買取実績

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絵画
ヒロ・ヤマガタ
「四大都市 ニューヨーク」シルクスクリーン
- 買取地区:
- 尾張旭市
- 買取方法:
- 出張買取
参考価格¥15,000
ヒロ・ヤマガタのシルクスクリーンを買取いたしました。制作年は1985年、エディショは1000あります。
作品タイトルは「4大都市・ニューヨーク」です。ヒロ・ヤマガタの特徴である、鮮やかな色彩と緻密な構図が印象的で、ニューヨークの街に現れた、キング・コングをユーモラスに描いています。
若い頃のヤマガタのチャレンジ精神と、都市と空想が融合した華やかで楽しい世界観を感じることのできる作品です。
現在の市場での相場は、シルクスクリーン作品は、作品の状態が良いもので1万円〜数万円の場合が多いです。
ディズニーのコラボ作品は、彼のファンだけでなく、ディズニー作品のコレクターの間でも人気があり、状態によっては高額買取となるケースもあります。
ヒロ・ヤマガタ(本名:山形博導)は、1948年に滋賀県米原町(現・米原市)で、材木商を営む父のもとに6人兄弟姉妹の3番目として生まれました。
幼少期から絵の才能を示し、1955年に米原町立醒井小学校(現・米原市立河南小学校)に入学します。放課後には美術の特別授業を受け、近所の寺に通っては住職から老子・道教・禅といった東洋思想の教えを受けて育ちました。
1961年に米原町立河南中学校へ進学すると、サイクリングに熱中し、仲間とともに琵琶湖を一周するほどでした。修学旅行で初めて訪れた東京では、都会の喧騒と文化に強い刺激を受けます。
家業の手伝いで通った山林では、夜空に広がる星々に魅了され、アマチュア天体観測家だった父の影響もあって自作の望遠鏡で宇宙観測に熱中し、詩の世界にも関心を寄せるようになりました。
1964年、滋賀県立米原高等学校に進学、美術教師で日本画家の椙村睦親(すぎむら まさちか)に師事しながら、彼の蔵書の中でアンリ・ルソーの画集と出会い、大きな影響を受けました。
高校時代は多くの公募展で受賞する一方、大阪のネオン看板工場を訪れたり、蛍光灯を使った作品を制作するなど、光への探求心も高まっていきました。
1967年、高校卒業と同時に椙村のもとで本格的に修行を始めますが、同年中に単身上京します。東京では画材店でアルバイトをしながら、その才能が見出され、広告会社でデザインやイラストの仕事に就きました。
仕事の合間に、サイコロや米粒に自作の絵を描いて気分転換していたという逸話も残されています。
1972年には、五海祐治、崔洋一、篠毅らとともに、渋谷にアーティスト集団「JIM」を設立し、創作活動の幅をさらに広げていきました。
同年、恋人を追ってミラノに渡るも関係は実らず、その後パリへ移住し定住します。ルーヴル美術館に通い詰めながら制作に打ち込み、ヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲルの作品に強い衝撃を受けました。
1973年にはパリの画廊と契約し、ウィーンで初の個展を開催します。その後、ロサンゼルスに移るまでパリを拠点にサロンへ出展し、ヨーロッパ各地で個展を行いました。
当時は水彩や油彩が中心だったため、後に代表作となる版画作品(リトグラフやシルクスクリーン)はまだ制作していませんでした。
この時期に、彼は渡仏中の音楽家・間章をはじめ、スティーヴ・レイシー、詩人のブライオン・ガイシンらと交流し、ジャズに熱中します。
自ら資金を投じて公演を企画するなど積極的に活動し、カフェではアレン・ギンズバーグやグレゴリー・コルソーらとも出会いました。1974年には、レーザーを使った初のインスタレーション作品をパリ市内の劇場で発表しています。
1978年、ヤマガタはロサンゼルスに移住し、世界に羽ばたきます。彼の名を一躍知らしめたのは、100色以上もの色を使い分けたシルクスクリーン作品でした。画面いっぱいに広がる鮮烈な色彩と、細部まで描き込まれた人物の描写、その緻密さは、近づいて初めて気づくほどです。
1980年代にはアメリカ各地で個展を開催し、レーガン大統領が名誉会長を務める記念財団のポスターにも選ばれました。「ヤマガタ・ブルー」と呼ばれる美しい青の表現は、この頃に確立されたものです。
彼の活動はアートだけにとどまらず、障害者支援やエイズ基金、地震被災者への寄付など、数々の慈善活動にも積極的に取り組みました。1987年にはヤマガタ財団を設立。その活動は、まさに“社会とともにあるアート”の実践そのものでした。
1990年代に入ると、ヤマガタは次なる表現を求めて動き出します。自然を描いた「アースリーパラダイス」シリーズでは、クラシックカーをキャンバスにし、美術と工業デザインの融合を試みました。展覧会はヨーロッパを中心に巡回し、多くの注目を集めました。
さらに、レーザー光線を使ったインスタレーションへと領域を拡張します。グッゲンハイム美術館やNASA施設、ホワイトハウス記念事業など、大規模プロジェクトを次々と手がけます。
極めつけは、アフガニスタンのバーミヤーン遺跡でレーザーにより仏像の姿をよみがえらせるという、壮大な構想。太陽光発電を活用し、現地の生活支援にもつながるその計画は、アートと社会貢献を融合させたヤマガタらしい試みでした。
2000年代後半には、レーザーの構造美をキャンバス上に再構築するペインティング作品や、水墨と鉛筆で描く繊細な和紙の作品も発表しました。インスタレーションの動的な表現から、静謐で内省的な世界へと移行しながらも、ヒロ・ヤマガタの挑戦は止まることを知りません。
ヤマガタは、日本国内ではカラフルなシルクスクリーン作品を手がけるアーティストとして広く知られていますが、海外ではレーザーやホログラムを駆使した現代美術の分野で高く評価されています。
2007年までは、最先端の技術を取り入れたイリュージョニストとして活躍していました。また、日本人画家のビン・カシワが彼の師とされており、その作風に大きな影響を与えたと言われております。
北岡技芳堂では、ヒロ・ヤマガタのアクリル原画、油彩、水彩、シルクスクリーンなどの版画作品、ブロンズ等の査定、買取を行っております。ご不明な点などございましたら、お気軽にお問い合わせください。
絵画の買取につきましては、よろしければこちらもご覧ください。
https://gihodo.jp/kaiga-top/
【ヒロ・ヤマガタ 略歴】
1948年
滋賀県に生まれる
1972年
パリのエコール・ド・ボザールの聴講生となる
1973年 – 1980年
ウィーン、ロンドン、ローマ、ミュンヘン等にて初のヨーロッパ巡回展を開催
1978年
アメリカ ロサンゼルスに移住
1983年
「エア・ショー」が、人類飛行200周年記念財団の公式ポスター作品に選ばれる
1984年
ロードアイランド州が、9月21日を「ヒロ・ヤマガタの日」に定め、同州のウォリック市より名誉市民の称号が贈られる
1986年
ロサンゼルス市名誉市民に選ばれる
「自由の女神100周年記念」のための公式作品を制作
1988年
「オーストラリア建国記念」「エッフェル塔100周年」などの公式作品、レーガン大統領肖像画を制作
1991年
「コロンブス新大陸発見500年記念」、世界陸上の公式作品を制作
バルセロナ・オリンピックの公式作品を制作
金閣寺をモチーフに、京都「遷都1200年祭」の公式作品を制作
1995年
アトランタ・オリンピック全種目の作品を制作
1996年
長野冬季オリンピックの公式ポスター制作
2007年
ペインティング作品「トランシエント」展をロサンゼルスのゲーリー・パートナーズにて開催