買取実績

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絵画
福王寺法林
「朝やけ」
- 買取地区:
- 名古屋市内
- 買取方法:
- 店頭買取
参考価格¥70,000
福王寺法林の日本画「朝やけ」を買取いたしました。福王寺法林は、山や森など自然をテーマにした作品を多く描いた、日本画壇を代表する画家です。
オレンジや黄色で表現された空と、それとは対照的に黒く静かに描かれた木々が印象的ですね。
福王寺法林(ふくおうじ ほうりん)は、1920年に山形県米沢市で生まれました。福王寺家は、かつて上杉藩の槍術師範を務めた武家の家系で、さらにその昔は、越後国新潟に近い堀ノ内にあった下倉城の城主でした。上杉謙信の時に、福王寺家は上杉家と養子縁組となり、上杉藩の会津から米沢への移封とともに移ってきました。
6歳のとき、父との狩猟中、不慮の事故で左眼を失明します。画家にとって致命的とも言える事故でしたが、法林はこれを克服します。
幼くして絵の道に進み、8歳の頃には地元米沢で狩野派の画家・上村廣成に師事します。その後、16歳で画家を志し単身上京しました。
しかし、法林の青春は平穏ではありませんでした。1941年、召集されて中国戦線に配属され、4年半にわたって中支、南支と転戦し、最後には桂林で敗戦を迎えました。
戦時中、出征前に全財産を投じて購入した岩絵具を土中に埋めて守り抜いたという逸話からも、彼の画家としての覚悟が伝わってきます。法林は戦火を生き延び、終戦後の1946年に復員しました。長く苦しい中国戦線での行動を支えたのは、その岩絵具であったのかもしれません。
戦後、本格的に日本画家としての道を歩み始め、1949年に第34回日本美術院展に《山村風景》を出品して初入選し、以後は次々と入選や受賞を重ね、日本美術院の有力作家として頭角を現していきました。
昭和40年代からは、ネパールやヒマラヤへと足を運び、空からの視点による荘厳な風景画をライフワークとしました。
1984年には日本芸術院賞、1998年に文化功労者、2004年には文化勲章を受章し、その功績は日本画史に深く刻まれました。
画壇の重鎮として活動する傍ら後進の育成にも熱心であり、画塾「濤林会」を結成し、自身の芸術観を真摯に伝え、誠実な人柄とともに多くの弟子に影響を与えました。
一本の線や一つの色に込められた魂は、幼少期の苦難から戦争体験、そしてヒマラヤの高峰にいたるまで、一貫して生きることを見つめ続けた法林の人生そのものだったのかもしれません。
北岡技芳堂では福王寺法林の日本画の査定、買取を行っております。ご不明な点などございましたら、お気軽にお問い合わせください。
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【福王寺法林 略歴】