買取実績

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掛軸
山中信天翁
「四季水墨山水図」
- 買取地区:
- 名古屋市内
- 買取方法:
- 店頭買取
参考価格¥40,000
山中信天翁の双幅を買取いたしました。山中信天翁(やまなか しんてんおう)は、愛知県碧南市の出身で、幕末から明治にかけて活躍した書家・政治家です。
山中信天翁(名は献〈まつる〉、信天翁は号)は、1822年に現在の愛知県碧南市にあたる三河国碧海郡棚尾村で生まれました。豪農として知られる山中家の次男として生まれ、幼いころから学問に親しみ、やがて家に農家の子どもたちを集めて読み書きを教えるようになりました。
父の山中七左右衛門(号は子敏)は京都で学び、日本各地を旅して地理を研究しながら、東浦で若者の教育にも力を入れていました。信天翁も若くして大坂の篠崎小竹に師事し、学問の道を進みましたが、1848年に父が亡くなると家業を継ぎ、寺子屋を開きました。
その後、国事に奔走していた弟が急死したため、もう一人の弟に家督を譲り、自身は漢学を志して上京します。伊勢国の儒者・斎藤拙堂に入門し、3年後には京都へと向かいました。
そこで梁川星巌や頼三樹三郎、梅田雲賓ら勤王の志士たちと親しく交わり、国のために尽力するようになります。この頃、後に著名な画家となる富岡鉄斎と出会い、生涯の友となりました。
安政の大獄では多くの同志を失い、自身にも危険が及んだため、京都の修学院村に身を潜めました。1869年には、新政府の中心人物であった岩倉具視に仕え、明治維新後の政治に関わるようになりました。
1868年の鳥羽・伏見の戦いでは、朝廷側の軍事費や食糧の調達を担当し、明治天皇の東京行幸の際には御用掛として随行、その後、石巻県(後の宮城県)の知事に任命され、1870年には登米県の知事にも就任しました。
政治においては、一人ひとりの農民の幸せに目を向けた温かな政策を行い、人々から「仏の山中様」と親しまれました。1873年、52歳で官職を辞し、京都の下鴨に転居、その後は嵐山の大堰川畔に「対嵐山房」を設け、文人として穏やかな暮らしを楽しみました。
北岡技芳堂では、山中信天翁の掛軸の査定、買取を行なっております。ご不明な点などございましたら、お気軽にお問い合わせください。
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【山中信天翁 略歴】
1822年
現在の碧南市東浦町に生まれる
1854年
京都に上り,勤王の志士と交わる
1863年
天皇に新しい政治の方法を上申する
1867年
岩倉具視に従い、天皇親政命令書を作成する
1868年
岩倉具視を助けて、明治新政府で活躍する
明治天皇東京行幸の御用掛になる
1869年
石巻県(現在の岩手県)の知事となる
1885年
64歳没
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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。
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