買取実績

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絵画
宮本三郎 石版
「裸婦」
- 買取地区:
- 名古屋市内
- 買取方法:
- 店頭買取
参考価格¥5,000
宮本三郎の石版画を買取いたしました。黒と白の強い対比が印象的で、女性の立ち姿が力強く描かれています。線の勢いやかすれが画面全体に動きを与えており、静けさの中にもエネルギーが感じられます。人物の形は細部まで描き込まれているわけではありませんが、全体から伝わる存在感がとても際立っているように思います。
戦時中には従軍画家としてマレー半島、タイ、シンガポールなどに赴き、藤田嗣治や小磯良平らとともに記録画の制作に携わります。第2回帝国芸術院賞を受賞した《山下、パーシバル両司令官会見図》(1942年)は、その代表作のひとつとして知られています。
戦後は熊谷守一、田村孝之介、正宗得三郎らとともに第二紀会を設立しました。もともとの素描力を活かしながらも、時代に応じて作風を変化させ、人物画を中心に多彩な表現を追求しました。
晩年には、花や裸婦を主題とした色彩豊かな作品を数多く制作しています。また、獅子文六の小説『大番』の挿絵を手がけたほか、高峰秀子や雪村いづみといった女優・歌手を描いた作品も多くの人々に親しまれました。
1974年10月13日、腸閉塞による心臓衰弱のため69歳で逝去。画業の傍ら、金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)や多摩美術大学で教壇にも立ち、二紀会では理事長を務めるなど、後進の育成にも力を注ぎました。
北岡技芳堂では、宮本三郎の作品の査定、買取を行なっております。人物画や裸婦像、挿絵原画など、様々なジャンルの作品を時代背景や画風、保存状態をふまえて適正に査定いたしますので、お気軽にお問い合わせください。
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【宮本三郎 略歴】
1905年
石川県小松市松崎町に生まれる
1918年
石川県立小松中学校(現・石川県立小松高等学校)に入学
1920年
小松中学校を中退し、画家を志して神戸に出る
1922年
上京し、川端画学校に在籍。富永勝重、藤島武二に師事
1923年
関東大震災を機に京都へ移り、関西美術院で黒田重太郎に学ぶ
1927年
第14回二科展に初入選
以後1944年まで連続出品
1928年
遠藤文枝と結婚し、品川区小山に居住
1929年
長女・美音子が誕生し、目黒区原町に転居
1933年
菊池寛の小説『三家庭』(東京朝日新聞連載)の挿絵を担当
1935年
世田谷区奥沢にアトリエを新築
1938年
渡欧
パリを拠点に各地の美術館を巡る
翌年帰国
1942年
戦争記録画制作のため東南アジアに赴く
1943年
第2回帝国芸術院賞を受賞
1945年
金沢市に疎開
1947年
熊谷守一、田村孝之助、正宗得三郎らと二紀会を設立
1948年
金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)教授に就任(1950年まで)
1952年
渡欧し、スペイン、イタリア、ギリシャなどを巡遊
翌年帰国
1953年
多摩美術大学教授に就任
1958年
日本美術家連盟理事長に就任
1959年
日本美術家連盟会館の建設委員長を務める(会館は1962年に完成)
1966年
日本芸術院会員となる
1967年
社団法人となった二紀会の理事長に就任
1971年
国立西洋美術館評議員に就任
1973年
文化庁芸術専門調査会委員に就任
1974年
10月13日、腸閉塞による心臓衰弱のため逝去
享年69歳
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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。
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