ深い意味や多様な感情を描き出そうとしました。村井は、顔を単なる外見的な要素として捉えるのではなく、個人の内面や存在の象徴として扱い、それが彼の作品に強く表れています。

村井の作品では、顔の形態そのものが抽象化され、時にはデフォルメされた形で表現されていますが、その中に潜む感情や人間性は非常にリアルかつ生々しいものがあります。彼にとって「顔」は、単なるポートレートの枠を超えたものであり、人間のアイデンティティや心の深層に迫る重要なモチーフでした。

また、彼は単に人間の顔だけではなく、複数の顔が融合したような表現を通じて、人間存在の多面性を表現しようとしました。これらの試みは、観る者に対して「自分とは何か」「顔とは何を意味するのか」という問いを投げかけます。

彼の作品は、見る者に感情的かつ哲学的な問いを投げかけ、顔を通じて人間存在そのものを考えさせるものとなっています。

 

村井正誠作 顔 3号

村井正誠 顔 3号 キャンんバス 油彩

年代の記入はないですがおそらく1970年代初頭の作品と思われます。

村井正誠の作品は、年代を経た作品ですので状態の悪い作品がわりとありますが、割れや汚れがなく状態は良好です。

ここまで抽象化されると顔に見えないですよね!きっと考え抜いた結果の末にこの様な表現になったのでしょう。

 

 

村井正誠が今後さらに評価される可能性は十分にあります。彼の作品や芸術活動には、現代的な視点から再評価されるべき多くの要素が含まれています。以下に、その理由を詳しく説明します。

村井正誠の今後の評価について

村井正誠が今後評価される可能性は、彼の独自の視点と芸術的探求に基づいています。特に、彼が追求した「顔」をテーマにした抽象表現は、現代でも普遍的であり、評価され続けるでしょう。以下に、その理由をいくつか挙げます。

1. 人間存在の深層を探るテーマ

村井が描いた「顔」は、単なる外見や個性を超えた、人間存在そのものの象徴でした。顔を抽象的に描くことで、彼は人間の感情や内面、さらにはアイデンティティの多様性を表現しようとしました。このテーマは、時代や文化を超えて共通の関心を呼び起こすものであり、現代でも多くの人に強い共感を与えるでしょう。

特に、村井が「顔」というモチーフを通じて、感情や精神の複雑さを視覚化したアプローチは、今後の美術界で再評価される可能性があります。彼の作品が提示する哲学的な問い「人間とは何か」という探求は、普遍的なテーマであり、常に観る者に深い思索を促します。

2. 抽象表現の深みと独自性

村井の作品は、顔をリアルに描写するのではなく、あえて抽象化することで感情や内面を表現しようとする点に独自性があります。この抽象表現の深みは、作品が単なる絵画の枠を超えた精神的な体験を提供します。特定の人物を描くのではなく、顔を通して「人間そのもの」を描き出すという試みは、村井独自の表現であり、これが評価される理由の一つです。

このような抽象表現は、作品を観る者に個々の解釈を与え、それぞれが自身の内面を投影する余地を作り出します。観る者は、村井の作品を通じて、自分自身の存在や感情、そして他者との関係性を再考することができるでしょう。

3. 孤高のテーマへの専念

村井正誠は、一貫して「顔」というテーマに取り組み続けました。このテーマへの一途な専念は、彼を特徴づける重要な要素です。多くの芸術家が様々なテーマやスタイルを試みる中で、村井は一つのモチーフに焦点を当て、その可能性を限りなく探求しました。このような姿勢は、今後の美術界で高く評価される可能性があります。

彼が「顔」というテーマに固執した理由は、その表面の形や個性を超えて、内面的な深層に迫ることにあったと考えられます。この徹底した探求は、他の芸術家にはない独自の視点を提示し、これが彼の作品の価値を高めています。

4. 感情の多層性と普遍性の表現

村井が顔に込めたのは、単なる感情表現にとどまらず、人間の多層的な存在感です。彼の描く顔は、時に異なる感情や内面が同時に存在するように感じさせるものであり、その多様な側面が評価される要因となります。顔の形態そのものを超越し、内なる世界を表現しようとした村井のアプローチは、他の芸術家とは異なる視点を提供します。

このような多層的な感情表現は、観る者に対して深い感情的なインパクトを与え、さらにその感情が普遍的なものであることから、幅広い層に共感されるでしょう。

5. 孤高の芸術家としての評価

村井正誠は、流行や外部の影響に左右されることなく、独自の視点とテーマに忠実であり続けました。このような芸術家の姿勢は、時間が経つにつれて再評価される傾向にあります。村井の「顔」に対する哲学的かつ精神的な探求は、現代美術の文脈においても重要な意味を持ち続けるでしょう。彼の孤高の芸術家としてのスタンスが、今後の美術史の中でさらに評価される可能性が高いです。

結論

村井正誠の作品は、人間の内面性や感情の複雑さに対する深い探求を示しており、その独自の視点は今後さらに評価される可能性があります。特に、顔を通じて普遍的な人間存在を描き出す彼のアプローチは、時代を超えて観る者に強い感銘を与えるでしょう。流行に流されないその一貫したテーマの追求は、孤高の芸術家としての価値を高め、今後さらに注目されると考えられます。

 

 

村井正誠 略歴

 

1. 幼少期から教育まで

  • 1905年9月10日、東京都に生まれる。
    • 村井は幼少期から絵に対する強い興味を持ち、その才能が早くから周囲に認められていました。
  • 1926年、**東京美術学校(現・東京藝術大学)**に入学。
    • 村井は洋画を専攻し、西洋美術の技法を学びました。この時期、日本の美術界は伝統的な日本画と洋画が交錯する時期であり、村井は西洋の影響を受けながらも日本の美的感覚を取り入れた独自のスタイルを形成していきました。
  • 1930年、東京美術学校を卒業。
    • 卒業後は、絵画制作に専念し、次第に二科展をはじめとする美術展に出品するようになります。

2. 初期のキャリア:戦前から戦後

  • 1937年、二科展に初出品。

    • 村井は戦前の日本において、具象絵画の画家として活躍を始めます。当時の二科展は、日本洋画界で重要な位置を占めており、村井もこの場で評価を得ることで、その後のキャリアの基盤を築きました。
  • 1940年代、戦時中は制作が困難な時期を迎えるも、戦後も絵画制作を続けます。

    • 第二次世界大戦後、日本は復興期に入り、芸術界も再び活気を取り戻していきます。村井もこの時期、具象的な作品を制作していましたが、次第に新しい表現方法を模索するようになり、抽象表現へと移行し始めました。

3. 抽象絵画への転換と「顔」シリーズ

  • 1950年代後半から1960年代、抽象画への転換が顕著に。

    • 村井は戦後の混乱から立ち直る中で、自身の内面的な表現を追求するようになります。この時期、具体的な形態や肖像に囚われない抽象的な表現に興味を持ち始め、「顔」というテーマを中心に新しい作品を生み出します。
  • 1960年代、「顔」をテーマにしたシリーズを展開。

    • 村井の「顔」シリーズは、人間の感情や内面を抽象的に表現する試みであり、彼の代表作となりました。彼は、具体的な人物の顔を描くのではなく、感情や精神性を象徴的に表現するために、顔の形状をデフォルメし、時に複数の顔を融合させる技法を用いました。

4. 教育者としての活動

  • 1968年多摩美術大学の教授に就任。
    • 村井は教育者としても活躍し、多摩美術大学で若手芸術家を育成しました。彼の指導は多くの学生に影響を与え、その教え子たちは後に日本の美術界で活躍しました。村井自身も教育を通じて、自身の芸術理念を次世代に伝えることに注力しました。

5. 晩年と最晩年の作品

  • 1980年代から1990年代、晩年も精力的に制作活動を続ける。

    • 晩年に至っても、村井の探求は止まることがありませんでした。彼の「顔」シリーズはさらに深化し、顔の抽象化が進むとともに、精神的な深みを増していきました。彼の作品は次第に、観る者に対して「人間とは何か」「顔とは何を象徴するのか」という哲学的な問いを投げかけるようになりました。
  • 1999年12月11日、村井正誠は94歳で亡くなりました。

    • 村井は、晩年まで精力的に創作活動を続け、数多くの作品を残しました。彼の死後も、彼の作品は日本国内外で高く評価され続けています。

6. 受賞と評価

  • 村井正誠は、二科展やその他の美術展で数々の賞を受賞しています。また、彼の作品は国内外の美術館で展示され、多くの美術評論家や観客から高い評価を得ました。

 

村井正誠は、時代背景と共にその独自の視点と哲学を持ち、抽象画家としての地位を築きました。彼の作品は、今後も日本美術史の中で重要な位置を占め続けるでしょう。

 

※北岡技芳堂では村井正誠の絵画作品を高価買取致しております。

 

 

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2024年9月8日

姫路城と007 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

姫路城と007

姫路城は政府の秘密工作機関の訓練所

戦闘時の衣装は忍者姿で手には刀と手裏剣

60年近く前の映画「007は二度死ぬ」は、物語そのものに加え、やや珍妙な日本の描かれ方が楽しめる作品です。

だいぶ昔に007は全部ビデオで見ましたが忘れました。もう1回みないとね!

ダニエルクレイグのジェームズボンドが最後になりましたがかっこよかったですね。

 

007は二度死ぬ ショーンコネリー

007は二度死ぬ ショーンコネリー

 

 

007は二度死ぬ ではトヨタ 2000gt がボンドカー

007は二度死ぬ ではトヨタ 2000GTがボンドカーだったのを覚えています。

TOYOTA 2000GTは発売前に話題となったのは、ボンドカーとして起用されたからです。

しかも市販車にはないオープンボディの撮影車2台を突貫工事で製作したらしい。

また、トヨタ博物館の収蔵車はハワイで発見されて日本に里帰りした事などで興味深い話が多いです。

主人公の英国人のジェームズボンドは、この日本人部隊と協力し国際犯罪組織と戦う。

今でも007シリーズは毎回、世界各地の名所が舞台になりますね。

次回の映画から新しいジェームズボンド七代目が登場するからどんなボンドか楽しみですね。

映画007は二度死ぬの作品では城や相撲、主人公が漁師に化けて住んだ村など、日本の美や文化に初めてふれた人は世界に多かったかもしれない。

犯罪者側の基地は映画では火山の地下だが、原作ではこちらも城という設定でした。

小説通りならどの城で撮影しただろうと想像が膨らみます。

城と忍者は今も外国人に人気が高いですね。

そんな日本の顔、姫路城が訪日客数の急増に揺れていて、外国人に高額な入場料を設定し建物の維持費などにあてられないかと議論になっている。

国籍などで分けるよりも市民と観光客で料金を変えてはどうかなど、さまさまな案が報じられている。

結論が出たら各地の観光施設がお手本にしては良いのではないか。

007の映画の姫路城ロケは手裏剣で塀に50カ所の傷をつけ、途中で撮影終了となりました。

 

【昭和四十一年(1966年)8月23日付 朝日新聞】

姫路城の白壁 手裏剣でキズ ”007”ロケ隊 、映画「007は二度死ぬ」の撮影隊が国宝姫路城内でロケ中、重要文化財の土塀に手裏剣で約五十カ所のきずをつけたことがわかり、姫路城管理事務所は二十二日、文化財保護委員会に報告するとともに、ロケ隊に一時撮影中止を命じた。昭和十三年、松竹ロケのとき火薬を使いすぎて重文の石ガキの一部をこわして以来の事故。 ロケは二十日から城内で始り、同管理事務所の調べによると、二十一日午後二時から約二十分間、備前丸から太鼓やぐらに通じる長さ約三十メートルの土塀の前で、板製の人形五個に忍者部隊五人が、約ニメートルの距離から八方手裏剣を投げる場面を撮影中、人形をはずれて幅、深さとも二、三ミリ食込み、なかには幅三センチ、長さ五センチ近く白壁をえぐりとったものもあった。

 

 

ジェームズボンドとボンドガール

ジェームズボンドとボンドガール

 

 

姫路城の土塀手 裏剣が外れて土塀に刺さったんでしょうね。

手裏剣が外れて土塀に刺さったんでしょうね。

 

 

姫路城の土塀 ここだけに当てたらセーフだったでしょうね。

ここだけに当てたらセーフだったでしょうね。

 

 

柔道着姿のジェームズボンド

 

【昭和四十一年(1966年)8月23日付 朝日新聞(夕刊)】

姫路城ロケを中止 『007』撮影隊が謝る 【姫路】007撮影隊の日本側製作担当者根津博さんは二十三日正午、姫路城管理事務所を訪れ、重要文化財の土塀を傷つけたことを謝罪するとともに、姫路城ロケを中止し、今後”城外”で小規模な部分ロケをしたいと、了解を求めた。 撮影は二十三日までの予定だったが、この日は前日に続く悪天候で撮影できなかった。しかし、必要なシーンはほぼとってあり、二十四日はスケジュール通り本隊は和歌山・那智へ向う。

 

 

世界文化遺産 姫路城

世界文化遺産 姫路城

「国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。世界文化遺産とは、文化庁が国宝や重要文化財などに指定している歴史的、普遍的価値のあるものの中から推薦されます。」

歴史遺産の保護とエンターテインメント

日本と海外の異なる文化がぶつかる場で、映画人の側に撮影対象への敬意が欠けていたといえますね。

いま、各地で観光を巡る摩擦が目立ちます。訪れる側と迎える側、それぞれ相手への敬意を持ってもらいたいですね。

 

美術商の立場として近年思う事は絵画や陶芸よりも時計や車のが人気があり高値で取引される傾向にある。

ジェームスボンドのはめていたロレックスのサブマリーナやアストンマーティン・DB5など近年、年々値段が高くなっています。

理由を考えてみました。

希少性とブランド力

高級時計や高級車は、特定のブランドやモデルに対して非常に強い需要があり、その希少性が価格を押し上げます。特に、ロレックスやパテック・フィリップといった時計ブランドや、フェラーリやポルシェといった車のブランドは、コレクターたちにとってステータスシンボルです。

投資としての価値

高級時計やクラシックカーは、時間とともに価値が上がる可能性が高いと考えられており、投資対象としても見られています。特に限られた数量しか生産されないモデルや、歴史的な意義のある車や時計は、市場で非常に高値がつくことがあります。

機能性とデザインの融合

時計や車は、実用的な要素(時間を知る、移動する)に加えて、デザインや技術力も重要です。過去の技術やデザインが評価され、機能性と美しさを両立させた商品として魅力的に映ります。

ステータスと文化的象徴

時計や車は、その持ち主の成功やライフスタイルを象徴するアイテムとして認識されることが多く、ファッションや文化的な影響が強いです。一方、絵画や陶芸は芸術としての価値が強調されますが、より専門的な知識や趣味が必要とされることがあります。

結果

これらの理由により、時計や車が多くの人々にとって魅力的なコレクションアイテムとなり、高値で取引されることが多いのです。もちろん、絵画や陶芸も価値が高いものがありますが、特定の市場や趣向に依存する傾向があります。

 

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2024年9月7日

手塚治虫作クレオパトラの絵画 北岡技芳堂の絵画買取ブログ

手塚治虫の描いたクレオパトラの作品をご紹介してします。

鉄腕アトムやブラックジャックは見たり聞いたりしたことがあると思いますが今回ご紹介するクレオパトラはあまり知られておりません。

アニメラマ「世界三大美女」の一人、クレオパトラが主人公です。当時の新聞広告には、彼女のセクシーさが売りという意味で「とうとう脱がしてしまいました」のコピーが添えられていました。

キャラクターデザインは「ヒゲとボイン」や「仙人部落」等で知られる大人漫画の代表的作家、小島功が担当されました。

彼の手によるクレオパトラの美しいプロボーションは、実に素晴らしいものです。

こんな手塚治虫の作品があったのかとびっくりしました。

物語的には史実をベースに数奇な運命をたどったクレオパトラの半生を描いた作品ですが、全編に渡って手塚治虫らしいやお遊びが次々と繰り出される、バラエティショウ仕立ての楽しい漫画となっています。

 

 

手塚治虫 クレオパトラ 色紙

手塚治虫 クレオパトラ 色紙

 

主人公のクレオパトラからして、元々は醜い女であったが整形手術で美女に生まれ変わったというとんでもない設定です。何と「サザエさん」「カムイ外伝」「ハレンチ学園」と、当時の人気漫画のキャラクターが友情出演されました。ローマ凱旋シーンではピカソやゴッホといった古今東西の名画が次々と登場し、シーザー暗殺シーンは「忠臣蔵」の松の廊下のパロディです。

TV番組「ゲバゲバ90分」で人気を博していたハナ肇が出演しており、当時の流行語の「あっと驚くタメゴロー」を披露するという悪ノリぶりで、実はSF仕立ての筋立てにもなっております。映画の最初と最後に未来世界が出てくるのですが、そこで、前代未聞の変わった手法が使われています。

まあ、それがどんなものなのかは本編を観てからのお楽しみという事で、ストーリーは人間が宇宙に乗り出している21世紀、パサトリネ星の住人達が地球に対して「クレオパトラ計画」を企んでいる事が判明。

YouTubeで手塚治虫のクレオパトラがご覧いただけます。

その計画の真相を探るために3人の未来人の精神が、クレオパトラが生きていた紀元前50年のエジプトに転送されました。

当時、エジプトは、ローマ軍の侵略を受けており、醜い女であったクレオパトラは、シーザーを陥落させるために整形手術を受けて、絶世の美女となりました。

シーザーの死後、次のローマの司令官アントニウスがエジプトを襲い、クレオパトラは彼も虜にします。だが、1人の女としての幸せを望むようになった彼女のその後は………。

手塚治虫の作品『クレオパトラ』は、1970年に公開された。「虫プロダクション」制作のアニメ映画で、手塚治虫の実験的な試みが詰まった漫画作品の一つです。

この作品は「アニメラマ三部作」の第二作であり、成人向けのアニメーション映画として、エロティックな要素や歴史的なテーマを扱っていることが特徴です。

しかし、当時は批評家や観客からの評価が分かれ、特に日本国内ではあまり成功しませんでした。

 

『クレオパトラ』の今後の評価

 

 手塚治虫の国際的評価

手塚治虫は「漫画の神様」として、日本のみならず世界中で広く認知されています。彼の作品はアニメーションやマンガの世界に革命をもたらし、今でも彼の影響を受けたクリエイターは数多く存在します。そのため、『クレオパトラ』のような実験的な作品も、手塚治虫の幅広い才能と挑戦精神の一端を示すものとして再評価される可能性があります。

アニメ史における評価の変化

『クレオパトラ』のような大人向けアニメーションは、今日のアニメ市場において新たな評価を受ける土壌があります。現在では「アニメは子供向け」という固定観念が薄れ、アートフィルムや大人向けの内容を含む作品も高く評価される時代になりました。このため、『クレオパトラ』も「アニメーションの可能性を拡張した先駆的作品」として再評価される可能性があります。

映画技術や表現の独創性

『クレオパトラ』は当時の技術として斬新なアニメーション表現を多数採用しています。手塚治虫は従来のアニメの枠にとらわれないストーリーテリングやビジュアルエフェクトを追求しており、これは現在の観点からも革新的なアプローチとみなされる可能性があります。アニメーション技術や表現に関心のある映画研究者やアニメファンの間で、その美学や実験精神が改めて注目されるかもしれません。

現代的なテーマとの関連

歴史的な人物であるクレオパトラを扱った作品であるため、現代の視点からフェミニズムや政治、権力構造などのテーマが再び検討される可能性もあります。手塚治虫が描くクレオパトラ像が、現代の観客にどのように受け止められるかによって、評価が変わってくることも考えられます。

結論

『クレオパトラ』は、公開当初こそ評価が分かれたものの、手塚治虫という巨匠の多面的な才能や実験精神が込められた作品として、今後再評価される可能性があります。特にアニメの多様な表現が評価される現在において、手塚のビジョンと挑戦を再発見する動きが起こるかもしれません。

 

このような手塚治虫の直筆の漫画や作品を買取致しております。特にブラックジャック、鉄腕アトム、火の鳥などの有名作品の漫画が描かれた絵画は高値が付くと考えられます。売却を検討されております方は、ご連絡をお待ちいたしております。

 

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2024年9月6日

田中一村展が始まります。奄美大島とマングース 北岡技芳堂の絵画買取ブログ

孤高の画家、田中一村は晩年を鹿児島県の奄美大島に賭けた。

モチーフにする植物や鳥を徹底的に調べ、作品にふさわしい姿が見つかるまで写生を重ねて、自らの芸術の探究に生涯を捧げた画家です。

田中一村(たなか・いっそん/1908-1977)。の神童と称された幼年期から、終焉の地である奄美大島で描かれた最晩年の作品まで、その全貌をご紹介する大回顧展です。

世俗的な栄達とは無縁な中で、全身全霊をかけて「描くこと」に取り組んだ一村の生涯は、「不屈の情熱の軌跡」といえます。

自然を主題とする澄んだ光にあふれた絵画は、その情熱の結晶であり、静かで落ち着いた雰囲気のなかに、消えることのない、彼の魂の輝きをも宿しているかのようです。

奄美大島の田中一村記念美術館の所蔵品をはじめ、代表作を網羅する決定版であり、近年発見された資料を多数含む構成により、この稀にみる画家の真髄に迫り、「生きる糧」としての芸術の深みにふれていただこうとする試みです。

 

奄美の光 魂の絵画 田中一村展

奄美の光 魂の絵画 田中一村展

 

「毎朝、峠に登り、猛毒のハブの恐怖も忘れて自然の中に身を置いていた。」(「日本のゴーギャン 田中一村伝)。

ハブの天敵にと奄美大島がマングースを入れたのは田中一村の死の2年後の1979年。

地元の南日本新聞が晩年の業績を発掘し、遺作展が開かれた頃です。

田中一村ブームで奄美大島を訪れ、ハブとマングースの対決ショーをみた人もいた事でしょう。だがマングースが捕食していたのは実はハブでなく、画家の愛した鳥類などの天然記念物だった。

私も子供の頃、テレビCMでコブラ対マングースの映像を見て興奮していたのを思い出します。

環境省は関係行政機関とも協議の上で、2024年9月3日(火)、奄美大島におけるマングースの根絶を宣言することとしました。

30年に及ぶ島の人々の奮闘は大変だった事でしょう。

導入当時はマングースが日中に活動し、夜行性のハプと相まみえる機会が乏しいことに人知が及ばなかった。人間の浅はかさ、自然の奥深さに感じ入る。

ちなみに奄夫大島では、ここ10年ほどハブによる死者がなく共生が進んでいる。

 

田中一村 本人写真

田中一村 本人写真

 

「自然の事物は必然性をもって存在し、必然の中に生命を保つ――。」

こんな哲学を田中一村が語る。

田中一村は「モチーフを十分に研究し、本質をつかめば、大胆にデフォルメしても生命力を失わず、むしろ生き生きする」との信念で描いた。

9月11日は一村忌、9月19日には東京上野で田中一村展が東京都美術館で始まります。

皆様の一度美術館に行かれてみてはいかがでしょうか。

田中一村の絵画の売却を検討されておりましたら是非ともご連絡ください。

絵画の高価買取致します。

 

田中一村の評価のポイント

独自の自然描写

田中一村の代表作は奄美大島の豊かな自然を描いたものが多く、南国の植物や鳥、昆虫などのモチーフが緻密かつ力強く表現されています。彼の作品は写実的でありながらも幻想的な要素を持ち、独特の色彩感覚が称賛されています。

日本画と西洋画の融合

彼は日本画の伝統的な技法を守りながらも、西洋の写実主義の影響を受けました。この二つの異なるスタイルを見事に融合させた点が、彼の作品のユニークさを際立たせています。

晩年の再評価

田中一村は生前にはほとんど無名でした、死後にその才能が再評価されました。現在では高い芸術的価値を持つ画家とされています。彼の作品は、特に自然の静寂と生命の力強さを表現しており、その美的価値は時代を超えて支持されています。

スピリチュアルな要素

田中一村の絵画はただの自然描写にとどまらず、自然に対する畏敬の念や精神性を感じさせます。このため、彼の作品は深い精神的なメッセージを持つとも評価されています。

 

※田中一村の作品は、近年美術館などで展示される機会が増えており、その独創的なアプローチと自然に対する深い洞察が高く評価されています。

 

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2024年9月5日

寿比南山福如東海 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

夏の思い出
 
南山カントリーに行きました。
 
夏の南山カントリーでのゴルフは暑すぎて従業員に行ってなんか得するの?損しに行ってない?
 
といわれるぐらい、肌が焼けるし呆然としてくるし、水分補給をしながら大変でした。
 
年に一回は、暑い日に行って肌が焼けるね。
 
お客様から何故南山というのと聞かれて分からなかったので調べました。
 

寿比南山福如東海

 
南山カントリーの名称の由来は何でしょうか、ゴルフ場周辺に「南山」という地名があれば納得できますが、地名は残っておりませんし、豊田市の古文書や地誌にも見当たりません。
 
実は、南山カントリーの正面玄関を入ったところに、額におさめた小さな色紙が飾られています。
 
会員のプレーヤーも気づく人は少ないが、色紙額には「寿比南山福如東海」と書かれている。また、南山カントリーの創始者であります佐々部晩穂氏が旧東海銀行頭取時代の祝い事の際に、「寿比南山・福如東海」と書をしたためられたことがあるといいます。
 
この色紙に書かれ書はその時のもので旧東海銀行の本部と南山カントリーの2枚しか残されていないことが分かりました。
 
出典は「詩経」からです。
 
南山カントリー創設にあたって、佐々部氏がこの八文字から「南山」という名称を付けられました。
 
八文字の意味は次のようであります。
 
最初の「寿比南山」の出典は世界最古の詩集とされる中国の古典「詩経」で、最初は皇帝の長寿を祝う意味で使われていましたが、時代を経るに従って陶淵明・王維らの有名な詩人の間では、祝い事、縁起のよい事の常用句として使われるようになったらしいです。
 
「南山」とは、本来は現在の中国・西安の南から数千メートルの山々を連ねる泰嶺山脈の主峰「終南山」を指します。
 
しかし、後世の詩人は、南山という地名の縁起をかついで自分の住まいの南にある婆形のよい山をすべて南山と称しました。
 
また、南山は単に祝い、「ことほぐ」という意味の他、「松や柏など常緑樹が根付いて人を寄せ付けない厳しさをもって永久に崩れることがない」という意味も持っています。
 
さらに、中国の詩人は、事あるごとに「南山の寿」という字句を使っております。
 
また、南山が「難攻不落」という意味を秘めているという。「縁起がよくて難攻不落」。
 
まさに「南山は難山」と言われるにふさわしい名称ではないでしょうか。
 
昔も駄洒落はありますね!
 
なお、太閤豊臣秀吉もこの「寿比南山、福如東海」という言葉を愛し、それを刻んだ印が徳川美術館に収められている。
 
参考までに、「福如東海」は、中国の東に位置し、古代から蓬莱山と言われてきた日本を指し、そこには限りない福があると想像していた古代中国人の夢を表す4文字として、「寿比南山」と対句として使われています。
 
 
 
 
寿比南山福如東海

南山カントリー 寿比南山福如東海

 
こちら文章は南山カントリーのホームページの記載されております。
 
そうしましたら書道家の南岳杲雲先生が、自坊の周りは南山さんばかりなんです。南ノ町と言うところなので、そして私が南岳と言うのは名字帯刀を許された時にお寺さんだけは高い岳にして欲しいと言うことです。それと自坊から高野山が大阪湾の対岸からみえるのです。
 
高野山のことを南山、南岳とも呼びます。ですから高野山の管長のことを南山座主とか南岳座主といいます。
 
と、おしゃて頂きました。
 
重ねて勉強になりました。暑い中ゴルフをして良かったか?
 
 
 
 

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2024年9月4日

西田幾多郎の書 北岡技芳堂の掛軸買取ブログ

以前、西田幾多郎の掛け軸を製作中に「言葉の意味を教えてください。」という質問がありましたのでお答えいたします。

西田幾多郎は私が最も傾倒している先生の一人です。

掛軸も燻銀箔の中回しに上下が紺色のシックな掛け軸に仕立て上げております。

優れた人物の良い筆跡を好みの掛け軸に仕立て上げてスキットした空間に掛けるとその空間は凛として心を穏やかにさせます。

芸術品は飾り方も大切です。

また、機会がありましたらご来店ください。

それでは言葉の意味を紹介したします。

 

一塵不至処

 

「一塵不至処(いちじんふしょ)」は、非常に深い意味を持つ禅や仏教の言葉です。これを理解するためには、各要素に分解して考えることが役立ちます。

言葉の構成

「一塵(いちじん)」:ここでは「塵一つ」の意味で、非常に小さなもの、些細なものを指します。「塵」は埃や汚れ、比喩的には煩悩や雑念の象徴とされます。

「不至(ふし)」:これは「至らない」つまり「届かない」「存在しない」という意味です。

「処(しょ)」:場所や状況を示す言葉です。

 

総合的な意味

「一塵不至処」は、「塵一つも至らない場所」という直訳になりますが、仏教や禅の文脈では、これは単に物理的な清浄さを指すだけでなく、もっと深い精神的な清浄さを意味します。具体的には、以下のような意味合いがあります。

精神的な清浄さ

ここでは、心が完全に澄み切っており、煩悩や雑念が全くない状態を表します。この状態は、悟りに近いものとして理想とされます。心が一切の迷いや欲望、執着から解放され、真実をそのままに受け入れられる純粋な状態です。

禅の修行目標: 禅では、修行の最終的な目標として、心を一塵不至の状態に保つことが理想とされます。これは日々の修行や瞑想を通じて、心の中の不要な思考や感情を取り除き、ただ「今ここ」に集中することで達成されると考えられます。

 

場所や空間の浄化

 

「一塵不至処」は、物理的な場所や空間を指して使われることもあります。この場合、それは完全に清らかで、汚れや不浄なものが一切存在しない場所を意味します。仏教の寺院や聖域など、特別に清められた場所を指すこともあります。

宗教的な背景



この言葉は仏教、特に禅宗での教義に深く結びついています。禅の修行者は、心の中の「塵」を取り除くために座禅や瞑想を行い、「一塵不至処」の境地に達することを目指します。この状態に到達することで、物事をありのままに見つめ、悟りを得るとされています。

「一塵不至処」は、物理的な清浄さだけでなく、精神的な純粋さ、悟りへの道を象徴する非常に深遠な概念です。この境地に至るためには、長い修行と自己探求が必要とされます。

 

西田幾多郎の書 

西田幾多郎の書

 

西田幾多郎(にしだ きたろう、1870年5月19日 – 1945年6月7日)は、日本の著名な哲学者であり、京都学派の創始者として知られています。彼は、日本の思想史において最も影響力のある哲学者の一人であり、東洋と西洋の哲学を統合しようとしたことでも有名です。

生涯と経歴

西田は石川県で生まれ、初めは数学や自然科学に興味を持っていましたが、次第に哲学に関心を持つようになりました。東京帝国大学で学び、そこで西洋哲学、とりわけドイツ観念論やプラグマティズムに影響を受けました。特に彼の哲学は、ヘーゲル、カント、ベルグソン、ウィリアム・ジェームズなどからの影響が見られます。

西田哲学の中心概念

西田の哲学の核心には、「純粋経験」という概念があります。これは、主観と客観、つまり自己と世界が分離される前の、直接的でありのままの経験を指します。彼は、この純粋経験がすべての知識や意識の基盤であると考え、そこから哲学を展開しました。

純粋経験

西田は、日常の経験の中で、主観(自分)と客観(外界)を区別する前の、直接的で未分化の体験を「純粋経験」と呼びました。この概念は、経験の最も根源的な形式であり、全ての知識や認識の基盤であると考えられました。

絶対無

西田は後に、「純粋経験」の概念を発展させて「絶対無」という概念を提唱しました。これは、存在と非存在、主観と客観の二元論を超えた根源的な「無」の状態を指します。西田によれば、この「無」の中に全ての存在が成立し、それは矛盾を包摂しつつも超克する絶対的な基盤です。

場所の論理

西田の哲学は、後年には「場所の論理」としても知られるようになります。彼は、「場所」を存在や思考の根源的な基盤とし、すべての存在や意識はこの「場所」から生まれ、そこに帰っていくと主張しました。この「場所」は単なる物理的な空間ではなく、存在の根底にある原理的な基盤です。

 

西田幾多郎の掛軸を買取致します。

 

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2024年9月4日

芸術は人の心を鎮める。 北岡技芳堂の絵画買取ブログ

「芸術は人の心を鎮める」という考え方は、伝統的な芸術の役割として理解されることが多いですね。

 

古典的な美術や音楽、文学などは、鑑賞者に癒しや安らぎを提供し、内面的な平穏をもたらすことを目的としてきました。

 

芸術品は、作り手の思いや感性が込められたものであり、それを感じ取ることで、鑑賞者もまたその感情や思いに触れることができます。

 

美しい絵画、心地よい音楽、感動的な文学作品などは、私たちの心を穏やかにし、リラックスさせる効果があります。

 

これは、芸術が持つ普遍的な力であり、時代や文化を超えて多くの人々に愛されている理由の一つです。

 

北岡技芳堂は古いものでも魅力的な作品を扱っていきたいと考えております。

 

最近、お客様から現代アートの作品は意味がわからない、どこが良いかわからないなどとおしゃる方が見えますが、

 

近代の芸術品は癒されるだけではなく、「近代芸術は人の心を逆立てる」ともいわれます。

 

前衛芸術や現代アートに対する反応としてよく見られる意見です。

 

近代芸術はしばしば既存の価値観や感覚に挑戦し、観客を驚かせたり、不安にさせたりすることを目的としています。

 

アヴァンギャルドは伝統的な美意識を覆し、新しい表現方法を探求することで観る者に強烈な感情や考えを引き起こすことが多いです。

 

どちらの立場も芸術の一面を捉えており芸術の多様な役割を反映しています。

 

 

草間彌生の絵画

 

芸術は、人々を癒すだけでなく挑発し考えさせ感情を揺さぶる力も持っています。

 

ですので、芸術が人の心を鎮めるか逆立てるかは、その作品の目的やアプローチ、そして受け手の解釈によって異なると言えるでしょう。

 

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2024年9月4日

9月になりました。 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ

皆様こんにちは

 

東京から帰ってきまして通常通り営業致しております。

 

暑いですね、まだまだ残暑が続きますが多少涼しくなりましたね。

 

お茶室の古材や材木を探しにちょくちょく京都に行っておりますが、

 

先日、台風前に近くを通りがかったので高山寺に行ってきました。

 

 

高山寺 山道

高山寺山道

 

すごく湿度が高くむし暑かったですが心は穏やかに静まりました。

 

高山寺は鳥獣戯画が有名ですが普段は博物館に預かっていただいているみたいですね。

 

高山寺 建築家の岩崎さんと共に

建築家の岩崎さんと共に

 

 

高山寺

雨が降っていで風情がありました。

 

古いものの良さは建築も含めて良いものですね。

 

高山寺(こうざんじ)は、京都府京都市右京区に位置する、日本の重要な仏教寺院です。

 

特に古代日本の文化遺産において重要な役割を果たしてきました。その歴史は、平安時代にさかのぼります。

 

 

 

高山寺の庭

高山寺 庭

 

 

 

創建と歴史

 

高山寺は、奈良時代の774年に開創されたとされていますが、現在の姿となったのは鎌倉時代です。

 

鎌倉時代に入り、明恵(みょうえ)上人が高山寺を中興し、寺の発展に大きく寄与しました。

 

明恵上人は、当時の天皇や貴族からの支援を受け、寺の伽藍を整備し、文化活動を推進しました。

 

文化的貢献

 

高山寺は、特に『鳥獣人物戯画』として知られる絵巻物で有名です。

 

この絵巻は、日本最古の漫画とされ、動物たちが人間のように振る舞う姿が描かれています。

 

また、寺には数多くの文化財や古文書が所蔵されており、これらは日本の文化や宗教、歴史の研究にとって非常に貴重です。

 

世界遺産

 

1994年には、高山寺がユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 

これは、「古都京都の文化財」の一部としての登録であり、その文化的・歴史的価値が国際的にも認められているものです。

 

現在の高山寺は観光地としても人気があり、非常にたくさんの人々が訪れています。

 

また、自然豊かな境内は、四季折々の美しい風景を楽しむことができる場所としてもよく知られています。

 

このように、高山寺は日本の歴史と文化を深く刻んだ場所であり、その遺産は今もなお多くの人々に影響を与え続けています。

 

皆さんも一度お邪魔してみてください。

 

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