2024年12月6日
金城次郎の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の金城次郎の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
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金城次郎作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の金城次郎のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた金城次郎の作品を鑑定して買取りいたします。
陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の金城次郎の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
金城次郎は沖縄県那覇市与儀生まれの陶芸家です。初めに新垣栄徳の製陶所で修行し、36歳で独立しました。民芸運動を展開していた浜田庄司や河井寛次郎の指導を受け、1985年に重要無形文化財(人間国宝)「琉球陶器」の保持者に認定されました。
金城次郎 本人
金城次郎といえば、壺屋焼で制作した陶磁器の特徴があります。沖縄伝統の壺屋焼を芸術作品にまで昇華させました。本来は日用使いの道具をつくることが目的でしたが、日常的な暮らしの中の日用品の中に用の美を見出そうという民芸運動に合致したのが、評価される理由の一つたと思われます。
代表作は抱瓶(だちびん)と呼ばれる携帯用の酒瓶です。沖縄の地方で用いられおり、腰に付けやすいように胴の横断面が三日月形の形状になっております。側面に魚などを彫って描いているのが特徴的です。抱瓶以外には徳利、水差しなど日用で使える作品を多く手掛けました。
金城次郎 海老魚文扁壺
海老魚紋壺は、金城次郎作品の代名詞である海老魚紋が入った壺です。愛らしさや渋みが特徴の日常的な暮らしの中の日用品に「用の美」を見出そうとした彼の姿勢をうかがえる作品です。こちらの陶芸作品も業者間の骨董品の買取市場においても人気が高く、5万円台から20万円台まで価格帯は様々ですが高価格にて買取り致します。
金城次郎の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.金城次郎の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。
Q.金城次郎の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。
Q.金城次郎の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。
Q.金城次郎の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
金城次郎 略歴
1911年
明治44年、沖縄県那覇市に生まれます。
1925年
大正14年、那覇市壺屋の名工新垣榮徳に師事します。この年、新垣を通じて生涯交流を続けた陶芸家浜田庄司と出会います。金城次郎は戦前、沖縄の伝統的な工芸を評価した柳宗悦の民藝論の薫陶を受け制作に励んだという。
1939年
昭和14年に雑誌『工藝』第99号以降、同誌でしばしば紹介されます。
1945年
召集され、読谷で飛行場建設、その後壺屋の東窯で軍需品の製作に従事します。恩納村で捕虜となり、石川の収容所に収容される。同年11月、陶器製造先遣隊の一員として壺屋に帰る。
1946年
壺屋で米軍よりかまぼこ形兵舎を払い下げて工房を開きます。窯は新垣榮徳の登り窯を共同使用しました。
1951年
戦後窮乏した壺屋の陶工を救うべく、浜田庄司ら民芸関係者の尽力により開催された第1回琉球民藝展(於東京、日本民藝協会主催)に出品。
1954年
第6回沖縄美術展覧会(沖展)工芸部門新設に伴い新垣栄三郎、小橋川永昌と出品。この年、新垣と第1回陶芸二人展開催。
1955年
第29回国画会公募展(国展)初入選。この頃、益子(栃木)、龍門司(鹿児島)の窯を訪問、その後丹波、九州などの窯を機会あるごとに視察。
1956年
第30回国展出品「呉須絵台付皿」が新人賞。
1957年
第31回国画展で「抱瓶黒釉指描」が国画賞受賞、同年、国展推薦新会友となる。この年、ルーマニア国立民芸博物館に作品が永久保存されます。
1964年
第18回全国民芸大会が沖縄で開催され、浜田庄司、バーナード・リーチが壺屋を訪問。
1966年
明治神宮例大祭奉祝第4回全国特産物奉献式に「長型花瓶」奉納。
1967年
第1回沖縄タイムス芸術選奨大賞受賞、日本民藝館展入選。
1969年
リーチの再訪を受けます。同年、第43回国展会友優秀賞受賞。この年、壺屋の登窯から出る煙が公害問題として表面化、壷屋の陶工ら、窯の使用回数を減らします。
1971年
第1回日本陶芸展入選。
1972年
煙害から読谷村字座喜味に移り、初めて自分の登窯を開きます。同年、沖縄県指定無形文化財技能保持者に認定。
1973年
国画会会員となります。
1977年
現代の名工百人に選ばれます。
1978年
末に脳血栓で倒れ、約4か月間静養後、手足に麻痺が残るが復帰。
1981年
勲六等瑞宝章受章。
1985年
「琉球陶器」の技法により、沖縄で初めて重要無形文化財保持者に認定された。
2003年
平成15年、那覇市立壺屋焼物博物館にて「壺屋の金城次郎」展開催。卓越した轆轤の技術、線彫、指描などあらゆる壺屋の伝統的な技法を駆使し、壺屋に伝わる伝統的な器形、文様に基きながら、工夫を凝らしてバリエーション豊かな作品へと昇華させ、素朴で親しみやすい日常陶器を生涯作り続けた。
2004年
陶芸家で、「琉球陶器」の技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された金城次郎は、12月24日午後10時45分、心筋こうそくのために死去した。享年92。
躍動感溢れる魚文、海老文の線彫文様は特によく知られ、浜田庄司は、金城以外に魚や海老を笑わすことは出来ないと絶賛したという。作品集に、『金城次郎の世界』(沖縄タイムス社・読谷村、1985年)、『琉球陶器 金城次郎』(琉球新報社、1987年)、『人間国宝 金城次郎のわざ』(宮城篤正/源弘道監修、朝日新聞社、1988年)、『沖縄の陶工人間国宝金城次郎』(日本放送協会出版、1988年)、著書に『壺屋十年』(上村正美監修・構成、用美社、1988年)がある。
金城次郎 徳利と盃
魚紋徳利は、金城次郎作品の代名詞である魚紋が入った徳利です。なかには徳利と猪口がセットになっている作品もあります。2万円台から8万円台まで価格帯は様々です。このような作品がありましたらお問い合わせください。
金城次郎の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.金城次郎の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
金城次郎 査定価格におけるポイント
金城次郎の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
金城次郎先生の作品は、抱瓶の作品に高値の査定価格がつきます。
5万円から20万円ぐらいの買取相場です。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
金城次郎の作品は壺や大皿の作品が評価されます。
徳利や盃の作品の数が多く頻繁に取引されております。
金城次郎展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
金城次郎先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ金城次郎の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
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