買取実績

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絵画
須田剋太
抽象
- 買取地区:
- 名古屋市内
- 買取方法:
- 店頭買取
参考価格¥50,000
須田剋太の抽象画を買取いたしました。須田剋太は、司馬遼太郎の紀行エッセイ「街道をゆく」の挿絵画家として広く知られています。
その画業は多彩な表現領域に及んでおり、剋太は自らの造形志向をあらわすために、具象と抽象の境界を意識せず、自由な発想で作品を制作しました。
さらに絵画だけでなく、書や立体作品にも挑戦し、その活動はジャンルを超えて広がっていきました。
須田剋太(1906~1990)は埼玉県吹上町に生まれ、その名は村山魁多に由来します。中学校を卒業後、川端画学校に一年ほど通いましたが、その後は独学で絵を学びました。
寺内萬次郎に才能を認められ、1935年に光風会展で初入選し、その後3年連続で同展に入選します。
1940年代のはじめ、剋太は活動の拠点を関西に移します。戦後は精力的に創作を続け、国内外で特異な存在感を示しました。
長谷川三郎、吉原治良、津高和一、森田子龍といった関西の美術家たちとの交流はよく知られていますが、吉原から具体美術協会への参加を誘われながらも、それを断った逸話は、剋太が自らの芸術観を貫いた象徴的な出来事といえます。
抽象絵画への本格的な取り組みは1948年頃から始まりました。激しい筆致や大胆な構図、色彩のぶつかり合いが生むエネルギーに満ちた作品は、当時の日本美術界でも異彩を放ちました。
1949年に光風会を退会し、国画会に会員として参加。1950年代から60年代にかけては、長谷川三郎の影響を受け、一連の抽象絵画を制作しました。
1970年代後半に再び具象絵画へと活動の重心を移すまでの約30年間、剋太は抽象表現の追求に没頭し続けました。また、書や陶芸といった新たな表現領域にも挑戦します。
1971年から1996年まで『週刊朝日』で連載された司馬遼太郎の「街道をゆく」では、1990年までの20年間にわたり挿絵を担当し、その名を広く知られる存在となりました。
北岡技芳堂では、須田剋太の作品の査定・買取を行っております。特に戦後日本美術における独自の抽象表現は、美術市場でも高く評価されております。
制作年代や保存状態、サイズ、出品歴などによって査定額は変わりますので、お手元に作品がございましたらぜひご相談ください。経験豊富な担当者が丁寧に査定し、適正価格での買取をご案内いたします。
絵画の買取につきましては、よろしければこちらもご覧ください。
https://gihodo.jp/kaiga-top/
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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。
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