2024年10月21日
加藤土師萌の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の加藤土師萌の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
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加藤土師萌の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の加藤土師萌のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた加藤土師萌の作品を鑑定して買取り致します。
陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の加藤土師萌の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
加藤土師萌 紅地金襴手雲雀迎春花文飾壺
「紅地金襴手こうちきんらんて」は、器物の表面を赤絵の具で塗りつめ、金箔を貼っていく技法で、中国明時代のものがよく知られている。「色絵磁器」で重要無形文化財保持者に認定された加藤土師萌は「五彩」「黄地紅彩おうちこうさい」、「金襴手きんらんて」など中国陶磁についての研究に余念がなかったが、本作品はそうした研究成果を示すものの一つです。
加藤土師萌の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.加藤土師萌の作品は、当店が真贋を拝見させていただき、判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。
Q.加藤土師萌の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせていただき買取りさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。
Q.加藤土師萌の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただきます。
Q.加藤土師萌の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
加藤 土師萌 略歴
(かとう はじめ)1900年3月7日〜1968年9月25日)
本名は加藤一(かとうはじめ)
東洋の陶磁器に対して高い見識を持つ。教え子に鳴海要などがいます。
1900年 愛知県瀬戸町(現在の瀬戸市西本町)に生まれます。
1914年画家をこころざし、愛知県立陶器学校(後、愛知県立窯業学校)図案科の日野厚に図案を学びます。
1916年第4回農展図案部に初入選 1920年愛知県立窯業学校の助手となり、成型などの研究に取り組みます。
1921年まで愛知県窯業学校助手等を務め、陶磁器の図案を習得します。
1924年第11回農展工芸品部に初入選。この年より、「土師萌」の号を用いる。
1926年美濃に移ります。岐阜県陶磁器試験場に勤務、研究と作陶を行います。
1927年第8回帝展初入選(工芸部門が新設された回である)。新文展、日展に出品を続け、その後日本伝統工芸展へと発表の場を移しています。
1930年試験場の加藤土師萌のもとに荒川豊蔵来訪、大萓で発見した黄瀬戸・志野・織部などの陶片を持ち込みます。
1931年美濃古窯跡の発掘調査を行う。
1935年岐阜県より派遣され、中国・朝鮮の窯業を視察。
1937年パリ万国博覧会でグランプリ受賞。
1940年横浜の日吉に移住。大倉和親(大倉陶園社長)の支援を受け、窯を築きます。
1947年唐津に古窯跡の調査に行く。 1950年「日本陶磁協会」理事に就任。
1951年 黄地紅彩が重要無形文化財に指定。その後も金襴手・青白磁など磁器を研究。
1952年第1回神奈川文化賞受賞。黄地紅彩の上絵付の技法が無形文化財に選定されます。
1953年第6回中日文化賞受賞。
1954年「桃李会」結成。第1回日本伝統工芸展に出品。
1955年 東京藝術大学に陶芸科が創られ初代教授就任。
1957年黄地紅彩の上絵付が無形文化財の記録保存に認定。
1958年ブリュッセル万国博覧会にてグランプリ受賞。
1961年4月27日、重要無形文化財「色絵磁器」保持者(人間国宝)認定されます。
1962年釉裏金彩の技法を磁器に応用することに成功。
1966年 日本工芸会理事長就任。他、文化財保護審議会専門委員等を歴任。
1967年東京芸術大学名誉教授になる。紫綬褒章受章。 1968年死去。勲三等瑞宝章受章。
加藤土師萌の代表作
加藤土師萌作 黄地金襴手菊文蓋付大飾壺
親族間で秘蔵されてきた大型の磁器の壷、皇居宮殿に納めた作品の色違いで、亡くなる直前に手がけた貴重な一品です。
美濃焼の歴史に大きな功績を残した加藤土師萌先生の歴史的名品
中国・明時代の黄地紅彩を再現した加藤土師萌
加藤土師萌は色絵磁器で1961年に重要無形文化財保持者に認定されていますが、色絵以外にも金欄手、金彩、染付、辰砂、影青、織部、均窯、古瀬戸、黄瀬戸、備前、萩、釉裏金彩など、多様な技法に取り組み、幅広い制作を行った陶芸家です。
その中でも中国・明時代の五彩・金襴手・黄地紅彩などの技法を近代化した色絵磁器の作品は、多年にわたる研究の成果として芸術的にも技術的にも高く評価されています。
その加藤土師萌自身がひとつの技法にこだわらず、ありとあらゆる技法に貪欲に取り組んだのにはある深い理由がありました。
「ペーパーデザインから作陶の道に入って、いろいろな作調のものを手がけた。低温物、高温物、酸化焔、還元焔等まさに“よろずや”思いのまま、よそ目には何が目標?と思えたかもしれない。しかし、幅広く、技術を手がけた上でなければ、陶磁の本質を知ることも出来ず、結論がでない」
古陶磁の収集や鑑賞が盛り上がりを見せていた時代の中で、古陶磁の名品に学び、ひたむきに制作を行う事で、少しでも名品に近づきたいという思いが高まっていったのかも知れません。
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黄地紅彩の再現
1950年、加藤土師萌は明の時代に出現した後に途絶えていた高等な上絵技術「黄地紅彩」を約2年かけて解明・復元に成功しました。
この技法は1951年に無形文化財(人間国宝)に指定されました。
黄地紅彩とは、黄色の釉薬で全体を彩色した上から赤色の上絵の具で文様の下地にあたる部分を彩色して文様を表す技法で、中国・明時代の嘉靖年間(1522~66年)に作り出されたものです。
この技法の解明にあたっての最大のポイントは、黄釉の発色、すなわち黄釉の焼付温度が常識では考えられない1000℃であるということを発見した事です。
当時、この黄地紅彩の技法は秘密とされてきましたが、加藤土師萌は陶芸界の秘密主義に抵抗し、黄地紅彩の制作技術についての記録を原稿用紙約百枚に克明に記しました。
この記録は文化財保管委員会に保管されており、記述通りに作陶すれば黄地紅彩ができるといわれています。
先人達が何百年もの時間をかけて蓄積してきた製陶技術に対する確かな知識に基づいて制作を行うことで、伝統の厚みを付加するすることになると考えていた加藤土師萌先生の倣作への取り組みを通じて、古作における素材、技法と表現の関係を解き明かし、自らの制作に活かした作品は、現代でも貴重な資料として残され続けています。
加藤土師萌 査定価格におけるポイント
加藤土師萌の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素をあげますのでご参考にして下さい。
作品の種類
加藤土師萌先生は金彩の作品が高値の査定価格が出来ます。20万円から300万円ぐらいの買取相場です。
ぐい呑みですと5万前後になります。加藤土師萌先生は茶碗よりも壺などの大作が査定価格が上がる傾向にあります。
保存状態
茶碗や湯呑みなどは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。紅地や黄地など金襴手の作品の査定価格が、上がる傾向にあります。加藤土師萌展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
加藤土師萌先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ加藤土師萌の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
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北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
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まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
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