2014年8月12日

売茶翁 高遊外の書

売茶翁
高遊外
語尽山雲海月情
 山の心情、雲の心情、海の心情、月の心情、即ち一切のこころと言うのが山雲海月の情で、この場合、親しきもの同士が胸中の心情、境地、心境のありったけを語りつくすさまを表すことばである。
お互いの腹の底まで包み隠すことなく、あらいざらいに打ち解けあい語り合う意味である。

売茶翁の略歴
延宝3年5月16日(1675年7月8日) – 宝暦13年7月16日(1763年8月24日))は、江戸時代の黄檗宗の僧。煎茶の中興の祖。本名は柴山元昭、幼名は菊泉。法名は月海で、還俗後は高遊外(こうゆうがい)とも称した。
61歳で、京都東山に通仙亭を開き、また自ら茶道具を担い、京の大通りに喫茶店のような簡素な席を設け、禅道と世俗の融解した話を客にしながら煎茶を出し、茶を喫しながら考え方の相違や人のあり方と世の中の心の汚さを卓越した問答で講じ、簡素で清貧な生活をするが為に次第に汚れていく自己をも捨て続ける行を生涯つづけようとしている。
「仏弟子の世に居るや、その命の正邪は心に在り。事跡には在らず。そも、袈裟の仏徳を誇って、世人の喜捨を煩わせるのは、私の持する志とは異なっているのだ」と述べ、売茶の生活に入ったという。
70歳の時、10年に一度帰郷するという法度によって故国に戻り、自ら還俗を乞い、国人の許しを得る。そこで自ら高氏を称し、号を遊外とする。以後も、「売茶翁」と呼ばれながら、気が向かなければさっさとその日は店を閉じますというスタイルで、当然貧苦の中、喫茶する為の煎茶を売り続けていく。
【お茶の代金は小判二千両から半文までいくらでもけっこう。 ただで飲んでもけっこう。ただより安くはできません。】
身分を問わず、茶代を払おうと払うまいと気にかけず、禅を説きながら、 いろいろな世の中の出来事などをのどかに物語ってきかせたので、たちまち人々の評判になりました。
売茶翁の行動は、当時の禅僧の在り方への反発から、真実の禅を実践したものであったと言われる。禅を含む仏教は、1671年(寛文11年)につくられた寺請制度により、お布施という安定した収入源を得て安逸に流れつつあった。また禅僧の素養として抹茶を中心とした茶道があったが、厳しい批判眼を持つ売茶翁の目には、形式化したものに映った。そのため茶本来の精神に立ち返るべく、煎茶普及の活動に傾注したとも言われる。

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