2024年12月24日

辻常陸の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の辻常陸(つじひたち)の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

辻常陸の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、辻常陸の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

辻常陸の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の辻常陸のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた辻常陸の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の辻常陸の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

辻常陸窯は、史上初の磁器の皇室御用窯元に指定されました名窯です。約350年の歴史を持ち、第112代天皇の霊元天皇から賞賛され、辻家三代喜右衛門から始まり今に至るまで、歴代皇室御用達の磁器窯です。

 

辻家秘伝の復元された技法「極真焼」は九代喜平次の失伝した技術です。その技術が非常に優れているため、1990年(平成2年)の明仁上皇御即位、愛子内親王御誕生など毎回、皇室の重要な慶祝行事では辻常陸窯で焼いた磁器が使われています。そして、辻常陸窯の作品は、世界各地の博物館や貴族の名家に多く収蔵されています。

 

 

辻常陸窯

辻常陸窯

 

佐賀県有田町に位置する「辻常陸窯」は、古来より皇室や藩主に献上してきました。江戸時代に正式に皇室御用の窯元「禁裡御用窯」と指定された名家であり、代々皇室に納めてきました。現在も皇室御用の磁器を焼いています。「辻常陸窯」は現在は、十五代辻常陸の満喜男氏が継承しています。「辻」は姓で、「常陸」は天皇により与えられた官職名です。

 

1706年、辻家六代喜右衛門がこの官職を任されて以来、代々世襲で受け継がれています。辻常陸窯は「禁裡御用窯」とも言われ、「裡」は「皇室」であり「禁裡」は「みだりにその中に入ることを禁じる」という意味です。当時の辻常陸窯は徳川家康ですら勝手に入ることのできない聖域でした。1989年に宮内庁により解禁されてからやっと民間にも開放されました。

 

 

14代辻常陸 染付桐花双鳳文花瓶

14代辻常陸 染付桐花双鳳文花瓶

 

辻家秘伝の復元された技法の極真焼は、1811年に九代喜平次による失伝した技術です。この技術は製品と同質の磁土で一つの匣鉢を作り、その中に製品を納めます。その後に溶けやすい釉薬を塗り、焼きの工程に入ります。匣鉢により完全に気体が遮断されることで、火や煙灰による素焼き部分や釉薬部分の破壊や汚損を防ぎ、真空状態での焼成は暈し染めのような優雅で透明感のある呉須(青藍)色を生みだします。

 

焼成が完了すると鉄製の槌で匣鉢から製品を叩き割り、中から取り出します。極真焼は皇室に献上するために編み出された技法ですので、門外不出の技術であり、辻常陸窯は、幻の極真焼と呼ばれています。

 

江戸時代から現代まで継承されてきた辻常陸窯は、350年にわたり皇室との深いつながりを保ってきました。辻家の使命は皇室御用の磁器として全ての技術を継承し、最高品質のこだわりを持つことです。現在も辻常陸窯は有田焼の中で重要な美術的な地位を占めています。

 

 

 

辻常陸の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.辻常陸の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.辻常陸の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.辻常陸の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.辻常陸の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

十四代辻常陸 略歴 

 

1909年
明治42年、白磁発祥の地である佐賀県有田で、350年続く歴史的な窯元『辻家』に生まれます。本名、辻常喜、辻家は仙台藩主伊達綱宗に端を発し、百十二代霊元天皇に至るまで、辻家が生み出すその鮮麗たる磁器を認められ、以後『常陸大掾(天皇直属の家臣)』の官位を賜り『禁裏御用窯元(皇族のみのための窯元)』として現在も皇室へ数々の磁器を献上しています。また国内外の万博にも出品している。 東京工業大学の前身、東京高等工業学校窯業科を卒業。

 

1947年
昭和22年に十四代 辻常陸を襲名します。

 

1951年
昭和26年、第二次世界大戦後の、戦後初めてとなる皇室からの御用命を受けます。

1990年
平成2年の明仁天皇の御即位、愛子内親王のご生誕等、皇室の大事な節目の度に御用命を賜り、宮内庁御用達として生涯に渡り皇室と関わってきた。 皇室関係以外にも積極的に制作に打ち込みます。

1985年
昭和60年にはドイツ共和国マイセン市と有田町による姉妹協定の記念に、有田焼代表として贈られたのは、マイセンの鐘と白磁冠火食鳥噴水です。

 

2000年
平成12年には、英国王室エドワード王子夫人へ作品を献上し、感謝状を賜っている。

2007年
平成19年3月15日、永眠。享年97。

 

 

 

 

十五代辻常陸 略歴 

 

1939年
14代辻常陸の長男として生まれます。

 

1958 年 
佐賀県立窯業試験場にて第一期研修生として研修 襲名までの間、様々な展覧会に出品、受賞歴有り。
​ 十四代に師事し共に宮中の美術工芸品の制作に関わる宮殿・御所の春飾り盆器制作/菊花御紋章入肩皿制作/菊花御紋章入金盃制作 ​ ​ ​ ​

 

​ 2008 年
十五代辻常陸を襲名 全国で襲名記念展を開催

 

2016年
平成28年 陶都有田400年記念作品三羊開泰制作する。

 

 

 

十五代辻常陸 四君子大壺 2017年

十五代辻常陸 四君子大壺 2017年

 

 

 

辻常陸の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.辻常陸の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

辻常陸 査定価格におけるポイント

 

辻常陸の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

辻常陸先生の作品は、大壺の作品に高値の査定価格がつきます。

 

20万円から40万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

食器などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

辻常陸の作品は細かい絵付けの作品が評価されます。

 

皇室御用達の食器が高値で取引されます。

 

辻常陸展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

辻常陸先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ辻常陸の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

**************************************

 

弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年12月23日

金重素山の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の金重素山の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

金重素山の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、金重素山の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

金重素山の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の金重素山のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた金重素山の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の金重素山の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

金重素山は、1909年3月31日 岡山県和気郡伊部村に備前焼窯元 金重楳陽(慎三郎)の三男として生まれて、七郎左衛門と名付けられました。父の楳陽が亡くなった時は、小学校へ通いはじめた7歳の時でした。 陶芸の道に入ったのは昭和2年、兄金重陶陽の下手間となった18歳の頃です。ようやく窯焚きが任せられるようになったのはそれから14、5年経った頃だったそうです。

 

13歳上の兄・金重陶陽は、兄であると同時に、父親のような役目を果たしていました。父の楳陽直伝の何ごとも体験で覚えさせる主義に則り、陶陽も特別な指導をせずに窯入れ、窯焚きなどを素山に伝えました。

 

「我々は貧乏生まれの貧乏育ち、しかし心の貧乏だけはすまいぞ。心が貧しくては作品に品位がなくなる」

 

と13才年上の陶陽はいい、兄弟というより子供のように可愛がられた。

 

「慣れない窯入れで、よく素地物を壊したりしたが、兄は決して怒らなかった」

 

と素山は振り返る。

 

金重素山 窯変徳利

金重素山 窯変徳利

 

天才陶工と呼ばれた兄の金重陶陽先生の助手としてスタートしました。

 

備前焼の名工として人々に愛される陶芸作品を手掛けた金重素山先生の窯変徳利です。

 

 

金重素山の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.金重素山の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.金重素山の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.金重素山の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.金重素山の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

金重素山 略歴 

 

明治42年
3月31日、岡山県備前市伊部1531に備前焼窯元金重楳陽(慎三郎)を父として生まれる。本名七郎左衛門。父が幼時に死去したため、兄の金重陶陽に陶芸を学び、

昭和2年
1927年より陶陽の助手として専ら窯焚をつとめる。大本教を信仰し、

昭和26年
陶陽窯を離れるにあたって大本教主出口直日の招請により京都府亀岡市の大本教本部の大本窯、花明山窯を制作の場と定めた。

昭和34年
大本教本部京都府綾部の鶴山窯に築窯して独立。

 

昭和39年
岡山市円山に登窯を築窯した。桃山時代の伊部焼「緋襷」に魅せられその再現に力を注ぎ、独自の窯を考案して焼成を試み、

 

昭和40年
電気窯による「緋襷」制作を創案して翌年それを完成させた。

昭和42年
東京日本橋壺中居にて「緋襷」のみの個展を開催した。

昭和45、47年
東京日本橋三越で個展を開催。

昭和49年
山陽新聞文化賞受賞。

昭和53年
天満屋岡山店にて「金重素山展」を開催する。同57年伊部に牛神下窯を築く。

昭和58年
岡山県指定重要無形文化財保持者の認定を受けた。

昭和59年
東京、大阪、名古屋にて「備前 金重素山展」を開催するとともに岡山高島屋で「金重素山展」を開催。

平成2年
松阪屋本店、三越本店にて「傘寿金重素山展」を開催。同年伝統文化保存振興への貢献に対して文化庁長官表彰を受ける。同3年天満屋岡山店にて茶陶展を開催し、同年岡山県文化賞受賞。

平成6年
三木記念賞を同7年備前市功労賞を受賞した。

昭和50年と
昭和54年に日本陶芸展に推薦出品したほか、兄陶陽一門の展覧会に協賛出品しているが、特定の団体に所属せず、茶陶を中心に独自の作陶を続けた。桃山風のおおらかなフォルムと緋襷の焼成により、風格ある作風を示す一方、伝統的備前焼きの進展に寄与した。

 

平成7年
12月27日備前焼作家の金重素山は12月27日午後5時50分肺炎のため岡山県赤磐郡山陽町の病院で死去した。享年86。

 

 

 

金重素山 朝鮮唐津徳利

金重素山 朝鮮唐津徳利

 

粉引・呉須絵・朝鮮唐津・失透釉なども手掛けていただけでなく、信楽を中心に三島手・流釉・天目釉・灰釉なども作陶していたようです。

 

また、陶芸の思いの根底の部分でも備前焼だけではなく、陶芸作品に対する多角的なアプローチが関係しているのではないかと思われます。兄の陶陽は、アート寄りの思想を抱きながら陶芸の修行を積み重ねていたようですが、弟である素山の方は、お茶を飲むための茶碗というアプローチで実際に使う事を考えて作陶したのではないか。

 

 

 

金重素山の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.金重素山の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

金重素山 査定価格におけるポイント

 

金重素山の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

金重素山先生の作品は、徳利やぐい呑みの作品に高値の査定価格がつきます。

 

5万円から20万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

金重素山の作品は窯変の作品が評価されます。

 

伊部愚意呑 と書かれた作品は晩年で高値が期待できます。

 

金重素山展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

金重素山先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ金重素山の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

**************************************

 

弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年12月22日

辻清明の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ

御所蔵の辻清明の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

辻清明の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、辻清明の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

辻清明の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の辻清明のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた辻清明の作品を鑑定して買取りいたします。

 

陶芸作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の辻清明の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

東京の世田谷に生まれた辻清明は,父の影響で幼い頃から古美術に興味を持ちました。父の蒐集品に触発されたのがきっかけとなり作陶活動を始め,轆轤師に轆轤をはじめとする陶芸の基礎を学びます。

 

 

辻晴明 本人

辻晴明 本人

 

1941年には自宅に「辻陶器研究所」の看板を掲げ,早くも陶芸家への道を歩み始めます。白磁,天目,染付などを手掛けていた頃、自作の「白磁面取香炉」を持って富本憲吉や板谷波山のもとへ通い教えを受けるなど,果敢な行動をとっています。

 

辻清明が信楽焼などの焼き締め陶に興味を抱いたのは、東洋陶磁の研究者であった小山冨士夫に,中世期から窯の煙を絶やすことなく続く六古窯、越前・瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前にまつわる話を聞いたことが始まりでした。

 

そして,山口諭助の著書『美の日本的完成』と出合い、信楽焼特有の美「明る寂び」という美意識に触れ、その後の活動の指針としました。辻清明の言葉に、「優美でのびやかで、夜明けの空に似て明るく澄んだ気配」を信楽焼から感じとり、自身の作品には、侘わびた風情の中に明るい華やかさをたたえた美しさを求めていきました。

 

 

 

辻晴明 聚楽掛分茶碗 

 

辻晴明 聚楽掛分茶碗 1990年

 

 

辻清明の工房には薪を燃料にした登窯が築かれていました。東京の都心にほど近い場所では珍しいことから,陶芸家に限らず、画家や作家など多くの芸術家が訪れるようになりました。

 

その中には,山口長男やサム・フランシスのように、辻清明の陶房で作陶をして、陶芸作品にチャレンジした画家も現れました。また辻晴明は、全国の窯場を巡り、その土地で知り合った陶芸家と交流して、作陶の幅を広げることも積極的に行いました。

 

 

 

辻清明 信楽耳付水指 

辻清明 信楽耳付水指 1993年

 

1960年には、信楽土を使った無釉焼き締めの陶芸作品を手掛け始めました。辻晴明は「明る寂び」という言葉が信楽焼にもっとも相応しいと思ったと言い、おもむくままであった作品展開を信楽の土を使い登り窯で焼成することに方向転換します。

 

辻清明の「日本人独特の精神に触れる作品の制作」が始まった。 上質な信楽土を用い、轆轤で筒状に成形したのち、底をつけ、力強いヘラを入れ、耳をつけて、高温焼成による変形が見られ、明るい緋色が見える。蓋も共蓋である。

 

 

辻清明の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.辻清明の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.辻清明の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.辻清明の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.辻清明の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても、絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

辻晴明 略歴

 

1927年
(昭和2)年1月4日東京府荏原郡(現、東京都世田谷区)に生まれる。少年の頃より陶芸に興味を持ち、11歳のときより轆轤を学びます。

 

1941年
14歳の時には姉・輝子とともに辻陶器研究所を設立し、倒焰式窯を築く。また、この頃から富本憲吉や板谷波山のもとで学びます。

 

1943年
高島屋でやきものの文房具類を常設展示。徴用で立川の日立航空機の工場で働きます。

 

1948年
富本憲吉を中心とする新匠美術工芸会展に出品。同年、札幌の北海道拓殖銀行ロビー、丸井デパートで個展を開催。

 

1949年
新たにガス窯を築き低火度色釉を施した作品の試作に成功します。

 

1951年
同志と「新工人」会を設立し、以後約十年にわたって活動します。

 

1952年
第一回新工人展を開催。同年、光風会展に出品し、2年連続で光風会展出品工芸賞受賞。

 

1953年
1月に和田協子と結婚。漆工芸家であった協子も新工人のメンバーであった。

 

1955年
多摩市連光寺の高台に辻陶器工房を設立し、3室の登窯を築窯。信楽土で自然釉の掛かった作品を作り始めます。同年、現代生活工芸協会賞を受賞。

 

1956年
朝日新聞社主催現代生活工芸展審査員。

 

1962年
妻の協子とともに、辻清明・辻協新作陶芸展を日本橋三越で開催し、以降たびたび二人展を行う。翌年から画廊現代陶芸代表作家展等に出品する(1975年まで)。

1963年
五島美術館にて個展を開催、アメリカ合衆国・ホワイトハウスに「緑釉布目板皿」を納めます。

 

1964年
日本陶磁協会賞を受賞、現代国際陶芸展招待出品。

 

1965年
日本陶磁協会賞受賞作家展に出品する。以降2006年まで毎年出品する。同年にはアメリカ・インディアナ大学美術館に「信楽自然釉壺」を納めます。

 

1967年
米国ペンシルバニア州立大学美術館に「信楽窯変花生」が所蔵される。

 

1968年
京都国立近代美術館および東京国立近代美術館主催「現代陶芸の新世代」展に招待出品。

 

1969年
三越日本橋店にて「辻清明陶芸二十五周年展」を開催する。翌年、京都国立近代美術館に「信楽壺」が所蔵されます。

 

1970年
東京国立近代美術館に「球と方形の対話」が買上、京都国立近代美術館主催「現代の陶芸展―ヨーロッパと日本―」展に招待出品。翌年より2005年まで毎日新聞社主催「日本陶芸展」に招待出品、第1回、第2回海外巡回展に選抜されます。

 

1973年
西ドイツのヘニッシ画廊にて個展を開催、イタリア・ファエンツァ陶芸博物館に「茶盌」を納めます。その年より1975年まで「現代選抜陶芸展」に出品、1974年には迎賓館が作品を買上、「ファエンツァ国際陶芸展」に招待出品。

 

1976年
「作陶三十五周年記念 辻清明」展を日本橋壺中居にて開催。

 

1978年
小田急百貨店画廊にて個展を開催。翌年、日本経済新聞社主催「信楽展」に実行委員として関わり、自身も出品。

 

1980年
日本経済新聞社主催「現代陶芸百選展」出品。「炎で語る日本のこころ―辻清明作陶展」を新宿・小田急百貨店にて開催。

1982年
西武美術館主催の作陶四十五周年記念「炎の陶匠 辻清明」展を開催する。

 

1983年
日本陶磁協会賞金賞を受賞。

 

1986年
作陶五十年記念『辻清明作品集』(講談社)を刊行。

 

1987年
多摩の工房が周囲の開発により仕事への支障が懸念されたため長野県穂高町に工房と登り窯を完成させる。しかし、2年後に工房と母屋が蒐集した工芸品・書籍と共に焼失。

1990年
平成2年、藤原啓記念賞を受賞します。

 

1991年
「辻清明の眼 ガラス二千年展」(清春白樺美術館)では江戸切子などのガラスコレクションを展観、同年自身で制作したガラス器展を銀座の吉井画廊で開催。

 

1993年
NHK教育テレビの趣味百科「やきものをたのしむ」に夫婦で出演。

 

1996年
『焱に生きる 辻清明自伝』(日本経済新聞社)を刊行。

 

2003年
ドイツ・ハンブルクダヒトアホール美術館開催の「日本―写真と陶芸―伝統と現代」展に招待出品。

 

2006年
東京都名誉都民となる。翌年、「美の陶匠 辻清明傘寿展」を大阪梅田阪急にて開催。精力的な活動は没後の10年刊行の『独歩 辻清明の宇宙』(清流出版株式会社)に詳しい。女性で初めて日本陶磁協会賞を受賞した妻、協子も2008年、7月8日肝臓がんのため死去。享年77。

 

2008年
陶芸家の辻清明は4月15日肝臓がんのため東京都内の病院で死去した。享年81。

 

 

 

辻清明の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.辻清明の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

辻清明 査定価格におけるポイント

 

辻清明の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

辻清明先生の作品は、信楽焼の作品に高値の査定価格がつきます。

 

5万円から20万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

辻清明の作品は変わり茶碗の作品が評価されます。

 

オブジェなどの作品が高値で取引されます。

 

辻清明展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

辻清明先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ辻清明の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年12月21日

平山郁夫の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ

御所蔵の平山郁夫の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

平山郁夫の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、平山郁夫の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

平山郁夫の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の平山郁夫のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた片岡球子の作品を鑑定して買取りいたします。

 

会が作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の平山郁夫の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

 

平山郁夫 本人

平山郁夫 本人

 

平山郁夫の言葉

 

「日本文化の源流を探るため、長年シルクロードを取材してきた。このようにして日本の外に出てみると、逆に日本のことがよく分かるようになった」

 

「過酷な自然環境に耐えながら、生活を切り開いてきた大陸の文化とは違い、日本人は古代から自然と調和するように生きてきました」

 

「シルクロードの乾燥した砂漠地帯を旅して帰ってくると、私は無性に日本の潤沢な緑が描きたくなります」

 

 

 

平山郁夫は中学校3年生の時に広島市内で原爆投下を体験しました。広島の惨状を目の当たりにして、九死に一生を得た平山郁夫は、平和の祈りを込めて絵画を描きたいと思うようになります。東京藝術大学での卒業制作のテーマを考えるときに、知り合いから

 

「君は被爆体験をテーマにすればいいのではないか」

 

といわれましたが、当時のことを思うだけで悪夢にさいなまれる日々。その時に思い起こすのが、被爆後にお世話になっていた清水南山という伯父の言葉でした。東京美術学校の工芸の教授であった清水南山は、

 

「芸術とは美しいものを表現すること」

 

と常に平山郁夫に伝えていました。仏教では、蓮の花は泥水に咲くと言われます。争いごとが多い世の中でも、染まらずに清く生きることの例えです。平山郁夫の絵画作品には、平和の祈りが通奏低音のように流れています。

 

戦後の日本画の最高峰と位置され、東京藝術大学の学長を二度にわたり務めました。平山郁夫は仏教や遺跡、シルクロードを題材にした絵画作品が多く知られています。1945年に勤労動員されていた広島の工場で被爆します。後遺症に怯えながら生き残ったことへの責任を生涯考え続け、苦難の道を歩んだ玄奘三蔵に救いを求めました。日本画家としての人生のテーマを

 

「平和への祈り」

 

と位置付け、ユネスコ大使、世界平和アピール7人委員会委員としても活躍して戦禍にみまわれた土地へも度々訪れました。

 

 

平山郁夫 シルクロードを行くキャラバン 

平山郁夫 シルクロードを行くキャラバン (東・太陽)

 

平山敏夫は生涯を通じて砂漠の風景と人物を一つのテーマとして描き続けました。砂漠の騎兵の姿はシルクロードを通じて起こった東洋と西洋の文化の交流の象徴です。

 

厳しい砂漠の気候のもと、炎天下にさらされて、渇きや飢えに耐える姿は、画家の温もりを絵筆と画面いっぱいに表現しています。

 

 

 

平山郁夫の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.平山郁夫の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.平山郁夫の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.平山郁夫の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.平山郁夫の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.日本画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

 

平山郁夫 略歴

1930年
昭和5年0歳6月15日 広島県豊田郡瀬戸田町に生まれる。

 

1945年
昭和20年15歳8月6日 学徒勤労動員先の広島陸軍兵器支廠で原爆に被爆。

 

1947年
昭和22年16歳4月、東京美術学校日本画科予科に入学。

 

1952年
昭和27年21歳東京美術学校日本画科を卒業、東京藝術大学美術学部日本画科副手に就任。主任教授は前田青邨で、以来前田青邨に師事する。

 

1953年
昭和28年23歳第38回院展に作品《家路》が初入選、以後入選を重ねる。

 

1959年
昭和34年29歳第44回院展に《仏教伝来》が入選。河北倫明氏の新聞評に取り上げられる。

 

1961年
昭和36年31歳第46回院展に出品した《入涅槃幻想》が日本美術院賞(大観賞)を受賞。

 

1962年
昭和37年32歳第47回院展に出品した《受胎霊夢》が日本美術院賞(大観賞)を受賞。第1回ユネスコフェローシップにより、ヨーロッパへ留学。(10月~翌年5月)

 

1964年
昭和39年34歳日本美術院同人に推挙される。

 

1966年
昭和41年36歳東京藝術大学第1次中世オリエント遺跡学術調査団に参加、カッパドキアの洞窟修道院壁画の現状模写に従事する。 1967年 昭和42年37歳法隆寺金堂壁画再現事業に参加、第3号壁を担当。

 

1968年
昭和43年38歳初めてアフガニスタン、中央アジアを取材。シルクロードと仏蹟の取材は、以後毎年のように行われ160回以上となる。

 

1973年
昭和48年42歳東京藝術大学教授に就任。43歳5~6月、アレキサンダー大王東征路の考古学的調査団(団長江上波夫)に参加、アフガニスタンからトルコまで陸路シルクロードの遺跡を取材。文化庁から高松塚古墳壁画の現状模写を委嘱される。

 

1974年
昭和49年44歳バチカン宮殿内現代宗教美術コレクションに、新作《古代東方伝教者》を寄贈。ローマ法王パウロ六世に拝謁、聖グレゴリオ騎士銀褒章を贈られる。

 

1975年
昭和50年45歳初めて中国を訪問。

 

1979年
昭和54年49歳9月、北京で平山郁夫展開催。初めて敦煌莫高窟を見学する。

 

1988年
昭和63年58歳ユネスコ親善大使に任命される。

 

1989年
平成元年59歳東京藝術大学長に就任。

 

1993年
平成5年63歳文化功労者として顕彰される。

 

1996年
平成8年65歳日本育英会会長に就任。66歳日本美術院理事長に就任。

 

1997年
平成9年故郷の広島県瀬戸田町に平山郁夫美術館が開館。

 

1998年
平成10年68歳文化勲章を受章。

 

2000年
平成12年69歳12月31日、構想三十余年、実制作期間二十年に及ぶ大作《大唐西域壁画》(奈良薬師寺玄奘三蔵院壁画)が完成。

 

2001年
平成13年71歳東京藝術大学長に再任される。

 

2004年
平成16年74歳山梨県北杜市に平山郁夫シルクロード美術館が開館。

 

2005年
平成17年東京国立博物館特任館長に就任。

 

2009年
平成21年79歳12月2日 永眠。

 

 

 

平山郁夫 仏教伝来 1959年

平山郁夫 仏教伝来 1959年

 

平山郁夫は、広島での被爆体験がきっかけで、平和を祈る心を仏教伝来の道シルクロードに重ね合わせて、29歳の時、昭和34(1985)年の第44回再興日本美術院展に出品しました。

 

仏教伝来は画家の原点となり記念碑的作品です。死への不安の中で描いた本作は、

 

「前とはまるっきり違って」

 

その後の画業の方向を決定づけ、やがてシルクロードの画家として決定づけられるようになります。中国唐代の僧、玄奘三蔵が17年に及ぶ天竺への旅の帰路、オアシスにたどり着いた場面を描いたこの日本画作品を出発点として、玄奘三蔵の求法の旅を壮図としてなぞらえた平山郁夫の文化の源流を探す旅は、平成12(2000)年12月31日、薬師寺の大唐西域壁画で一応の終着を迎えました。

 

仏教伝来は平山郁夫が一人の画家として歩みだす自信となった重要な作品である。

 

 

平山郁夫の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.平山郁夫の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

平山郁夫 査定価格におけるポイント

 

平山郁夫の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

平山郁夫先生の作品は、シルクロードを行くキャラバンの作品は小さくても高値の査定価格がつきます。

 

1000万円から1500万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

平山郁夫の作品は晩年の作品が評価されます。

 

薬師寺や塔のある図柄は水彩の作品でも高値で取引されます。

 

平山郁夫展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

平山郁夫先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ平山郁夫の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

**************************************

 

弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

電話052(251)5515

 

営業10:00-18:00

2024年12月20日

片岡球子の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の絵画買取りブログ

御所蔵の片岡球子の絵画作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。

 

片岡球子の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、片岡球子の作品の買取情報をご確認ください。 簡単LINE査定も随時受付しております。

 

片岡球子の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談ください。 先代様の片岡球子のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた片岡球子の作品を鑑定して買取りいたします。

 

絵画作品の遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、お片付けなどでご所蔵の片岡球子の作品を適正評価でご売却したい方、ぜひ当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。

 

片岡球子は1905年1月5日、北海道札幌区(現札幌市)に8人兄弟の長女として生まれました。医師を目指した片岡球子は勉学に励みながら、北海道庁立札幌高等女学校の補習科師範部へと進学をします。

 

しかし、卒業時に友人から受けた言葉を機に画家を志すことにして上京し、東京にある女子美術学校(現女子美術大学)に入学します。同時に、官展で活躍していた日本画家の吉村忠夫に師事しながら、日本画を学んで行きました。

 

 

 

片岡 球子 花咲く富士

片岡 球子 花咲く富士

 

 

「富士」や「面構」の連作で独創的な世界を描きあげた日本画家の片岡球子は、伝統的な日本画の精神は受け継ぎながら、情熱的な色彩と力強い画風で従来の日本画の常識を覆しました。

 

18歳から日本画の道に入り、帝展で落選をし続けた後、27歳で院展に初入選するもその後は落選が続きます。「落選の神様」と呼ばれるなど長い期間苦悩をします。

 

片岡球子の個性が発揮されたのは戦後に入ってからでした。諦めることなく己の画風を完成させていった片岡球子は、強い信念で日本画を描き続けた人生でした。

 

 

片岡球子 鶴釜前 三代目豊国 改名国貞 1976年

片岡球子 鶴釜前 三代目豊国 改名国貞 1976年

 

片岡球子の日本画作品は、独創的な構図と原色を多用した鮮やかな色彩で知られています。 大胆な構図で「ゲテモノ」と呼ばれた時期もありましたが、伝統的な日本画の枠を超えた新しい表現を追求して、特に「面構」シリーズや「富士山」シリーズで高い評価を受けております。

 

 

 

片岡球子の買取でよくある質問

 

Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが、品物により出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。

 

Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.片岡球子の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので、一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像をお送りいただく方法もございます。

 

Q.片岡球子の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定いたします。お値段が合いましたら、買取りもさせていただきます。

 

Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが、査定額は低くなってしまう可能性がございます。

 

Q.片岡球子の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は、実際に作品を拝見させていただきます。

 

Q.片岡球子の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.日本画作品でなくても、骨董品など様々な物が買取り対象となります。

 

 

片岡球子 略歴

 

1905年
北海道札幌市に生まれます。

 

1923年
女子美術専門学校(現:女子美術大学)日本画学科高等科に入学します。

 

1921年
女子美術大学を卒業、横浜市立大岡小学校の教師をしながら画業を続けます。

 

1927年
初めて帝展(帝国美術院展覧会)に出展するが落選、その後も落選が続くきます。

 

1930年
日本美術院展(院展)に出展、初入選を果たします。

 

1939年
院展に入選し、日本美術院院友に推挙されます。

 

1942年
日本美術研究会に出品した作品が大観賞を受賞、以降受賞が続きます。

 

1944年
学童疎開により小田原・浄永寺に寄宿。

 

1955年
小学校を退職し母校である女子美術大学日本画科助教授となります。

 

1962年
初のヨーロッパ旅行へ、イギリス・フランス・イタリアを訪れます。

 

1965年
日本国際美術展に出展、神奈川県立近代美術館賞を受賞。

 

1966年
女子美術大学の客員教授となる、 愛知県立芸術大学絵画専攻の主任教授に迎えられます。

 

1967年
サンパウロ・ビエンナーレの出品作家のひとりに選ばれます。

 

1978年
神奈川文化賞を受賞。

 

1982年
日本芸術院会員に選ばれます。

 

1989年
文化勲章を受賞します。

 

1993年
愛知県立芸術大学で20年かけて制作していた作品が完成します。

 

2008年
ご逝去 (103歳)

 

 

 

 

片岡球子 渇仰

片岡球子 渇仰(かつぎょう)

 

「渇仰」

《渇いた者が水を切望するように、仏を仰ぎ慕う意》

1 深く仏を信じること。「随喜渇仰の念」

2 心からあこがれ慕うこと。「恩人を渇仰してやまない」

 

 

 

片岡球子の買取で当社が選ばれる理由

 

1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。

 

2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。

 

3.片岡球子の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。

 

4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。

 

5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。

 

 

 

片岡球子 査定価格におけるポイント

 

片岡球子の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。

幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。

 

作品の種類

 

片岡球子先生の作品は、富士山の作品は小さくても高値の査定価格がつきます。

 

100万円から600万円ぐらいの買取相場です。

 

保存状態

 

シミや痛み、汚れているのも査定価格が下がります。

 

作品の出来・不出来

 

片岡球子の作品は晩年の作品が評価されます。

 

赤富士の作品が高値で取引されます。

 

片岡球子展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。

 

 

制作年代

 

片岡球子先生の作品は、初期の作品も高値で取引されております。晩年の作品が査定価格が上がる傾向にあります。

 

※このように同じ片岡球子の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。

 

**************************************

 

弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。

 

美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。

 

どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。

 

裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。

 

北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。

 

出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。

 

まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】

 

愛知県名古屋市中区門前町2-10

 

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