2024年10月22日

徳田八十吉の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の徳田八十吉の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

徳田八十吉の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、徳田八十吉の作品の買取情報を確認してください。 簡単LINE査定も受付致しております。

 

徳田八十吉の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の徳田八十吉のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた徳田八十吉の作品を鑑定して買取り致します。

陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の徳田八十吉の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

三代徳田八十吉 本人

三代徳田八十吉 本人

 

『戦後しばらく、経済は社会主義、文化は抽象化への全盛でした。 私の周辺でも必然の流れと信じ、誰も疑わない時代でした。 具象から完全抽象に至る論理は、若者にとって大きな魅力と説得力がありました。 私には「九谷に描かれる絵」は、抽象でなければならなかったのです。 若い時、「アーチストの道は棄ててクラフトマンの道を歩こう」と思った私でしたが、「クラフトも創作に徹すればアートへの道が開けるかもしれない」という淡い思いもありました。 齢七十、遺された人生を、一生懸命、淡々と生きてゆきたいと思っています。 「作家の年輪は作品の積み重ね」です。 少しでも大きくなればと思っています。ご高覧を乞います』

三代徳田八十吉

 

 

 

三代徳田八十吉 彩釉

三代徳田八十吉 彩釉

 

彩釉の技法は、九谷焼の伝統を受け継ぎつつも、より現代的な美意識に応えるために発展しました。重要無形文化財(人間国宝)にも指定された三代徳田八十吉は、この技法の確立者として広く知られています。三代徳田八十吉は、九谷焼の五彩を駆使しつつ、新たな色彩の表現を追求し、彩釉技法を独自に進化させました。

 

三代徳田八十吉先生の生涯を通じた作品制作は、九谷焼の技術と美学を一層高めるものとなりました。特に「燿彩」シリーズは、九谷焼の伝統的な色彩を基盤にしながらも、色彩の層を重ねることで、まるで光が内部から溢れ出るかのような透明感を持つ作品をとなっています。

 

彩釉は従来の九谷焼には見られなかった新しい表現であり、国内外で高い評価を受けました。その深い色合いは、九谷焼の印象に革新をもたらしたとされており、その美しさは今日でも多くの人々を魅了し続けています。

 

 

三代徳田八十吉の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?

 

A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?

 

A.三代徳田八十吉の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。

 

Q.三代徳田八十吉の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?

 

A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?

 

A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。

 

Q.三代徳田八十吉の作品は画像で査定していただけますか?

 

A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただけます。

 

Q.三代徳田八十吉の作品ではありませんが買取りしていただけますか?

 

A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

三代徳田八十吉 耀彩

三代徳田八十吉 耀彩

 

作品の色彩と輝きからも分かるように、耀彩とは「光り輝く色という意味」です。

 

三代徳田八十吉は祖父から伝授された九谷五彩の赤を除く四彩で作品づくりをします。

 

同系色の釉薬を重ね合わせ、順に配置していくことでグラデーション効果をつくりだします。

 

三代徳田八十吉は従来の九谷の特徴である色絵の概念を超え、自分らしい作品を作ろうと古九谷の色の確認を行っていたとき偶然発見したのがこの耀彩でした。

 

新しいことに取り組むことでおこる失敗と新発見、微妙な釉薬の色彩変化と通常の上絵窯よりはるかに高い温度での焼成方法、これが耀彩を完成させる要因となりました。

 

 

 

三代徳田八十吉 略歴

1933(昭和8)年9月14日、石川県能美郡小松町字大文字町(現、小松市大文字町)に二代徳田八十吉の長男として生まれます。本名正彦。

生家は、祖父の初代徳田八十吉(1873―1956)、父の二代徳田八十吉(1907―97)と続く九谷焼の家系で、初代八十吉は1953年に「上絵付(九谷)」の分野で国の「助成の措置を講ずべき無形文化財」に選定されています。

 

古九谷再現のための釉薬の研究と調合に取り組んだ祖父と陶造形作家として日展を中心に作品を発表し富本憲吉にも学んだ父のもとで育った三代徳田八十吉は、1952年4月に金沢美術工芸短期大学(現、金沢美術工芸大学)陶磁科へ入学します。

 

1954年3月に同大学を中退し、父・二代八十吉の陶房で絵付技術を学びます。

 

1955年の秋、病に倒れた祖父・初代八十吉から上絵釉薬の調合を任されて翌年2月祖父が亡くなるまでの数ヶ月間に釉薬の調合を直接教わりました。

 

本格的に陶芸の道に進む意志を固めたのは1957年で、すでに1954年から日展に出品していたが、9度の落選を経験した後、63年第6回日展に器「あけぼの」を出品して初入選(以後6回入選)。初入選作品は鉢型の器の外面を口縁に沿って上から下に青、黄、緑、紺と色釉を塗り分けたもので、色釉のグラデーションを初めて試みたという点で重要です。しかし、後に代名詞となる「燿彩」に見られる自己の様式、すなわち特有の透明感のある色調と段階的な色彩の変化を確立するまでには、ここから1980年代前半にいたる上絵釉薬の調製法と絵付・焼成法に関する研究と技の錬磨が必要でした。

 

焼成法に関する大きな変化は電気窯の使用です。当初は父の薪窯(色絵付)で焼成をしていたが、薪窯の温度を上げることに限界を感じ、1969年に独立して小松市桜木町に工房兼自宅を構えた際、電気窯による高温焼成を始めました。素地は1280度で固く焼き締めた薄い磁器を用い、色釉の美しさを効果的に見せるため、研磨の工程では器表面の微細な孔なども歯科医の用具にヒントを得た独自の手法で全て整えて平滑な素地を実現しました。上絵付の焼成は1040度に達する上絵としては極めて高い温度で行い、ガラス釉の特質を活かした高い透明感と深みのある色調を表出しました。色釉は古九谷の紫、紺、緑、黄、赤の五彩のうち、赤はガラス釉でないため使わず、残りの四彩を基本とし、少しずつ割合を変えて調合することで200を超える中間色の発色が可能になりました。こうした技術の昇華を経て生まれたのが「燿彩」という様式でです。それは花鳥をはじめとする描写的な上絵付による色絵の世界を超えて、九谷焼が継承してきた伝統の色そのものの可能性を広げたいという探求心が結実した色釉のグラデーションによる抽象表現の極みであり、1983年から「光り輝く彩」の意を込めたこの作品名を使うことが多くなりました。

 

2003年の古希記念展の後は「耀彩」と表記します。

 

1971年の第18回日本伝統工芸展に初出品して「彩釉鉢」でNHK会長賞を受賞します。翌年に日本工芸会正会員となる(以後38回入選)。

 

1977年の第24回日本伝統工芸展に「燿彩鉢」を出品して日本工芸会総裁賞

 

1981年の第4回伝統九谷焼工芸展に「彩釉鉢」を出品して優秀賞

 

1983年の第6回伝統九谷焼工芸展に「深厚釉組皿」を出品して九谷連合会理事長賞

 

1984年の第7回伝統九谷焼工芸展に「深厚釉線文壺」を出品して大賞

 

1985年に北国文化賞

 

1986年に日本陶磁協会賞、同年の第33回日本伝統工芸展に「燿彩鉢「黎明」」を監査員出品して保持者選賞

 

1988年に第3回藤原啓記念賞

 

1990(平成2)年に小松市文化賞、同年の’1990国際陶芸展に「燿彩鉢「心円」」を出品して最優秀賞

 

1991年の第11回日本陶芸展に「燿彩鉢「創生」」を推薦出品して最優秀賞(秩父宮杯)

 

1993年に紫綬褒章

 

1997年にMOA岡田茂吉大賞などを受賞

 

1986年に石川県九谷焼無形文化財資格保持者

 

1997年に国の重要無形文化財(人間国宝)「彩釉磁器」保持者に認定されました。小松市の名誉市民に推挙されました。

 

1994年6月に日本工芸会理事(~2004年6月)、1998年4月に日本工芸会石川支部幹事長(~2006年4月)

 

2004年6月に日本工芸会常任理事(~2008年6月)に就任

 

2005年に九谷焼技術保存会(石川県無形文化財)会長

 

2007年1月に小松美術作家協会会長、同年3月に財団法人石川県美術文化協会名誉顧問に就任。海外展への出品も多く、

 

1991年に国際文化交流への貢献が認められ外務大臣より表彰された後も2007年の大英博物館「わざの美 伝統工芸の50年展」にともなって「私の歩んだ道」と題する記念講演を行うなど最晩年まで貢献を続けました。

 

2009年8月26日午前11時04分、突発性間質性肺炎のため石川県金沢市下石引町の金沢医療センターで死去した。享年75。

 

2010年7月22日から9月6日に石川県立美術館で「特別陳列 徳田八十吉三代展」(同館主催)

 

2011年1月2日から12年1月29日に横浜そごう美術館、兵庫陶芸美術館、高松市美術館、MOA美術館、茨城県陶芸美術館、小松市立博物館、小松市立本陣記念美術館、小松市立錦窯展示館で「追悼 人間国宝 三代徳田八十吉展―煌めく色彩の世界―」(朝日新聞社・開催各館主催)が開催されました。

 

 

 

 

三代 徳田八十吉 耀彩小紋八角香炉

三代 徳田八十吉 耀彩小紋八角香炉

 

「香炉」は茶道で使われたりその形の美しさから観賞用としてもコレクターが多く評価も高いです。

 

「古九谷冩意卓形香爐」「燿彩香炉」「燿彩獅子撮み大香炉」など「香炉」作品は特に高価買取をさせて頂きます。

 

 

 

三代徳田八十吉の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.三代徳田八十吉の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

三代徳田八十吉 査定価格におけるポイント

 

三代徳田八十吉の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

 

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

三代徳田八十吉先生の作品は窯で出来る景色が重要で景色が鮮やかで綺麗な作品に高値の査定価格がつきます。

5万円から200万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと3万前後になります。

正彦サインの初期の作品は査定価格が低くなります。

大皿は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります300万円の高値が付いたこともあります。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

九谷焼は窯の焼き上がりの景色を重要とします。上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。

模様が強く出ている作品が高値の傾向にあります。三代徳田八十吉展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

大皿は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります300万円の高値が付いたこともあります。

 

制作年代

 

三代徳田八十吉先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ三代徳田八十吉の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

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電話052(251)5515

 

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