2024年10月23日
清水卯一の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取ブログ
御所蔵の清水卯一の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
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清水卯一の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の清水卯一のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた清水卯一の作品を鑑定して買取り致します。
陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の清水卯一の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
清水卯一 蓬莱掛分壺
当時鉄釉の焼成は還元炎による焼成が一般的であったなか、清水卯一は酸化炎での焼成に成功します。
昭和45年大気汚染防止法の施行により京都の市街地で登り窯が使えなくなったことを一つの契機に、滋賀県志賀町へ移り蓬莱窯を築きました。
若い頃からの念願であった登り窯を築き、以後堰をきったように新しい釉薬に挑戦していきます。
清水卯一の作陶へのこだわりは、比良山系の山中を探し回って見つけた、陶土、磁土、石、など素地です。
様々な方法を試行錯誤して釉薬の発色を追求しました。
そして氷裂貫入の青磁、青白磁に近い釉薬の蓬莱磁、そして黄蓬莱など、釉薬や素地土の素材の内部にあるものを導き出すように美しい色釉を創出しました。
清水卯一の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.清水卯一の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。
Q.清水卯一の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。
Q.清水卯一の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただけます。
Q.清水卯一の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
清水卯一 本人
陶芸家で鉄釉陶器の重要無形文化財保持者(人間国宝)の清水卯一は、師匠の石黒宗麿の影響を受けた事の一つに、「作陶に必要な材料をすべて自分で賄う」というものがあります。
自分に合う土や石を探し続け、焼成具合や試験を徹底して繰り返し行うなど、若い頃から素材への執着は相当なものでした。
清水卯一の芸術は素材から滲み出た個性にあると言っても過言ではないのです。
清水卯一 略歴
1926年(大正15)年3月5日、京都市東山区五条橋に、京焼陶磁器卸問屋を営む父清水卯之助、母モトの長男として生まれます。
1937年11歳のときに父が病死する。
1938(昭和13)年に家業を継ぐため立命館商業学校へ入学するが、作陶に興味を抱き、近隣の轆轤師宮本鉄太郎を知ります。
1940年には同校を2年修了とともに中退し、14歳で石黒宗麿に師事し、通い弟子となる。しかし戦時体制の強化に伴い、数ヶ月で五条坂から八瀬への通い弟子を中断し、自宅に轆轤場を設けて作陶を始めます。翌年、伏見の国立陶磁器試験場に伝習生として入所し、日根野作三、水町和三郎らの指導を受けます。
1943年には京都市立工業試験場窯業部の助手となるが、終戦を機に辞職し、自宅を工房にして作陶を再開します。
1947年、前衛的な陶芸家集団「四耕会」の結成に参加します。
1949年には、「緑陶会」「京都陶芸家クラブ」などの結成にも参加します。
1951年には第7回日展に初入選
1955年の第11回展まで出品。同年、第2回日本伝統工芸展に石黒の推薦を受けて出品します。
1957年には日本工芸会正会員となります。翌年の第5回展の奨励賞をはじめ、第7回展では日本工芸会総裁賞、第9回展では優秀賞朝日新聞社賞を受賞するなど、若手の実力派としてふさわしい創作性豊かな作品を発表し評価を得ます。
1955年には日本陶磁協会が新設した第1回日本陶磁協会賞を受賞
1959年のブリュッセル万国博覧会でグランプリ受賞
1962年のプラハでの国際陶芸展で金賞、63年のワシントン国際陶磁器展で最高賞
1967年イスタンブール国際陶芸展でグランプリを受賞するなど、めざましい活躍をみせる。この頃の作品は主に、鉄釉や柿釉、天目などの鉄釉系技法に基づくもので、轆轤挽きによる端正なフォルムと融合させて独自の世界をつくり上げました。
1970年には、滋賀県志賀町の蓬莱山麓へ工房を移転し、念願であった登窯を築窯。またガス窯も設けて蓬莱窯と名付け、さまざまな作品を制作する場とする。この移転が転機となり、自宅周辺で採集した陶磁器に適した土や釉薬を新たな素材として加え、さらに作域を広げる。
1973年の第20回日本伝統工芸展では、蓬莱の地土を使った「青瓷大鉢」の評価と、これまでのすぐれた制作の展開に対する評価によって20周年記念特別賞を受賞。その後も土と釉薬の研究に情熱を傾け、青瓷、鉄耀、蓬莱耀、蓬莱磁など、伝統的な技術と豊かな創造力による意欲的な作品を次々に発表し高い評価を受ける。
1985年には石黒宗麿に続いて二人目となる、「鉄釉技法」で重要無形文化財保持者に認定される。
1989(平成元)年、ポーラ伝統文化振興財団が記録映画「伝統工芸の名匠シリーズ・清水卯一のわざ-土と炎と人と」を制作します。
1992年には京都市文化功労者表彰を受けます。
1999年、1940年から1998年までの作品147点を滋賀県立近代美術館に寄贈。とくに認定後は、日ごろの仕事の積み重ねを大切にする姿勢を説きながら、若手陶芸家の指導に蓬莱窯を開放するなどして、積極的に後進の育成にも尽力しました。
2004年2月18日、2月18日午後11時、大腸がんのため滋賀県滋賀郡志賀町(現大津市)八屋町の自宅で死去した。享年77。
清水卯一 蓬莱燿茶碗
銀色の煌めきが満天の星を象徴するかのような高雅で幻想的な茶碗です。
触れると切れそうな程の鋭く厳しい造形に艶を帯びた黒釉がたっぷりと掛かり、見込みには虹彩を覗く事ができます。
清水卯一の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.清水卯一の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
清水卯一 査定価格におけるポイント
清水卯一の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
清水卯一の作品は窯で出来る景色が重要で景色が鮮やかで綺麗な作品に高値の査定価格がつきます。
10万円から30万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと3万前後になります。
大壺大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります80万円の高値が付いたこともあります。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
清水卯一の作品は焼き上がりの景色を重要とします。上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。
模様が強く出ている作品が高値の傾向にあります。清水卯一展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
清水卯一の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ清水卯一の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
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