2024年11月19日
藤本能道の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
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藤本能道は色絵磁器の巨匠である富本憲吉や加藤土師萌に陶芸を学びます。オブジェ制作を経た後、色絵磁器の技術の追究と芸術的表現の追究に生涯を捧げました。釉薬や上絵の具、描法などについて常に新しい技法を求め、色・形・質感が一体となった独創的な色絵磁器の世界を創出した革新的な作家です。
その代表的な技法に「釉描加彩」があり、最晩年にはそれまでの集大成ともいえる代表的な作品をつくりだしました。
藤本能道は1919年(大正8年)、東京都大久62保に大蔵省書記官である藤本有隣の次男として生まれました。3歳の時に父が死去し、その後はかつて陸軍中将であった厳格な祖父に育てられました。元々絵を描くことが好きだった藤本能道は、東京美術学校(現芸術大学)への進学を希望しました。周囲は強く反対しましたが、「絵画ではなく図案(デザイン)科なら」と辛うじて受験を許されました。図案科卒業後は文部省により新設された工芸技術講習所に入所します。加藤土師萌に陶芸の手ほどきを受け、さらには、加藤土師萌に代わって教授となった富本憲吉の助手をつとめました。
藤本能道 本人
終戦後は富本憲吉の辞任に伴い藤本能道も講習所を辞め、京都、鹿児島、和歌山で陶磁器をデザインする仕事や窯業の技術指導にあたりました。その頃から巨大な存在である2人の師の模倣から脱却しようと、前衛陶芸に傾倒し、流政行や八木一夫と交流します。1950年代は前衛陶芸団体の走泥社やモダンアート協会を活動の場とし、陶芸のオブジェ化という最前線に身を置き、自身にとっての陶芸を模索しました。
1962年、藤本が43歳の時に加藤土師萌の招きで東京芸術大学の助教授に迎えられました。その翌年に富本憲吉が、1968年に加藤土師萌が世を去り、二人の師を続けて失った藤本能道は、自分の使命であるかのように色絵磁器の制作を本格的に再開するようになりました。それから73歳で亡くなるまでの20余年間、藤本能道は文様表現の新たな可能性を徹底して探求しました。 藤本能道の文様表現は絵画的、且つ写実的な模写を目指したものでした。日本画の輪郭線を用いない技法「没骨描法」をやきものに採り入れたり、それまでタブーとされてきた上絵の具の混色を試みるなど、常に新しい事に取り組みました。とりわけ「釉描加彩」という、磁器釉をかけた器に色釉で文様を描いて本焼きし、足りないところの色彩を上絵の具で描き加えて焼き付ける藤本能道の独自の技法は、藤本能道の色絵に欠かせないものでした。
藤本能道 釉描加彩樹陰宿鴉図四角筥 1987
こうしたひとつひとつの技法の開発が、作品をより絵画的なものへと押し上げ、色絵磁器の世界にも多大な影響を与えました。 1985年には工芸家では初めての東京芸術大学の学長をつとめて、翌年には色絵磁器の重要無形文化財保持者(人間国宝)として認定されました。 作品に描かれる写実的な野鳥や草花からは、物事を正面から見つめ、常に新しいことに挑戦する強い意識を窺い知ることができます。
藤本能道 釉描加彩樹陰宿鴉図四角筥 1987
藤本能道は二つの色絵の革新に取り組んだ。一つは先の没骨技法の応用である。藤本は輪郭線での呉須の利用のみならず、墨絵のようにぼかして面で使用することにより、その上に乗せた色絵の具に濃淡を与えた。たとえば、木の肌の凹凸や光の加減を表現することに成功している。
もう一つは「釉描加彩」である。釉描とは、釉薬を掛けた後に絵の具で彩色するで素地に色を付けることである。加彩とは概ね上絵付と思ってよい。この技法によって可能となったことは、白い素地でしかない余白を背景として使用し、器全体を絵付作品にすることを可能とした。釉描自体は藤本以前にも行われていたことであるが、藤本は釉描の安定性を求めて、素地となる釉薬の開発も独自に行っている。こうして和絵の具の伝統をベースとした色絵作品は藤本の技法によって高い絵画性を持つものとして完成された。
藤本能道の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.藤本能道の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.藤本能道の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.藤本能道の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.藤本能道の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
藤本能道 略歴
大正8(1919)年1月10日、東京大久保に大蔵省書記官藤本有隣の次男として生まれる。
大正12年、関東大震災により生家の郷里高知市へ移り住み、小学4年まで高知市ですごす。
昭和3(1928)年上京。麹町尋常小学校を経て同6年東京府立第一中学校に入り、東京美術学校図案部に入学し、昭和16年同部を卒業
昭和年4月文部省工芸技術講習所第一部に入学し、翌年より同講習所講師であった加藤土師萌に陶芸を学ぶ。
昭和17年第29回光風会展に図案「貝殻の構成」「抽象構成」で初入選。同年の東京府工芸展には陶器を出品している。
昭和18年同講習所を卒業し、ひき続き同所嘱託となった。
昭和19年6月から同講習所教授となった富本憲吉に師事して
昭和年8月より助手をつとめた。同年第31回光風会展に「赤絵花瓶」「黒釉木ノ葉皿」「黒釉上絵花瓶」を招待出品して光風工芸賞受賞。
昭和20年勤務先の講習所が岐阜県高山へ疎開したため教授であった富本に同行した。
昭和21年第20回国画会展に油絵「海樹」で初入選。また、同年の同展に「五染附色絵小壷(かれい)」「色絵小壷(梅)」等全7点を出品するが、同年富本憲吉が国画会展を退会するに伴い同会工芸部が解散したため、同展への出品はこれのみとなった。年第1回日展に「色絵花瓶」を出品する。
昭和年5月、富本が文部省工芸技術講習所を退くと、これに従って講習所助手を辞任。翌月から京都松風研究所に勤務し、同所顧問富本憲吉から再び指導を受けた。
昭和22年より富本を中心に設立された新匠工芸会に参加。
昭和23年同会会友、同24年同会員となった。
昭和25年鹿児島県及び市商工課嘱託となって県内窯業指導に当たる。
昭和31年京都市立美術大学専任講師となり、また
昭和年日本陶磁協会賞を受けた。同32年新匠工芸会を退いて走泥社に参加。同年モダンアート協会展に初出品し、
昭和33年に同協会会員となった。この頃から実用を離れたオブジェ等前衛的な試みに取り組んでいる。同37年京都市立美術大学を退いて東京芸術大学助教授となる。
昭和38年、伝統を重視する作風に転換してモダンアート協会、走泥社を退会。その後日本伝統工芸展を中心に作品を発表したほか、
昭和45年フランスのバロリス国際陶芸展、同51年国際交流基金主催、ニュージーランド、オーストラリア巡回「現代日本陶芸展」、
昭和58年米国のジャパニーズセラミックストゥディ展等、国際的にも活躍した。伝統的な色絵に絵画的写実を導入し、「釉描加彩磁器」の新技法、新たな作風を開拓して、昭和61年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
昭和60年から4年間、工芸家では初めて東京芸術大学の学長をつとめるなど、工芸界に指針を示すとともに教育にも尽力した。著者に『やきもの絵付十二ケ月』
昭和59年 溪水社)、『藤本能道作品集』(同60年 講談社)等がある。
平成4年、人間国宝の陶芸家で東京芸術大学学長もつとめた藤本能道は、5月16日午後4時39分、呼吸不全のため東京都葛飾区の慈恵医大青戸病院で死去した。享年73。
藤本能道 赤絵茶碗
このような赤絵茶碗をチラホラ見かけます。共箱でしたら10万円ぐらいのお値段が予想されます。
藤本能道の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.藤本能道の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
藤本能道 査定価格におけるポイント
藤本能道の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
藤本能道先生の作品は釉描加彩の食籠 (じきろう) の作品に高値の査定価格がつきます。
10万円から100万円ぐらいの買取相場です.
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
藤本能道の作品は釉描加彩の作品が評価されます。
藤本能道展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
藤本能道先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ藤本能道の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
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裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
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