2024年12月11日
坂高麗左衛門の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の坂高麗左衛門の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
坂高麗左衛門の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、坂高麗左衛門の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。
坂高麗左衛門作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の坂高麗左衛門のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた坂高麗左衛門の作品を鑑定して買取りいたします。
陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の坂高麗左衛門の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
萩焼の開祖、初代 坂高麗左衛門〔李敬〕作 古萩粉引茶碗
初期の萩焼茶碗には古格があり古い茶室で茶を入れたくなる。
坂高麗左衛門の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.坂高麗左衛門の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.坂高麗左衛門の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.坂高麗左衛門の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.坂高麗左衛門の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
坂高麗左衛門の歴史
坂 高麗左衛門(さか こうらいざえもん)は、山口県萩市の萩焼窯元、坂窯の当主が代々襲名しています。陶芸作家としての名跡で、当代は14代、坂窯は、毛利輝元によって萩に連れてこられ、兄李勺光と共に萩焼を創始した朝鮮人陶工の李敬を初代としており、三輪休雪の三輪窯と共に萩藩の御用窯を務め、萩焼の本流を代々受け継いでいた家柄でした。
毛利氏が萩に城を移した後、萩城下松本村に開窯、二代藩主毛利綱広より高麗左衛門の名を賜ります。以来、初代より坂高麗左衛門と名乗ります。
初代坂高麗左衛門(李敬、1568年 – 1643年)
二代助八は1668年(寛文八)没、五十五歳。
三代新兵衛は1729年(享保一四)9月没、八十二歳。
四代新兵衛は1748年(寛延元)11月没、六十二歳。
五代助八は1769年(明和六)2月没、四十八歳。
六代新兵衛は1803年(享和三)1月没、六十五歳。
七代助八は1824年(文政七)3月没、四十二歳。
八代新兵衛は1877年(明治一〇)3月没、八十二歳。
大正時代の坂窯の当主は九世と十代の二代の継ぎ目にあたります。九世の坂高麗左衛門は、大正十年に亡くなり、この跡を十代の高麗左衛門が継いでいます。
従いまして、大正期は、九代と十代の作品が混在しています。しかし、九世の活動期間は明治がその大部分を占め、また、十代は、昭和の前半を中心として活躍しており作品をはっきり判別するのは難しいです。
九代坂高麗左衛門道輔は1921年(大正一〇)8月没。
十代坂高麗左衛門
十代坂高麗左衛門は九代坂高麗左衛門の次男として山口県萩市に生まれました。本名を秀輔、号を韓峯といいます。
1909年
明治42年に山口県立萩中学校を中退し、父に師事して作陶に従事しました。
1914年
大正3年、大正博覧会に出品した「ガマ仙人置物」が宮内省に買い上げられました。
1915年
大正4年、大正天皇御即位奉祝品として萩町献上の「花瓶一対」を制作しました。
大正天皇御大典記念京都博覧会に出品した「菓子鉢」が宮内省に買い上げられました。
1916年
大正5年、「福禄寿置物」が宮内省に買い上げられました。
1920年
大正9年、李王世子殿下御婚儀奉祝品に山口県献上の「高砂尉」と「姥置物」を制作しました。
1921年
大正10年、十代坂高麗左衛門を襲名しました。
1922年
大正11年、皇太后陛下が香椎御参宮の際に「置物」が買い上げられました。平和記念東京博覧会に出品した「水指」が宮内省に買い上げられました。
1924年
大正13年、今上天皇御成婚奉祝品として萩町献上の「高砂尉」と「姥置物」を制作しました。北白川宮大妃殿下が萩町行啓の際に「番茶器」と「湯沸」と「水注」を買い上げられました。
1925年
大正14年、秩父宮殿下が山口県行啓の際に萩町献上の「抹茶碗一対」を制作しました。万国装飾美術工芸パリ博覧会で銀牌を受賞しました。伏見宮博義王殿下が萩港入港御上陸の際に萩町献上の「花瓶」を制作しました。
1926年
大正15年、摂政宮殿下が萩町行啓の際に萩町献上の「大花瓶」を制作しました。聖徳太子展覧会委員を委嘱され、総裁久邇宮より「香合」を授かりました。
1928年
昭和3年、天皇陛下御即位御大典奉祝として個人献上を許されました。
1931年
昭和6年、梨本宮殿下が山口県行啓の際に武徳会山口支部献上の「大花瓶」を制作しました。
1938年
昭和13年に竹田宮大妃殿下が山口陸軍病院戦傷病将士御見舞の際に、山口県献上の「大花瓶」を制作しました。
1939年
昭和14年、朝香宮殿下が県下軍需工場巡視の際に山口県献上の「大花瓶」を制作しました。
1943年
昭和18年、工芸技術保存資格者として選定されました。
1946年
昭和21年、高松宮殿下が萩市行啓の際に萩市献上の「抹茶碗」を制作しました。
1947年
昭和22年、天皇陛下が山口県行啓の際に山口県献上の「天人風炉」と「富士釜」を制作しました。江戸時代からの萩焼宗家という厳しい鍛錬の中で名実共に重みある伝統を継承しました。誰に対しても分け隔てなく接した人柄の良さは皆からこよなく慕われました。
十一代坂高麗左衛門
十一代坂高麗左衛門は林利作の三男として山口県に生まれる。本名信夫、号を韓峯。
1941年
昭和16年に帝国美術学校(現:武蔵野美術大学)を卒業し、山口県立大津中学校に美術講師として勤務
1948年
昭和23年、十代坂高麗左衛門の次女と結婚し、江戸時代からの萩焼宗家に入る。
山口県立大津高等学校の退職後は義父に師事して作陶の道に進む。
1956年
昭和31年、千家同門会山口県支部理事を就任。山口県美術展で知事賞を受賞。
1958年
昭和33年、十一代坂高麗左衛門を襲名。
1965年
昭和40年、萩市文化財審議会委員、萩市観光審議会委員を委嘱。
1967年
昭和42年、第一回杉道助文化奨励賞を受賞。
1968年
昭和43年、一水会賞を受賞し、一水会正会員となる。
1969年
昭和44年、山口県美術展審査員を委嘱。
1970年
昭和45年、奈良東大寺の晋山式の際に抹茶碗400個を献納する。
1971年
昭和46年、日本工芸会正会員となる。
1973年
昭和48年、福岡県美術展審査員を委嘱されました。山口県芸術文化振興奨励賞を受賞しました。
1974年
昭和49年、福岡県美術展審査員を委嘱する。
1975年
昭和50年、山口県指定無形文化財に認定される。
十二代坂高麗左衛門
山中關の長男として東京都に生まれました。本名を達雄、号を熊峰といいます。
1978年
昭和53年、東京芸術大学大学院日本画専攻を修了しました。
1982年
昭和57年、十一代坂高麗左衛門の長女と結婚し、江戸時代からの萩焼宗家に入ります。
1983年
昭和58年に京都市工業試験場の研修を修了し、
1984年
昭和59年より萩で作陶活動を開始します。
1988年
昭和63年、十二代坂高麗左衛門を襲名しました。
1994年
平成6年、日本工芸会正会員となりました。十一代に続いて十二代も婿養子として萩焼宗家の伝統ある坂家に入り、伝統を受け継ぐと共に新風を吹き込みました。日本画を基礎とし、萩焼に上絵付けを施した独自の作風を展開しました。
2004年
坂窯当主、十二代高麗左衛門まで窯が継承されました。しかし、十二代の坂高麗左衛門が2004年7月26日に会合の後、酩酊状態で自宅に戻ったあと、自宅からの転落事故による脳挫傷のため突然死去し、以後約7年坂高麗左衛門の名跡は空位だったが、2011年4月に十一代の四女(十二代の義妹)が十三代高麗左衛門を襲名することになった。女性が坂高麗左衛門の名跡を継承するのは史上初めてのことです。しかし、2014年11月18日に肺炎のため死去しました。2022年6月23日、十三世の長男・坂悠太が十四代を襲名。
十三代 坂高麗左衛門 1952(昭和27)年~2014(平成26)年 十三代坂高麗左衛門は十一代坂高麗左衛門の四女として生まれました。 本名を純子といいます。 2011(平成23)年、十三代坂高麗左衛門を襲名しました。
十四世 坂 高麗左衛門 萩茶碗
十四世 坂高麗左衛門は、坂高麗左衛門窯を継承する陶芸家で、坂家伝統の古格を受け継いだ作品を制作しています。
坂高麗左衛門の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.坂高麗左衛門の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
坂高麗左衛門 査定価格におけるポイント
坂高麗左衛門の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
坂高麗左衛門先生の作品は、茶碗の作品に高値の査定価格がつきます。
6万円から15万円ぐらいの買取相場です。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
坂高麗左衛門の作品は茶道具の作品が評価されます。
徳利や盃の作品が多くに取引されております。
坂高麗左衛門展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
坂高麗左衛門先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ坂高麗左衛門の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
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