2024年10月12日

加藤唐九郎の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の買取りブログ

お持ちの加藤唐九郎の陶芸作品を、大切にしてくださる次のお客様へ橋渡し致します。高価買取りさせて頂きます。

 

加藤唐九郎は、近代陶芸の重要な人物であり高い人気があります。北岡技芳堂では加藤唐九郎の作品を高く評価して買い取りしています。

 

特に加藤唐九郎を代表する作品は高価買取いたします。

 

加藤唐九郎の評価の高いの陶芸作品

 

茶道具の中でも茶碗を主に作陶し、独特の品格をもつ作品を制作しております。

 

志野焼を中心に瀬戸黒、黄瀬戸、織部、粉引、刷毛目、唐津、伊賀、など、幅広い作陶作品があります。

 

加藤 唐九郎(かとう とうくろう)

 

1897年(明治30年)7月19日(戸籍上は1898年(明治31年)1月17日)〜 1985年(昭和60年)12月24日)は、日本の陶芸家、陶磁史研究家。愛知県東春日井郡水野村(現・瀬戸市水北町)出身。


桃山時代の陶芸の研究と再現に努めたが、1960年に永仁の壺事件で古瀬戸の大規模な贋作を行っていたことが発覚し、批判を受けます。事件後は公職を辞任し、作陶に専念しました。


建築物と陶磁器の組み合わせ陶壁を創出し、陶壁は唐九郎による造語である。


一ム斎、一ム、野陶、ヤト、陶玄、玄などの号も用います。 子息の岡部嶺男(長男)、加藤重高(三男)と孫の加藤高宏も同じく陶芸家です。

 

 

加藤唐九郎 鑑定 買取り 茶碗 査定

 

加藤唐九郎 本人

 

加藤唐九郎の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りして頂けますか?

 

A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りして頂けますか?

 

A.加藤唐九郎の作品は、当店が真贋を拝見させて頂き、判断させて頂きますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。

 

Q.加藤唐九郎の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りして頂けますか?

 

A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせて頂きます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?

 

A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。

 

Q.加藤唐九郎の作品は画像で査定して頂けますか?

 

A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させて頂きます。

 

Q.加藤唐九郎の作品ではありませんが買取りして頂けますか?

 

A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

経歴

 

1897年(明治30年)半農半陶で窯業を営む加納桑次郎・みと夫妻の長男・庄九郎として生まれます。幼少時より窯場になじみました。

 

1908年(明治41年)父・桑二郎が製陶業に専念し、瀬戸町乗越(のっこし、現瀬戸市窯神町)に転居する。

 

1911年(明治44年)中根塾に入門し、南画・漢籍を学びます。

 

1914年(大正3年)父の製陶工場の一部の使用権を譲り受け、本格的な作陶生活に入ります。また、この頃より父方の祖母の家系である加藤家に一家が復籍します。(祖父は当初婿養子だったが、その後元の加納姓を名乗っていました。

 

1918年(大正7年) 幼馴染であった5歳年下の妻・きぬと結婚します。「加藤庄九郎」が同業に多いことから「加藤唐九郎」と改名します。(戸籍上の改名は1927年)。この年から本格的な瀬戸系古窯の調査に入ります。

 

1929年(昭和4年)1月、瀬戸古窯調査保存会が発足し、常任理事となります。同年11月、瀬戸市祖母懐町に製作拠点を移し、本格的に志野焼や織部焼に挑戦します。

 

1933年(昭和8年) 宝雲社より出版した著書『黄瀬戸』の中で、瀬戸焼が瀬戸ではなく美濃で古くから焼かれたことを主張し、瀬戸焼の祖とされてきた加藤四郎景正の実在を疑い、少なくとも開祖ではないと結論づけます。これにより、瀬戸市民の反感を買い、自宅が焼き討ちに遭うなど大きな非難を受けました。この件を受けて瀬戸を離れます。

 

1934年(昭和9年)港区青山の私邸に「陶壁」を試行する。

 

 

陶壁 加藤唐九郎 茶碗 鑑定 買取り

 

加藤唐九郎の陶壁

 

1943年(昭和18年) 愛知県西加茂郡に築窯します。

 

1952年(昭和27年) 織部焼の技術で国の「助成の措置を講ずべき無形文化財」に認定されます。しかし、1954年の文化財保護法改正施行で制度自体が廃止されるとともに白紙となり、新設された重要無形文化財(人間国宝)には認定されませんでした。

 

1956年(昭和31年) 中日文化賞。

 

1959年(昭和34年)永仁の壷事件「永仁二年」(1294年)の銘をもつ瓶子が、鎌倉時代の古瀬戸の傑作であるとして国の重要文化財に指定されました。しかしその直後からその瓶子は贋作ではないかという疑惑がもたれていました。この瓶子は結局、2年後に重要文化財の指定を解除されることとなります。重文指定を推薦していた文部技官が引責辞任をするなど、美術史学界、古美術界、文化財保護行政を巻き込むスキャンダルとなりました。永仁の瓶子は実は陶芸家の加藤唐九郎の現代の作であったということで決着したが、事件の真相についてはなお謎の部分が残されていると言われています。

 

永仁の壷事件の壷 加藤唐九郎作といわれている

 

1960年(昭和35年)永仁の壺事件が発生し、重要文化財に指定されていた「瀬戸飴釉永仁銘瓶子」が自らの模作であると表明します。この事件を機に、日本陶磁協会や日本工芸会理事、日本伝統工芸展審査委員などの一切の公職を辞任し、作陶一本の生活に入ります。

 

1961年(昭和36年)漢学者服部担風より「一無斎」の号を贈られます。

 

 

服部担風の書 鑑定 買取り 加藤唐九郎

 

服部担風の書

 

1965年(昭和40年) 毎日芸術賞を受賞します。

 

1976年(昭和51年)財団法人翠松園陶芸記念館設立。

 

加藤唐九郎記念館(翠松園陶芸記念館) 茶碗 鑑定 買取り 査定

 

唐九郎記念館(翠松園陶芸記念館)

 

翠松園陶芸記念館(唐九郎記念館)は愛知県名古屋市守山区にあります。加藤唐九郎という陶芸家の作品が展示されている施設になります。加藤唐九郎の最高傑作といわれている紫匂い・氷柱などが所蔵されており、焼き物に関心のある方には穴場のスポットになります。こちらへは最寄り駅である名鉄瀬戸線の喜多山駅から徒歩で20分、大森金城学院前からはタクシーで3分、JR中央線の新守山駅からはタクシーで10分かかる位置にあります。

 

休館日をあらかじめ調べる事をオススメします。

 

1985年(昭和60年)12月24日、心筋梗塞のため没。享年88。戸籍上は87歳。墓所は守山区大森寺

 

 

加藤唐九郎 志野茶碗 鑑定 買取り 査定

 

加藤唐九郎 絵志野茶碗   残月

 

H9.3×D15.0cm 高台脇に掻き銘「玄」 共箱

 

1984年作 「生誕百年記念 加藤唐九郎展」出品 日本橋髙島屋他/1997年 『加藤唐九郎作品集』掲載 №38(日本経済新聞社)

 

加藤唐九郎は「一にも土、二にも土、三にも土、陶工の生活は土にあけ土にくれる土の生活だ」と桃山陶再現のために土探しにのりだし、志野、織部を中心とした茶陶を目指して“野の陶人” “炎の唐九郎”などと、言わずと知れた名匠である。

 

加藤唐九郎は明治31年1月、自称「瀬戸の水呑み百姓兼貧乏窯屋」に生まれます。幼い頃の遊びはガラガラといわれる陶片拾いで臆面もなく窯場に入り込んで土いじりに慣れ親しんだ。「学校教育は人間を駄目にする」という祖母の考えのもと、学校にはあまり行かず、陶片を集めながら加藤家再興のために陶技を徹底的に仕込まれていきます。窯のなかに組む「エブタ」(棚板のこと)を耐火粘土で造って生計を立てていました。 70年に及ぶ作陶生活を送り、多くの古窯址の発掘調査に明け暮れた加藤唐九郎は、「土を食べて」制作に励みました。

 

製陶技術は優れ、土や釉薬に関する豊富な知識、穴窯・登窯での焼成の研究成果を基に桃山期の黄瀬戸・志野・織部・瀬戸黒を現代に甦らせました。また医者のカルテからヒント得て、カード化して整理されたおびただしい研究メモを『 陶器大辞典 』に生かすなど陶磁器の研究者としてもその名を後世に残しました。

 

 

原色陶器大辞典 加藤唐九郎 淡交社 茶碗 買取り

 

原色陶器大辞典 加藤唐九郎 淡交社

 

日本陶芸界の重鎮として活躍、昭和を代表する陶芸家の一人として知られる加藤唐九郎が精魂を込めてまとめ上げた辞典です。

 

総項目数は約1万にのぼり、技術・史実・鑑賞の各分野にわたって「やきもの」のすべてを収録しています。写真、イラストをふんだんに配し、視覚的にも理解しやすい内容となっています。とても、楽しい本です。 陶芸を志している人だけでなく、器が好きな人、茶道や華道をたしなんでもいる人にもお勧めいたします 。

 

加藤唐九郎の代表するエピソードとして山田風太郎が「この事件の後、重要文化財級の作品を作れる男として加藤の名声はかえって高くなった」と自著で述べているように、批判のみならず高い技量を評価する意見も見られました。

 

岡部嶺男は、父の加藤唐九郎とは不和で、永仁の壺事件を機に決裂し、のちに妻の実家の岡部姓を名乗るようになりました。

 

孫の加藤高宏 1972年名古屋市生まれの陶芸家です。 父は唐九郎の三男で陶芸家 加藤重髙 (1927年~2013年)、 そして叔父に唐九郎の長男で孤高の陶芸家と言われた 岡部嶺男 (1919年~1990年)を持つ、 現代陶芸界のサラブレットです。

 

加藤唐九郎の鑑定:買取りについて

 

加藤唐九郎の作品は、日本の陶芸界で非常に高い評価を受けており、買取市場でも人気が高い作家の一人です。そのため、作品の鑑定や買取については、特別に高額買取りが期待できます。

 

当店では、鑑定や買取りについて詳しく説明させて頂きます。長年見てきた評価判断がありますので、納得のいく査定を提供する事が出来ます。

 

加藤唐九郎の作品は、陶芸技法や焼成の微妙な違いにより、1点1点が個性的で、同じ種類の器でも価値に大きな差が出ることがあります。

 

加藤唐九郎の作風や技術の見極め

 

加藤唐九郎は、志野焼、黄瀬戸、織部焼、瀬戸黒の復興に尽力し、彼自身の独自の芸術に到達しました。

 

彼の作品の制作した時期、焼き上がり加減、釉薬の使い方や出方、轆轤の形状や模様などを詳しく鑑定することが価値を決定するポイントとなります。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
 
 
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
 
 
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
 
 
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
 
 
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
 
 
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
 
 
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
 
 
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