2024年11月20日
小山富士夫の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
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世界的な陶磁研究者として知られる小山冨士夫(1900~1975)は、若い頃に陶工を志した後、研究者へと転じ、現在の陶磁研究の基礎を築いた人物です。小山冨士夫は1960年(昭和35)の「永仁の壺事件」以後に作陶を再開します。
1973年(昭和48)に陶芸家塚本快示を介して交流のあった二宮安徳市長の招きにより土岐市へ移住し、「花の木窯」を開きます。小山冨士夫は種子島の土による作品を独特の薪窯で焼成するなど、短期間ながら精力的な創作活動を行い、1975年(昭和50)に土岐市において75歳の生涯を終えます。
轆轤を引く小山冨士夫
晩年を土岐市で過ごした小山冨士夫ですが、美濃との関わりは長く、とくに親しかった陶芸家荒川豊蔵との交流により昭和初期からたびたび美濃を訪れていました。
小山冨士夫は中国定窯古窯址の発見で一躍世界的に陶磁学者として知られ、日本中世「六古窯」の研究や正倉院蔵の奈良三彩の調査など古陶磁研究で多くの業績を残していますが、その研究の対象は朝鮮、日本の古陶磁から中近東、ヨーロッパの陶磁器、さらには現代陶芸にまで及びます。
小山富士夫 本人
研究以外でも、小山冨士夫は人間国宝制度の創設をはじめ、文化財行政の骨格を作り上げた一人として大きな役割を果たしました。
小山冨士夫は、石黒宗麿や荒川豊蔵はじめ、塚本快示、中里無庵、金重陶陽、川喜田半泥子、北大路魯山人他の近代の代表的な陶芸家たちと友情を深めながら、小山冨士夫は自ら「窯場荒らし」と称して各地の親しい陶芸家のもとを訪ねて制作しています。各地窯業の伝統や約束事にとらわれず、自由な造形を追求したその天衣無縫な作風は多くの人々に愛されています。
小山冨士夫 種子島茶碗
偶然にも種子島の職員から「種子島にあった能野焼(よきのやき)の再興に協力してほしい」と要請があった。 能野焼は江戸末期から明治の中ごろまで数十年間、擂鉢や甕、片口など生活雑器を焼いていた窯である。それらは土灰釉が施されていたが、首里での荒焼を思い出した小山冨士夫先生は、「無釉の焼締で良かったら、やってもよいが」と返事されると、「先生にお任せします」との承諾を得たので引き受けることになった。
早々に種子島に出向き、能野焼古窯址付近にあった12種類の土を採集して、自宅にある永福窯で試験焼をされた。試験焼の結果、その中から田土を選んだ。土の耐火度は低いが、きめ細かな土が気に入られたのだ。 丹波の窯を参考にして間仕切りのない蛇窯として西ノ表市で築窯することになった。
赤く焼かれた肌と炭化した黒い焼肌との対比を好んだ小山冨士夫が蛇窯で焼く、新たな「種子島焼」を誕生させたのある。自然とともに焼締陶の楽しさ面白さを世に問うた作品群であった。
小山冨士夫 宋赤絵風花酒觴
作者の代名詞ともいえる「花」。宋赤絵を範としながらも古陶磁研究で養われた感性により 小山冨士夫独自の花として開花した盃と言えましょう。
小山冨士夫の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.小山冨士夫の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.小山冨士夫の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.小山冨士夫の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.小山冨士夫の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
小山冨士夫 信楽水指
小山冨士夫の轆轤さばきは、一気加勢に挽きあげ、実に見事なものだったそうです。
その轆轤を引き上げる際の勢いをそのままに感じる水指の畳付には「古山子」のこれまた勢いあるサインが入る。
小山冨士夫 略歴
明治33年(1900)3月24日、岡山県玉島市に父善太郎、母幾無の長男として生まれる。 父善太郎は花蓆を輸出する貿易商でした。東京府立第一中学(現・ 日比谷高校)から東京商科大学(現・一橋大学)に入学したが、大正12年(1923)中途退学、その後さまざまの数奇な体験をへて作陶生活、ついで古陶磁 研究へすすみます。
明治37年 東京・麻布に転居、姉たちと近所のフレンド教会の日曜学校に通い、ボール博士の教えをうけます。
大正8年 3月、東京府立第一中学校(現・日比谷高校)を卒業。
大正9年 4月、東京商科大学予科(現・一橋大学)に入学。
大正12年 6月、東京商科大学を中退し、社会主義運動に共鳴し一労働者たることを決意してカムチャッカへ赴く。関東大震災の報をうけて帰国。フレンド教会の救済事業に従事する。12月、近衛歩兵第三聯隊に一年志願兵として入隊する。岡部長世を知り、陶器に興味をいだきます。
大正13年 11月、除隊。上野図書館に通い、館蔵の陶器関係図書を読破します。
大正14年 2月、友人坂部甲次郎の紹介により瀬戸の矢野陶々に弟子入りする。兄弟子余郷潔につれられて小長曾古窯を訪れる。これが、古陶磁研究への発端となる。9月、近衛歩兵第三聯隊に見習士官として再入隊、11月予備歩兵少尉として除隊。12月、京都山科の真清水蔵六に弟子入りする。清閑寺、山科街道沿いに須恵器窯址を探ります。
大正15年 朝鮮半島、中国に旅行。旅行から帰り、京都市に借家し、独立して作陶する。 昭和2年 3月、住いのすぐ前に石黒宗麿が越してきたため親交を結び、唐三彩などを試作します。
昭和5年 京都・大丸で石黒宗麿と二人展。川喜田半泥子(久太夫)小山の作陶を買いあげる。4月、古陶磁研究を志して上京、東洋文庫へ通い、郭末若、江上波夫、三上次男などをしる。東洋陶磁研究所設立され、所員となります。
昭和5,6年ころ留学中の郭沫若と親交を結び、昭和10年代に中国諸地方の古窯址を踏査をします。
昭和6年 毎日新聞社の本山彦一の古窯調査団に参加し、美濃、瀬戸、常滑の古窯を調査する。東洋文庫奥田誠一の仲介により横河民輔の中国陶磁コレクションの整理にあたります。
昭和7年 奥田誠一の要請により東洋陶磁研究所(日本橋通3丁目松慶ビル)で雑誌『陶磁』の編集にあたり、論文を発表しはじめます。
昭和8年 5月、奥田誠一の推薦で文部省宗教保存課国宝調査室嘱託となる。この年、京都時代の友人の社会主義者を泊めたという理由で碑文谷署に留置されます。
昭和9年 1月、文部省国宝調査室嘱託を辞職。6月~7月、国宝調査室の田沢金吾と薩摩古窯を調査。
昭和15年 10月、中国東北区に旅行、遼陽缸官屯古窯、撫順大官屯古窯を調査。
昭和16年 2月、田沢金吾との共著『薩摩焼の研究』刊。3月~5月、中国古窯址踏査旅行、河北・河南・山東・内蒙古を調査、4月10日に定窯古窯址を発見します。
昭和17年 10月、文部省帝国美術院附属美術研究所嘱託、根津美術館嘱託となります。
昭和18年 7月、『宋磁』刊(聚楽社)。12月、『支那青磁史稿』刊(文中堂)。12月には、いまなお名著として高い評価をうけている『支那青磁史稿』を発表しました。戦後は、東京国立博物館調査員、文 化財保護委員会調査官として陶磁工芸の調査と文化財指定、各種陶磁全集の編集、評論に活躍します。
昭和19年 5月~6月、中国東北区、モンゴル区を調査旅行し、林東の遼上京窯址、赤峰乾瓦窯址などを発掘調査します。『満蒙の古陶磁』刊(満蒙古蹟古物保存協会)。
昭和20年 応召、少尉として朝鮮へ行き敗戦をむかえる。東洋陶磁研究所被災、焼失し、解散します。
昭和21年 日本陶磁協会設立に関与し、三上次男らと瀬戸古窯を発掘調査する。日本陶磁振興会理事昭和24年 文部技官となる。
昭和25年 9月、文化財保護委員会の発足、美術工芸課勤務となる。
昭和26年 4月、東京大学文学部講師(28年3月まで)。6月、神奈川県立近代美術館運営委員(50年10月まで)。
昭和27年 8月、文化財保護委員会無形文化課勤務となる。
昭和29年(1954)の『東洋古陶磁』全6巻(美術出版社)は、数ヶ国語に訳出され、世界的に知られている著作である。『東洋古陶磁』全6巻。河出書房『世界陶磁全集』全16巻の編集に参加。同年秋、「永仁 の壷」重要文化財指定解除問題がおこります。
昭和30年 2月、日本陶磁協会理事に就任。平凡社『陶器全集』全32巻の監修にあたる。
昭和32年 5月~7月、アメリカ国務省からの招きで渡米、各地美術館を歴訪し講演する。
昭和33年 中津川古窯址の発掘調査に参加。
昭和34年 1月、文化財保護委員会無形文化課調査官となる。
昭和35年 3月、第10回文部大臣賞芸術選奨(評論その他部門)をうける。
昭和36年 7月、文化財保護委員会事務局を辞職する。
昭和37年 3月~4月、イギリス国際文化振興会の招きによりイギリス各地を旅行、講演する。秋、正倉院の陶器の調査に参加。10月、神奈川県文化財専門委員となる。 昭和38年 4月、出光美術館顧問となる。
昭和39年 1月、エジプト、フスタート遺跡出土の中国陶磁を調査。3月、欧米諸国を旅行し、8月開催の「現代国際 陶芸展」(朝日新聞社主催)に尽力する。この年から鎌倉の自宅で再び作陶をはじめる。
昭和40年 3月、文化財専門審議会専門委員。4月~5月、中国政府より招かれ、新中国の各地を訪問、戦後発見の新資料を調査。
昭和41年 2月、佐野美術館理事に就任。4月、和光大学教授会会員。5月、日本工芸会副理事長となる。同月、中国美術史研究日本学術代表団の一員として中国各地を旅行する。鎌倉の自宅に永福窯を築窯。
昭和42年 4月、和光大学教授。6月、日本工芸会副理事長となる。
昭和43年 3月~4月、フィリッピン美術史学会の招きによりマニラで開かれた陶磁交易ゼミナールに参加。タイ、シンガポール、ジャカルタ、バリ、サラワクのクチン、台湾などの窯址を調査。
昭和44年 7月、国際芸術見本市協会理事となる。9月台北の故宮博物院を訪問、汝官窯を研究、「日本にある中国陶磁」について講演する。 昭和45年 3月、台北・故宮博物院で「西方各国出土の中国陶器」と題して講演、蒋介石と会見する。
昭和46年 4月、勲三等瑞宝章をうける。
昭和47年 8月~9月、ヨーロッパ旅行。11月、神奈川文化章受賞。土岐市に花の木窯築窯。
昭和48年 3月、和光大学教授を退職。5月、花の木窯初釜。同月、古田紹欽と柊画廊で二人展。6月、「現代日本の伝統工芸」展開催のため中国を訪問。7月、東洋陶磁学会発足し常任委員長となる。秋、韓国を訪問。 昭和49年 11月、日本橋壷中居において「作陶10年」展を開く。 昭和50年 4月、「小山冨士夫・岑一、書と陶芸」展を銀座松屋で開催。「花ノ木窯作陶展」(グリーンギャラリー)。7月~8月、社会保険中央病院に入院。10月7日、心筋障害で急逝。
昭和49年11月、日本橋壷中居において「作陶 10年」展を開催しました。
小山冨士夫 紅毛茶碗
紅毛とは古来、茶の湯文化で言い習わされているオランダ・デルフト焼の和名。 小山冨士夫先生は、欧州で出会ったデルフト陶に魅せられ、茶碗に限らず、水指や酒器でも、好んでこのブルーと黄色が織りなす紅毛の作品を作りだした。 真っ白な化粧土の上には、透き通るような青色と、黄色が交互に配されています。
特に、口縁には呉須を用いたのか、他で見られるものよりも深い藍色が乗って全体を引き締めている。 一部釉が流れているのも、色の流れる幅やリズムが出て面白くなっている。 茶室に光が射しこんだような明るさを灯してくれるだろう。
小山冨士夫の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.小山冨士夫の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
小山冨士夫 査定価格におけるポイント
小山冨士夫の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
小山冨士夫先生の種子島焼にこだわりさまざまな陶芸作品があります、水指やぐい呑みの作品に高値の査定価格がつきます。
5万円から30万円ぐらいの買取相場です。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
小山冨士夫の作品は茶碗の作品が評価されます。
小山冨士夫展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
小山冨士夫先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ小山冨士夫の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
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