豪潮律師の掛軸 | 北岡技芳堂

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2010年8月13日

豪潮律師の掛軸

うねうねと特徴のある字で一筆書き。
落款に金剛愚。
誰の書かなあ。
ピンとこの特徴は豪潮律師ときました。
でも金剛愚の落款は見た事がありません。

そこで豪潮律師遺墨集で印譜を拝見したとことばっちりありました。
豪潮さんは、尾張では一番有名で偉い御坊さんではないでしょうか。
蚊に刺されても、普通の人ならパチンと叩いて殺生をするところ
豪潮律師さんはそのままにして刺されても放っておくらしいです。
豪潮のお父さんは浄土真宗の御坊さんですけど、息子には天台宗の所に
修行に行かせたお父さんも魅力的ですがやっぱり育ちの良さが書にも
表れているようで、書には厳しさよりも温かみを感じられるように思われます。
無事という書の意味ですが、禅語で大変有名な言葉です。
この語は臨済宗祖・臨済義玄禅師の言葉で、禅者の書などによく見かける禅語です。
私達は、平素よく「無事」という言葉を使います。変わりがないこと,健康であること、
平穏であることの感謝や願望を表す挨拶語として使われます。
しかし、禅語としての「無事」にはもっと別の深い意味があります。
臨済禅師が説くところの「無事」とは馳求心[ちぐしん](外に向かって求める心)を
すっかり捨て切ったさわやかな境涯です。
求める心を捨てるといっても、無気力無関心であれ、惰性で生きろということではありません。
また財産や名誉をあくせく求めるなという表面的な戒めとも違います。
「無事」とはいわば、求めなくてもよいことに気づいた安らぎの境地といえます。
臨済禅師は “悟り” “ほとけ” “救い” “しあわせ” などといったものを頭に描いて、それを
自分の外に追い求める愚かしさを厳しく戒められました。
それらは求めて得られるどころか、求めれば求めるほど遠くへ 逃げていってしまう
ものなのです。
求める心を捨てて、ああしたいこうなりたいといった欲を捨てて限りなく純真無垢な自分と
出会う時、無限にして偉大なるものに生かされている自分に気づくことができるでしょう。
求めずとも既にそれに抱かれ、生き生きと輝いている自分を発見できるでしょう。
こういう文化のある偉い御坊さんの書を名古屋の財界人や知識人の方々に額装でも良い
ですから飾っていただきたいものです。
略歴  
豪潮寛海
江戸後期の天台宗の僧。比叡山楞厳院阿闍梨。密号は遍照金剛、字は快潮、のち豪潮と改める。肥後国寿福寺住持。尾張徳川斉朝侯の病を加持し、侯に請われて尾州嵓窟寺(現在の岩屋寺)に留錫、伽藍を再建した。のち長栄寺を再興し中興開山となる。宗派に服さず広く諸人を化した。天保6年(1835)寂、87才。

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