2024年12月25日
奥田元宋の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ
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奥田元宋 煌(こう)
緑色の夜空に浮かび上がるように輝く山が描かれ、その右ななめ上に浮かぶ月は限りなく新月に近い細さで描いており、山の紅葉は煌々とした明るさが際立ちます。それとは対照に、深い緑で描かれた水面が、山の鏡像を吸い込むかのような闇で演出しており、上下で異なる世界観が形作られおります。 写生を基にして、奥田元宋の心象を強く反映した風景画は、このような風景がさもどこかにあるように思わせながらも、どこかこの世のものとは思えない不思議な場面となっています。奥田元宋の心象山水の境地がよく表された作品です。
奧田元宋 本人
奥田元宋は広島に生まれて、19歳で上京し、遠縁にあたる同郷出身の日本画家の児玉希望の希望画塾に入門します。1936(昭和11)年、日展の前身である文展(文部省美術展覧会)に初入選し、以後、官展(政府主催の展覧会)へ出品を重ねます。戦後は、「元宋の赤」とよばれる赤を基調に、雄大な自然を描いた独自の風景画を確立しました。また、和歌にも秀で、1981年には宮中歌会始の召人に選ばれています。
奥田元宋の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.奥田元宋の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.奥田元宋の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.奥田元宋の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.奥田元宋の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.日本画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。
奥田元宋 略歴
1912年
明治45年6月7日、広島県双三郡八幡村(現、吉舎町大字辻)に奥田義美、ウラの三男として生まれる。本名厳三。小学校の図画教師、山田幾郎の影響で中学時代に油彩画を始める。同郷の洋画家南薫造に憧れ、広島に来た斎藤与里の講習会などに参加して学びます。
1931年
昭和6年日彰館中学校を卒業後上京し、遠縁にあたる同郷出身の日本画家、児玉希望の内弟子となります。
1933年
自らの画技に対する懐疑から師邸を出、文学や映画に傾倒、シナリオライターをめざします。
1935年
師の許しを得て再び希望に師事し、画業に励みます。
1936年
新文展鑑査展に「三人の女性」が初入選、翌年より児玉塾展に発表。この頃師より成珠の雅号を与えられるが、中国宋元絵画への憧れと本名に因んで自ら元宋と名乗るようになります。
1938年
第2回新文展で谷崎潤一郎の『春琴抄』に想を得た「盲女と花」が特選を受賞。
1942年
この頃より同郷出身の洋画家靉光と親交を結びます。
1944年
郷里に疎開し1953年まで留まり、美しい自然の中でそれまでの人物画から一転して風景画に新境地を開きます。
1949年
第5回日展で「待月」が特選を受賞。
1950年
官学派への対抗意識のもと児玉塾、伊東深水の青衿会といった私塾関係の作家を糾合した日月社の結成に参加します。
1961年
日月社を解散まで連年出品しました。
1950年
この年代の後半にはボナールに傾倒するも、そこに富岡鉄斎に通じる東洋的な気韻生動の趣を見出し、実景を基としながらも一種の心象風景を追求するようになります。
1958年
新日展発足とともに会員となります。
1962年
第5回日展で「磐梯」が文部大臣賞を受賞、さらに翌年同作品により日本芸術院賞を受賞します。
1973年
日本芸術院会員となります。
1962年
日展評議員。
1969年
日展改組に際し理事。
1974年
常務理事に就任。
1977年
より1979年まで理事長をつとめます。
1967年
この頃より歌人生方たつゑに師事して短歌。
1974年
頃より太刀掛呂山と益田愛隣に漢詩を学びます。
1981年
宮中の歌会始の召人に選ばれます。
1975年
第7回日展出品の「秋嶽紅樹」を原点として“元宋の赤”と称される鮮烈な赤を主調に描いた風景画を制作するようになります。
1976年
第8回日展の「秋嶽晩照」。
1977年
同第9回展の「秋巒真如」など幽趣をただよわせる作風を展開します。
1981年
真言宗大聖院本堂天井画「龍」を制作。同年文化功労者として顕彰されます。
1984年
文化勲章を受章。
1996年
平成8年京都銀閣寺の庫裏・大玄関、および弄清亭の障壁画を完成。
2000年
3月1日から31日まで『日本経済新聞』に「私の履歴書」を連載、翌年刊行の『奥田元宋自伝 山燃ゆる』(日本経済新聞社)に再録される。回顧展は97年に広島県立美術館で開催、また2002年から03年にかけて練馬区立美術館、松坂屋美術館、茨城県近代美術館、富山県立近代美術館を巡回して催されている。
2003年
2月15日、日本画家で日本芸術院会員の奥田元宋は2月15日午前0時10分、心不全のため東京都練馬区富士見台の自宅で死去した。享年90。
奥田元宋・小由女美術館展のご紹介
広島県三次市吉舎町出身の奥田元宋と、大阪で生まれ3才から同町で過ごした奥田小由女。
芸術家夫妻の名前を冠する「奥田元宋・小由女美術館」は、夫妻からの作品の寄贈を受けて2006年4月に開館しました。
「元宋の赤」に代表される自然の姿を多彩な風景画で表現し、現代日本画壇をリードしてきた日本画家の奥田元宋。
抽象的な造形美を追求する「白の時代」から、色胡粉による抒情的な表現の「色彩の時代」にいたるまで現代的な人形表現を追求しつつ、現在も第一線で活躍中の奥田小由女は2020年に人形作家として初めて文化勲章を受章しました。
奥田元宋・小由女美術館展のホームページは下記から紹介
奧田元宋 奥入瀬
「元宋の赤」が際立つ大作の奥入瀬
奥田元宋の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.奥田元宋の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
奥田元宋 査定価格におけるポイント
奥田元宋の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
奥田元宋先生の作品は、赤い風景に月の作品は小さくても高値の査定価格がつきます。
100万円から300万円ぐらいの買取相場です。
保存状態
シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
奥田元宋の作品は晩年の作品が評価されます。
「元宋の赤」と呼ばれる紅葉の作品が高値で取引されます。新緑の風景画も評価されます。
奥田元宋展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
奥田元宋先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ奥田元宋の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
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裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
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