2023年4月5日
翠巌宗珉和尚の掛軸を買取り致します。
翠巌宗珉(すいがんそうみん)和尚の掛軸を買取致します。
様々な掛軸を買取しております北岡技芳堂ですが、お茶会に使用する掛軸も買取り致しております。
堺 南宗寺
私の考えるところ、大徳寺の和尚の掛軸はどの千家でも、どの流派でも使用が出来ますから、万能と言えると思います。
高僧は立派ですし修行を積まれておりますので、お人柄が文字に伝わり拡張が高いです。
お茶室に掛けても茶味があり、茶室に相応しい文字や表装仕立てとなっております。
その中でも幕末の大徳寺の和尚は、近年、ご高齢のお茶の先生がやめられた後の茶道具の売却時に、
非常に多く出てきて値下がりしている掛軸が多くなっております。
江戸時代後期の掛軸は、ますます「お値段が下落しているなぁ」という感じです。
江戸時代初期の大徳寺の和尚の掛軸も一部を除いて下落していますが、
江戸初期はやはり古いのと掛軸の残っている数が幕末より少ないのとで値打ちがあると考えております。
美術品は江戸初期より桃山時代というように、基本的には古いものを喜びますよね。
大徳寺 龍光院
文字も古い方がピシッっと張り詰めた感じが致します。
表装の布地も「金襴緞子」も古い方のが良いですね。
しかし、古ければ古いほど真贋の問題は付き纏います。
よく知り合いの茶道具商は、茶道具商は印(落款)を見ないと仰ってましたが、
掛軸は書かれれた文句や茶に相応しいかで選ばれる傾向にあります。
私は印も非常に大切な真贋の見分け方の一つだと思っております。
優れた茶道具商は、最終的には印を見るのではないかなと考えております。
今回は、翠巌宗珉和尚一行物の掛軸をご紹介いたします。
翠巌宗珉和尚の掛軸
この一行書は、論語から来ていると、宗匠のお茶人様に教えていただきました。
千利休の孫の千宗旦とお付き合いがあった和尚ですから、千家のお茶にはなお相応しいですね。
下記をご紹介いたします。
千宗旦にとっては、気心知れた人たちや大徳寺の和尚方と交わる茶の湯がおもしろく、しかもそれは「一世のおもしろさ」であると言っています。実際、江岑宗左の茶会記には、宗旦と江岑の親子が、天祐紹杲、江雪宗立、玉舟宗璠、天室宗竺、翠巌宗珉ら、大徳寺和尚方の茶会に招かれた記録があります。また、宗旦は天室の大源庵の三畳半茶室や、玉舟の芳春院の一畳半茶室の作事にもたずさわっています。 宗旦が大徳寺の和尚方と親しく交わったのは、幼き日に三玄院の春屋宗園のもとで喝食として修行していた縁もあるでしょう。千家の屋敷から大徳寺までは歩いても近い距離です。ことに晩年の宗旦にとって、大徳寺の和尚方との直心の交わりは精神的なよりどころになっていたともいえるでしょう。
龍光院 国宝 密庵
翠巌宗珉のお祖父様は津田宗及
千利休や今井宗久と共に、茶の湯の天下三宗匠と称えられた堺の豪商・津田宗及。天王寺屋の3代目。
宗及の次男・江月宗玩は大徳寺の156世に出世し、娘の南窓栄薫は宮中医・半井云也(なからいうんや)に嫁ぎその子供・翠巌宗珉も大徳寺の195世に出世するなど、津田宗及のDNAは京都で引き継がれていった。
江月宗玩と翠巌宗珉が参禅し茶の湯の修業をした南宗寺には、津田一族の墓碑と利休三千家の墓碑が並ぶようにある。
大御所の潮田洋一郎さんが、中国人の書を掛けたら大徳寺の和尚が見られないというような事を仰っておられましたが、
私は大徳寺の和尚は茶味があり、茶室の床間に相応しいと思っております。
翠巌宗珉の掛軸を買取いたします。
現在でも良い掛軸は高値で取引されております。
掛軸は古くなって掛ける場所がないから全て安くなったと思われる方もいらっしゃいますが、
良い掛軸は今でも高値で取引されておりますので、一度お問い合わせいただけますと幸いでございます。
翠巌宗珉の簡単な略歴
江戸前期の臨済宗の僧大徳寺百九十五世
宗珉は名、号に似玉・栖蘆子等。勅諡は法雲大仰禅師。江月の法を嗣ぎ、紫野寸松庵に住む。
1608 慶長13年〜1864 寛文4年 寂、57才。
和泉堺生、俗姓 半井、 自号 似玉じぎょく 栖櫓子せいえし、江月宗玩の甥、法の師
1657 明暦3年 3月18日 奉勅により大徳寺へ入寺 195世
1664 寛文4年 7月23日 遷化
1672 寛文12年 3月18日 冷厳天皇より 法雲大仰禅師号を諡された。
どんな掛軸でも先ずはご相談ください。高価買取致します。
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