2024年12月20日

片岡球子の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ

御所蔵の片岡球子の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

片岡球子の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、片岡球子の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

片岡球子の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の片岡球子のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた片岡球子の作品を鑑定して買取りいたします。

 

絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の片岡球子の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

片岡球子は1905年1月5日、北海道札幌区(現札幌市)に8人兄弟の長女として生まれました。医師を目指した片岡球子は勉学に励みながら、北海道庁立札幌高等女学校の補習科師範部へと進学をします。

 

しかし、卒業時に友人から受けた言葉を機に画家を志すことにして上京し、東京にある女子美術学校(現女子美術大学)に入学します。同時に、官展で活躍していた日本画家の吉村忠夫に師事しながら、日本画を学んで行きました。

 

 

 

片岡 球子 花咲く富士

片岡 球子 花咲く富士

 

 

「富士」や「面構」の連作で独創的な世界を描きあげた日本画家の片岡球子は、伝統的な日本画の精神は受け継ぎながら、情熱的な色彩と力強い画風で従来の日本画の常識を覆しました。

 

18歳から日本画の道に入り、帝展で落選をし続けた後、27歳で院展に初入選するもその後は落選が続きます。「落選の神様」と呼ばれるなど長い期間苦悩をします。

 

片岡球子の個性が発揮されたのは戦後に入ってからでした。諦めることなく己の画風を完成させていった片岡球子は、強い信念で日本画を描き続けた人生でした。

 

 

片岡球子 鶴釜前 三代目豊国 改名国貞 1976年

片岡球子 鶴釜前 三代目豊国 改名国貞 1976年

 

片岡球子の日本画作品は、独創的な構図と原色を多用した鮮やかな色彩で知られています。 大胆な構図で「ゲテモノ」と呼ばれた時期もありましたが、伝統的な日本画の枠を超えた新しい表現を追求して、特に「面構」シリーズや「富士山」シリーズで高い評価を受けております。

 

 

 

片岡球子の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.片岡球子の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.片岡球子の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.片岡球子の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.片岡球子の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.日本画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

片岡球子 略歴

 

1905年
北海道札幌市に生まれます。

 

1923年
女子美術専門学校(現:女子美術大学)日本画学科高等科に入学します。

 

1921年
女子美術大学を卒業、横浜市立大岡小学校の教師をしながら画業を続けます。

 

1927年
初めて帝展(帝国美術院展覧会)に出展するが落選、その後も落選が続くきます。

 

1930年
日本美術院展(院展)に出展、初入選を果たします。

 

1939年
院展に入選し、日本美術院院友に推挙されます。

 

1942年
日本美術研究会に出品した作品が大観賞を受賞、以降受賞が続きます。

 

1944年
学童疎開により小田原・浄永寺に寄宿。

 

1955年
小学校を退職し母校である女子美術大学日本画科助教授となります。

 

1962年
初のヨーロッパ旅行へ、イギリス・フランス・イタリアを訪れます。

 

1965年
日本国際美術展に出展、神奈川県立近代美術館賞を受賞。

 

1966年
女子美術大学の客員教授となる、 愛知県立芸術大学絵画専攻の主任教授に迎えられます。

 

1967年
サンパウロ・ビエンナーレの出品作家のひとりに選ばれます。

 

1978年
神奈川文化賞を受賞。

 

1982年
日本芸術院会員に選ばれます。

 

1989年
文化勲章を受賞します。

 

1993年
愛知県立芸術大学で20年かけて制作していた作品が完成します。

 

2008年
ご逝去 (103歳)

 

 

 

 

片岡球子 渇仰

片岡球子 渇仰(かつぎょう)

 

「渇仰」

《渇いた者が水を切望するように、仏を仰ぎ慕う意》

1 深く仏を信じること。「随喜渇仰の念」

2 心からあこがれ慕うこと。「恩人を渇仰してやまない」

 

 

 

片岡球子の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.片岡球子の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

片岡球子 査定価格におけるポイント

 

片岡球子の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

片岡球子先生の作品は、富士山の作品は小さくても高値の査定価格がつきます。

 

100万円から600万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

片岡球子の作品は晩年の作品が評価されます。

 

赤富士の作品が高値で取引されます。

 

片岡球子展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

片岡球子先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ片岡球子の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

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