2024年12月26日

東山魁夷の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ

所蔵の東山魁夷の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

東山魁夷の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、東山魁夷の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

東山魁夷の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の東山魁夷のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた東山魁夷の作品を鑑定して買取りいたします。

 

絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の東山魁夷の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

東山魁夷 本人

東山魁夷 本人

 

 

明治41年、横浜に生まれた東山魁夷は、東京美術学校を卒業してからドイツ留学します。その後、太平洋戦争への応召、肉親の相次ぐ死といった試練に見舞われるが、そうした苦難のなかから風景の美しさに開眼していきます。

 

戦後はおもに日展を舞台に活躍しました。自然と真摯に向き合い、思索を重ねながらつくりあげられた岩絵具で描く日本画の芸術世界は、日本人の自然観や心情までも反映した普遍性を有するものとして高く評価されています。

 

 

 

東山魁夷 白馬の森

東山魁夷 白馬の森

 

天国から来たのか、白馬は神秘的で妖精のようである。

 

 

白い馬は心の祈り

私は風景の中に人物や動物を描き入れた作品は殆ど無いと言ってよい位でしたが、不思議なことに、昭和四十七年の主な展覧会に発表した作品には、白い馬が小さく見えているのです。 この絵もその中の一つですが、その年の日展に出品した大作であります。 ここに描かれた白い馬も、森の木立ちも、現実なものではなく、私の空想から生まれたものです。 さて、この馬は何を表しているのかと、時々、人から聞かれたことがあります。 私は「白い馬は私の心の祈りです」と答えるだけで、見る人の想像にまかせてきました。 あなたは、どのように感じられるでしょうか。

「東山魁夷館所蔵作品集Ⅰ/信濃新聞社」

 

 

 

東山魁夷の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.東山魁夷の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.東山魁夷の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.東山魁夷の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.東山魁夷の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.日本画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

 

東山魁夷 略歴

 

1908年
明治41年7月8日、横浜に生まれる。本名新吉。

 

1911年
父が船具商鈴木商店横浜支店長を退職し、神戸に移住したのに伴い転居。兵庫県立第二神戸中学校を卒業。

1926年
(大正15)年東京美術学校日本画科に入学。小堀鞆音、川合玉堂、結城素明らに師事します。同級生には橋本明治、加藤栄三、山田申吾らがいます。

 

1929年
在学中、昭和4年第10回帝展に「山国の秋」で初入選。翌年第11回帝展に「夏日」で入選し、以後、官展に出品を続けます。在学中、実家のあった神戸に隠棲していた村上華岳の人と作品に惹かれます。

 

1931年
東京美術学校日本画科を卒業して同研究科に進学。この頃からドイツ留学を志し、翌年からドイツ語を学びます。

 

1933年
東京美術学校研究科を修了し、同年秋よりベルリンに滞在します。

 

1934年
ベルリン大学哲学科美術史部に入学し、ドイツ・イタリア中世からルネサンスの美術史およびキュンメル博士による日本美術史の講座を聴講する。35年、父危篤の報を受け、1年間残っている留学を断念して帰国します。

 

1936年
帝展に出品するが落選。同年の第1回新文展に「高原秋色」で入選し、以後同展に出品を続ける。39年第1回日本画院展に「冬日(三部作)」を出品して日本画院賞第一席を受賞。

 

194年、1941年と同展で3年連続同賞を受賞します。

 

1940年
11月日本画家川崎小虎の長女すみと結婚します。

 

1943年
北京にいる友人の勧めにより奉天、承徳を経て北京へ旅行し、京城を経由して帰国します。

 

1944年
から1945年まで山梨県、岐阜県、長野県などに疎開します。

 

1945年
末から千葉県市川市に居を定めます。

 

1946年
第1回日展に出品するが落選し、同年の第2回日展に「水辺放牧」で入選を果たします。

 

1947年
第2回日展に「残照」を出品して特選となります。この作品の制作を契機として風景画に専念することを決意します。

 

1950年
第6回日展に出品した「道」により、画壇における地位を確立するとともに、社会的知名度も高まりました。

 

1955年第11回日展に「光昏」を出品し、この作品により翌年第12回日本芸術院賞を受賞します。

 

1959年
宮内庁から東宮御所の壁画制作を依頼され翌年「日月四季図」が完成します。

 

1962年
4月から7月にかけてデンマーク、スウェーデン、ノルウェ一、フィンランドを写生旅行し、北欧の風景に自己の根源に響き合うものを見出す。

 

1963年
杉山寧、高山辰雄、西山英雄、山本丘人とともに五山会を設立します。

 

1965年
日本芸術院会員となる。

 

1968年
皇居新宮殿の大壁画「朝明けの潮」を完成。翌年この制作と東山魁夷展の業績により第10回毎日芸術大賞を受賞し、この受賞を記念して「東山魁夷展」(毎日新聞社主催、大丸神戸店、大丸大阪店)が開催されます。同年春から秋にかけてドイツ、オース卜リアを旅行。同年11月文化勲章を受章し、また、文化功労者として顕彰されます。

 

1971年
唐招提寺障壁画制作を受諾し、唐招提寺と鑑真についての研究を始め、山と海を主題に選んで「山雲」「涛声」1975年に完成します。

 

1975年
唐招提寺障壁画習作展をパリ吉井画廊、ドイツ・ケルン日本文化開館で開催のため渡欧します。

 

1976年
中国を訪れ、北京、西安、南京、桂州などを歴訪する。この旅以降、水墨表現が試みられ、その成果が青を基調とする彩色画にも認められるようになる。1970年代後半からは、大規模な展覧会を相次ぎ開催します。

 

1978年
千葉県立美術館で「東山魁夷展」

 

1979年
東ベルリン国立美術館およびライプチヒ造形美術館で東山魁夷展開催。

1981年
東京国立近代美術館で「東山魁夷展」

1983年
西ドイツのミュンヘン・フェルカークンデ美術館、デュッセルドルフ・クンストハレ美術館、ブレーメン・ユーバーゼー美術館を東山魁夷展が巡回。

1988年
代表作80点による「東山魁夷展」が京都市美術館、名古屋市美術館、兵庫県立近代美術館を巡回します。

 

1989年
平成元年西ベルリン、ハンブルグ、ウィーンで東山魁夷展が開催します。

 

1993年
「東山魁夷―青の世界―展」が北海道立近代美術館、名古屋松坂屋美術館、姫路市立美術館で開催され、年譜、文献目録は同展図録に詳しい。その画業は、初期から人のいない風景画を中心に展開され、対象の再現描写を離れて、画面を独立した平面として形や色彩で構成し、心象を表現する姿勢に貫かれていた。学生時代から写生に訪れた長野県に自作、画集など約650点を寄贈します。

 

1990年
長野市城山公園に長野県信濃美術館東山魁夷館が開館した。文章もよくし、著書に『東山魁夷画文集』全10巻(新潮社1978―1979年)などがあります。 

 

1999年
日本芸術院会員、文化勲章受章者日本画家東山魁夷は、5月6日午後8時、老衰のため東京都中央区の聖路加国際病院で死去した。享年90。

 

 

 

 

東山魁夷 夕星 絶筆 1999年

東山魁夷 夕星 絶筆 1999年

 

夢の中の風景画は、どこかにありそうでどこにもない風景を作り上げた。

 

これは何処の風景と云うものではない。そして誰も知らない場所で、実は私も行った ことが無い。つまり私が夢の中で見た風景である。 私は今迄ずいぶん多くの国々を旅し、写生をしてきた。しかし、或る晩に見た夢の中の、この風景がなぜか忘れられない。たぶん、もう旅に出ることは無理な我が身に は、ここが最後の憩いの場になるのではとの感を胸に秘めながら筆を進めている。

「東山魁夷未発表原稿」

 

 

 

東山魁夷の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.東山魁夷の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

東山魁夷 査定価格におけるポイント

 

東山魁夷の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

東山魁夷先生の作品は、風景の作品は小さくても高値の査定価格がつきます。

 

500万円から2000万円ぐらいの買取相場です。版画は5万から100万が相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

東山魁夷の作品は晩年の作品が評価されます。

 

魁夷のサインが入ってる画に高値で取引されます。白馬があると高値です。

 

東山魁夷展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

東山魁夷先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ東山魁夷の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

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