2019年1月28日
雪中筍の図
何じゃこのおっさん!
大雪の日に竹の子掘りに出かけて竹の子を見つけとるぞ!
そんな事あるわけないだろ!ふざけてない?
と思って故事を調べたところ、ありました。
三国時代、呉の孟宗が冬に竹林に入って哀歎したところ、母の好む筍を得たという楚国先賢伝(雪中の筍)の故事。
1.(有り得ないもののたとえ)
2.(得がたいもののたとえ)
3.(孝心の深いたとえ)
二十四孝の一つ
日本の竹類の中で最大の孟宗竹の由来の人物みたいですね。
親不孝者の私には頭の痛い図柄ですが、作品をじっと見ているとなんだか笑っちゃいけないが笑えてくる。ちょっとボケ気味のわがままな母さんが、桜が見たいとか西瓜が食べたいとか言ったら孟宗さんはどうするんだろう?
大雪なのに筍がとれた。
賀茂季鷹の歌
「雪のうちの筍の子の孝行は、千歳の後もうもれざりける」
賀茂季鷹の歌(部分)
月岡雪斎の描いた雪中筍の図
全体像
=作者紹介=
賀茂季鷹 かもの-すえたか
1754-1841 江戸時代中期-後期の神職,歌人。
宝暦4年2月6日生まれ。有栖川宮職仁(ありすがわのみや-よりひと)親王に歌をまなび,江戸で加藤千蔭(ちかげ)ら文人,歌人とまじわる。京都にかえり上賀茂神社の祠官をつぐ。書,狂歌もよくした。天保(てんぽう)12年10月9日死去。88歳。京都出身。本姓は山本。号は生山,雲錦。歌集に「雲錦翁家集」「みあれの百くさ」など。
月岡雪斎 つきおか-せっさい
不明ー1839 江戸時代後期の画家。
月岡雪鼎(せってい)の長男。近江(滋賀県)の人。父および吉村周山にまなぶ。天保10年2月1日死去。名は秀栄。字(あざな)は太素。
人物画や花鳥画を得意としていたが、特に肉筆美人画にその手腕を発揮し、雪斎による美人画は父雪鼎より練達した筆致で描かれたといわれている。法橋期は美人画を雪鼎譲りの豊麗さと可憐の風情で描いたが、法眼期になると当世美人に加え古典的主題を得意とするようになった。子に雪操と雪洞、門人に弟の月岡雪渓がいる。雪斎の養子になったとされるのが月岡芳年である。