2019年3月9日
小杉放庵の書 先一杯
小杉放庵の書
先一杯
お酒やお茶をどうぞ!
喫茶去と同じ意味でしょうね。
ユーモラスでいて品格のある花鳥画や人物画を描き、紙にもごだわり、越前和紙を使用、放庵の注文した紙は、放庵紙といわれている。
晩年のサインは、印に腰掛けるように書くことから「腰掛落款」といわれたていて書、画、いずれも独特の境地に達し、晩年になるほど洗練された画境に達する。
経歴
明治14年12月30日生
昭和39年4月16日没
二荒山神社宮司の六男として生まれる
16歳の時、洋画家五百城文哉の内弟子となる
明治33年吉田博に感化され上京
小山正太郎の不同舍に入る。未醒と号する
明治35年太平洋画会会員
明治40年「方寸」同人
明治41年文展初入選。のち受賞を重ねる
大正2〜3年渡欧
大正3年日本美術院を再興、洋画部同人となる
大正9年院展を脱退
大正11年春陽会を結成し、以後、日本画の制作が中心となる。
大正6年から、放庵
昭和4年から放菴を名乗る
昭和10年帝国美術院会員
(のち日本芸術院会員)
昭和20年戦災のため新潟県赤倉に移住
平成9年出身地である日光市に小杉放庵記念美術館が開館
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