2025年2月18日

土田麦僊の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ

御所蔵の土田麦僊の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

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土田麦僊の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の土田麦僊のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた土田 麦僊の作品を鑑定して買取りいたします。

 

絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の土田麦僊の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

土田麦僊 舞妓林泉 1924年

土田麦僊 舞妓林泉 1924年

 

 

土田麦僊は、京都日本画壇を代表する画家の一人であり、日本、中国の古画と西洋絵画を統合して、内なる理想美の世界を開いた点で、近代日本画に多大な影響を与えました。土田麦僊の生涯や作品については、土田麦僊が主導した芸術運動である国画創作協会との関係については従来あまり取り上げられておらず、なお検討の余地を残しているように思われます。

 

土田麦僊は国画創作協会の中心人物としてどのような作品を出品したのか、土田麦僊は、統制された構成、線と色との諧調の優美を成すが、「主観」「生命」の表れが弱いと批判されており、土田麦僊の造形志向と自然に没入した内面的人間性を希求する国画創作協会の精神とは隔たりと矛盾が生じていました。  

 

国画創作協会は、大正 9 年の第三回展開催後は、土田麦僊、小野竹喬、野長瀬晩花の欧州遊学のため 3 年間 休止されており、大正13年の第四回展から昭和 3 年の第七回展までは後期とみなされます。

 

土田麦僊は会員の中では最も長期にわたる大正10~大正12年間に欧州に遊学し、そこで「表面描写」「細かな写生画」を離れた、構図、色、形の造形性をより強く意識した。そのため、土田麦僊と国画創作協会との芸術観の乖離は、後期国画創作協会においてとりわけ顕著であるように 見受けられます。  

 

 

土田麦僊 ヴェトゥイユ風景 1922年

土田麦僊 ヴェトゥイユ風景 1922年

 

このような後期国画創作協会における土田麦僊は、村上華岳、入江波光、榊原紫峰らとの会員相互間の確執があらわになり、さらに、入江波光風の写実表現に対して「悪写実」として否定したことが指摘されています。この 問題に関しては、土田麦僊が写実に対してどのような捉え方をしていたのか、日本画をどのように考えていたのかを今後も検討するべきであろう。

 

国画創作協会の解散に至った要因の一つとして、先に述べた経済状況の悪化に加えて、会員相互間の確執が挙げられます。国画創作協会の解散に至る経緯を整理し、土田麦僊がいかに国展の解散に関わったのか。  土田麦僊と会員との確執に関して、まず、前期国が国画創作協会と後期国画創作協会の間にあった欧州遊学が、会員ならびに若い出品作家たちとの溝を深めたことが指摘される。

 

国画創作協会の画家のうち遊学を経験したのは、創立会員では土田麦僊、小野竹喬、野長瀬晩花のみであった。もとは村上華岳と榊原紫峰も参加し、創立会員全員で遊学する予定であったのが、榊原紫峰は妻を病気の為、村上華岳は喘息の発作を起こした為、参加を断念しました。

 

彼らの不参加は偶然の要素によるが、このことは会員間の溝を深めました。また、絵専に勤めていた入江波光、中井も京都市からの派遣により遊学できたが、若い会員たちのなかで遊学できたのは偶然義兄の援助が得られた吹田草牧のみでした。

 

 

土田麦僊 香魚 鮎

土田麦僊 香魚 

 

 

このとき国画創作協会は一部会員の欧州遊学のため 3年間休止しており、若い世代の画家たちの国展に対する信頼を裏切るものであったとされます。  さらに、滞欧期間は各々異なり、1921年の大正10年に10月 4 日に土田麦僊、小野竹喬、野長瀬晩花は共に神戸港を出発したが、小野竹喬、野長瀬晩花は 1 年も滞在せず1922年の大正11年中に帰国した。一方で、土田麦僊は1923年の大正12年まで約 1 年半欧州に滞在しました。

 

この間に、1922年の大正11年入江波光、中井、 草牧が日本から出発し、1923年の大正12年に中井、入江波光、草牧の順で帰国しました。入江波光は滞欧中に家族に不幸があり帰国を早めたが、このような滞欧期間の違いは経済状況の違いにもより、 土田麦僊は滞欧期間の長さ、あるいは欧州でセザンヌやルノワールらの作品を購入したことからも、 最もブルジョワであったことがうかがえます。

 

おそらくこのような経済格差もあり、土田麦僊の遊学中の振る舞いは、土田麦僊に対する周囲の不満を募らせたようであります。土田麦僊の遊学時におけるフランス女性アンリエットとの恋愛については、美術雑誌でも取り上げられて大きな話題となっていたことがうかがえ、厳格な性格の入江波光は土田麦僊の奔放な振る舞いに対して反感を抱いたと考えられます。

 

 

土田麦僊 紅葉小禽

土田麦僊 紅葉小禽

 

会員相互間の確執をめぐって、芸術観の違いについて検討を加えます。国画創作協会の創立会員(第一回展から会員となった入江波光を含む)は、二派に大別されてきた。 まず、土田麦僊、小野竹喬は竹内栖鳳、野長瀬晩花は谷口香嶠の塾生であり、絵専では別科生、村上華岳、榊原紫峰、 入江波光は京都市立美術工芸学校出身の本科生という差異があり、このことが国画創作協会に不協和音を成したことが指摘されます。

 

土田麦僊、小野竹喬、野長瀬晩花は「塾派」、村上華岳、榊原紫峰、入江波光は「学校派」と称されました。  彼らの後期国画創作協会における活動をみると、村上華岳は第五回展を最後に第六回展以降は出品せず、 画壇との交渉を絶ちました。入江波光は第六回展に、野長瀬晩花は第七回展に出品していません。さらに、国画創作協会の解散後は、村上華岳、榊原紫峰、野長瀬晩花は画壇との交渉を断ち、入江波光も展覧会を離れて模写に打ち込みました。

 

一方で、土田麦僊、小野竹喬は第四回展から第七回展まで毎年出品している。解散後は、土田麦僊、小野竹喬は 官展に復帰し、土田麦僊は1934年の昭和11年帝国美術院会員、小野竹喬は1947年の昭和22年、日本芸術院会員となり1976年の昭和51年文化勲章を受章しました。

 

土田麦僊 鮭と鰯

土田麦僊 鮭と鰯

 

このことからは、土田麦僊、小野竹喬らの竹内栖鳳門下生としての立場と、村上華岳、榊原紫峰、入江波光ら「学校派」の半ば職人的な立場とは、展覧会に対する志向、画壇における位置が異なり、「学校派」は第五回展以降国画創作協会に対する熱意が萎えていたことがうかがえます。美工は、京都産業の徒弟として、半ば芸術家、半ば職人の養成を志していました。

 

 

土田麦僊 本人

土田麦僊 本人

 

 近頃私自身の心持ちが自分の仕事に興味を持ちだして来る程非常に隠遁的になってゐるものだから今かうして何かお話ししやうとすることも内心可成り心苦しい思ひである。自分の作品に就いても、丁度藤原、弘仁時代の佛畫工か或ひは徳川時代の人形師のやうに、自分といふものを露骨に表はさない、影の仕事で満足してゐたいと思つてゐる。随分無用氏されており或ひは工藝視されてゐるやうな職人的な仕事にすら興味を持つてゐるのである。で、そのために展覽會といふやうな、對人的なあはたゞしい發表機關に依つて發表したいといふ慾望がそれ程ない。(中略)もう繪具がすぐに剥落してしまふとか或ひは變色してしまふといふやうな、おざなりの仕事よりもつと永久的な仕事にゆつくり取掛かりたいといふ希望を持つてゐる。

 

 

 

土田麦僊の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.土田麦僊の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.土田麦僊の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.土田麦僊の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.土田麦僊の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.日本画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります

 

 

土田麦僊の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.土田麦僊の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

土田麦僊 査定価格におけるポイント

 

土田麦僊の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

土田麦僊先生の作品は、舞妓の作品に高値の査定価格がつきます。

 

10万円から60万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

土田麦僊の作品、渡欧時のヨーロッパの風景の作品が評価されます。

 

小禽が描かれていると評価されます。

 

色紙サイズでも図柄が良ければ高値で取引されます。

 

土田麦僊展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

土田麦僊の作品は、晩年の作品が、高値で取引されております。

 

※このように同じ土田麦僊の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

 

 

土田麦僊略 略歴

 

 

明治20年
2月新潟県佐渡郡に生れる。麦僊名は金二、

明治35年
16歳で上洛します。

 

明治36年
17歳、鈴木松年の門に入ります。

 

明治37年
18歳で、竹内栖鳳の門に移ります。

 

明治38年
19歳、新古美術品展第10回「清暑」4等賞

 

明治39年
20歳、新古美術品展第11回「残陽」3等賞

 

明治40年
21歳、新古美術品展第12回「春の歌」2等賞1席

 

明治41年
22歳、文展第2回「罰」3等賞

 

明治42年
23歳、絵画専門学校入学します。

 

明治42年
23歳、新古展第14回「徴税日」2等2席

明治43年
24歳、新古展第15回「春山霞壮夫」2等2席

 

明治44年
25歳、京都絵専選科卒業します。

 

明治44年
25歳、 文展第5回「髪」褒状

 

大正元年
26歳、文展第6回「島の女」褒状、「冬」

 

大正2年
27歳、文展第7回「海女」

 

大正3年
28歳、文展第8回「散華」褒状

大正4年
29歳、文展第9回「大原女」3等賞

 

大正5年
30歳、文展第10回「三人の舞妓」

 

大正6年
31歳、文展第11回「春禽趁晴」

 

大正7年
32歳、1月国画創作協会組織。国展第1回「湯女」

 

大正8年
33歳、国展第2回「三人の舞妓」

 

大正9年
34歳、 国展第3回「春」

 

大正10年
35歳、秋西欧美術巡礼に旅立ちます。

 

大正12年
37歳、3月帰朝します。

 

大正13年
38歳、国展第4回「舞妓林泉図」

 

大正14年
39歳、国展第5回「罌栗」、「鮭と鰯」、「舞妓」、「大原女」

 

大正15年
40歳、聖徳太子奉讃展出品「鶉」

 

昭和2年
41歳、国展第6回「大原女」

 

昭和3年
42歳、国展第7回「朝顔」、7月国画創立協会解散。

 

昭和4年
43歳、帝展第10回「罌栗」

 

昭和5年
44歳、帝展11回「明粧」、審査員任命。七弦会第1回展「蓮華」、「麗日」

 

昭和6年
45歳、帝展第12回「娘」。七弦会第2回展「舐瓜図」「菊」。瓜図(久迩宮家御所蔵)

 

昭和7年
4歳、第13回帝展審査員任命。七弦会第3回展「黄蜀葵」

 

昭和8年
47歳、帝展第14回「平牀」。清光会第1回展「芍薬」、「菊」。七弦会第3回展「山茶花」

 

昭和9年
48歳、帝展第15回「燕子花」。10月20日帝国美術院会員任命。

 

昭和10年
49歳、春虹会第1回展「舞妓」。清光会第3回展「蓮」、「舞妓」。七弦会第5回展「歌妓図」。秋渡鮮。「妓生の家」画稿成る。

 

昭和11年
50歳、「妓生の家」製作中罹病。5月27日大学病院入院。6月10日逝去 享年50。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

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