買取実績

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絵画
熊谷守一 木版画
「百日草」
- 買取地区:
- 北名古屋市
- 買取方法:
- 出張買取
参考価格¥50,000
熊谷守一の木版画を買取いたしました。こちらの「百日草」は、加藤版画研究所によって1962年に制作されました。
一見無作為のようにも見えますが、守一の造形を捕らえる描写力と優れた構成力を見ることができます。四方へ伸びる百日草の姿は生命力に満ち溢れ、シンプルで明快な美しさと、どこか温かみのある雰囲気があります。
気に入ってずっと飾ってみえたとのことで、全体的にシミやヤケがあり、マージンに少々破れが見られました。
熊谷守一(くまがい もりかず)は、1880年4月2日、岐阜県恵那郡付知村(現・中津川市付知町)の裕福な家庭に7人姉弟の末子として生まれました。
父・熊谷孫六郎は製糸業や牧場経営などで成功し、県議会議長や初代岐阜市長、衆議院議員を務めた実業家・政治家でした。
しかし、守一が3歳の頃、生母や祖母から引き離されて父のいる岐阜市の邸宅に移され、妾の一人を「おかあさん」と呼んで育ちます。複雑な家庭環境の中で育った守一は「おとなのすることはいっさい信用できない」と思うようになったといいます。
幼少期から絵を描くことを好み、12歳頃には水彩画を始めました。17歳で上京し、正則尋常中学を経て、父の「慶応義塾に一学期通ったら好きな道へ進んでよい」という条件を守って慶応義塾普通部に一学期間だけ在籍しました。
のちに共立美術学館を経て、1900年に東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学し、黒田清輝や藤島武二らの指導を受けました。同級生には青木繁、児島虎次郎、山下新太郎らがいました。
守一は1904年に主席で卒業した後は、1905年から1906年にかけて樺太調査隊に同行し、風景や民族の生活をスケッチします。1909年には『蝋燭』を第3回文展に出品し、褒状を受賞しました。しかし1910年、実母の危篤を機に帰郷、その後の約5年間は林業や日傭の仕事をしながら、ほとんど絵を描かずに過ごします。
再び上京したのは1915年のことでした。二科展に「女」を出品し、翌年には二科会会員に推挙されました。この頃から表現を追求し続ける守一の絵は、しだいに写実を離れ、構成的・象徴的な画面構成を見せるようになります。
1922年、42歳のときに和歌山県の豪商の娘・大江秀子と結婚して5人の子どもを授かりますが、そのうち3人が相次いで亡くなります。次男・陽の死を描いた「陽の死んだ日」は、父親としての悲痛な思いを画面に刻んだ作品として知られています。悲しみに暮れる中、守一は絵を描くこともできず経済的に厳しい時期も長く続き、生活は困窮していました。
1932年、現在の東京都豊島区千早にアトリエ兼自宅を構え、以後は生涯をこの地で過ごすこととなります。戦中・戦後の混乱をこの場所で乗り越え、戦後は身近な自然や生命を主題にした作品を多く描くようになります。
なかなか絵が描けず、経済的にも困窮していた守一と家族を支えたのは、画家・斎藤豊作、音楽家・信時潔ら友人たちでした。画家・浜田葆光が守一の墨絵に惚れ込んで企画した展覧会では、後に重要なコレクターとなる木村定三とも出会っています。
守一は、輪郭線と平面的な色面による独自の表現を確立します。これが後に「モリカズ様式」と呼ばれ、70歳を過ぎた頃から人気になりました。
1956年に脳卒中を患い、以後は自宅の庭を観察する日々が続きましたが、庭の草花、鳥や虫たちを題材に、簡潔で鮮やかな線と色彩で描かれた作品を数多く生み出します。外出を控え、庭の小さな自然を見つめ続けた生活の中から、彼ならではの視点が深まりました。
1967年には文化勲章の内示を辞退し、さらには1972年の勲三等も辞退しています。「これ以上人が来てくれては困る」という理由で、あくまでも自分の生活と表現の在り方を貫く姿勢でした。
1976年に郷里・岐阜県中津川市に熊谷守一記念館が開館しましたが、翌1977年、肺炎により97歳でこの世を去りました。1985年には東京都豊島区に熊谷守一美術館が開館し、彼の作品世界と人生が現在も多くの人々に親しまれています。
若い頃は写実的でアカデミックな作風に取り組んでいましたが、音楽や機械の構造にも興味を持っていた守一は、やがて絵を成り立たせる「色」と「かたち」の仕組みに自ら深く向き合い、独自に探究を重ねていきました。
守一の作品は、徹底して無駄を削ぎ落とし、単純化されたかたちと鮮やかな色彩により、身近な自然や生命を見つめたものです。画家として名を馳せたのは晩年でありながら、その真摯な姿勢と作品の力は、時代を超えて高く評価され続けています。
北岡技芳堂では、熊谷守一の油絵、水墨画、シルクスクリーン、木版画などの査定、買取を行っております。ご不明な点などございましたら、お気軽にお問い合わせください。
絵画の買取につきましては、よろしければこちらもご覧ください。
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【熊谷守一 略歴】
1880年
岐阜県恵那郡付知村(現・中津川市付知町)に生まれる
1900年
東京美術学校西洋画科に入学
黒田清輝・藤島武二らに師事する。同級生に青木繁・児島虎次郎・山下新太郎・和田三造らがいる
1904年
東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科を主席で卒業
1909年
第3回文部省美術展覧会に《蝋燭》を出品し、褒状を受ける
1916年
第3回二科会展に出品し、二科会会員に推挙される
1930年
墨絵を描き始める
1932年
東京・豊島区長崎町(現・千早)に転居し、以後生涯この地で過ごす
1940年
輪郭線と平面構成による独自の油彩表現を確立
1947年
二紀会創立に参加し、会員となる
1964年
日本各地およびパリで個展を開催
1967年
文化勲章の受章を辞退する
1976年
郷里の岐阜県付知町に熊谷守一記念館が開館
1977年
肺炎のため死去、享年97歳
1985年
東京都豊島区に熊谷守一美術館(現・豊島区立 熊谷守一美術館)が開館
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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。
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