2019年1月28日
有楽流 二代 松本見休の茶杓
有楽流 二代 松本見休
銘 大鶴
有楽流茶人、松本見休の茶杓を紹介します。
尾張藩と有楽流の松本見休の繋がり。
千利休→織田有楽斎→高橋玄旦→織田長好→織田貞置→松本見休→その息子の二代 松本見休 別号芦泉
織田有楽斎の次男頼長の長子である織田長好の没後、有楽流を織田貞置は継承しました。織田信長の九男、織田信貞の息子、織田貞置は台子の伝者とされた高橋玄旦からその点前を伝授されており、高家旗本として松本見休ら多くの門弟を抱えていました。
尾張八代藩主徳川宗勝の時代、藩令により尾張から山本道伝、沖久伝の二人が江戸尾張藩邸に派遣され、二代松本見休に指導を受けています。
貞置の甥貞幹は尾張藩に仕えたことから有楽流の茶道が尾張藩の茶道として流儀が一本化、有楽流は幕末まで伝わりました。
余談ですが、織田家家老て、尾張随一の茶人平手政秀の娘を有楽斎は嫁にもらっており、平手家の茶道具を引き継いでいるといわれています。