2023年6月29日
山田想陶展
2023年6月3日
徳川家康の掛軸を買取りいたします。
徳川家康の書状を買取りいたします。徳川家康の真蹟は貴重です。多くは掛軸に仕立て上がっております。
400年ほど前の歴史的、重要人物、徳川家康の書かれた筆蹟を探しております。
北岡技芳堂では様々な掛軸を買取り致しております。
その他の戦国武将、茶人、公家。僧侶の書かれた書状や和歌などが描かれた手紙、消息を探しております。
大変貴重な徳川家康の書状をお持ちの方は是非ともお問い合わせください。
高価格にて買取りいたします。
徳川家康像 狩野探幽画 大阪城天守閣蔵
徳川家康は、室町時代後期から江戸時代初期の日本の武将、戦国大名。
江戸幕府初代征夷大将軍。安祥松平家5代当主で徳川家や徳川将軍家、徳川御三家の始祖。織田信長との織徳同盟を基軸に勢力を拡大。
豊臣秀吉の死後に引き起こした石田三成との関ヶ原の戦いに勝利し、豊臣氏に対抗しうる地位を確立。
1603年に後陽成天皇により征夷大将軍に任じられ、264年間続く江戸幕府を開いた。
関ヶ原の戦いの後も、領地を削減されたとはいえ豊臣氏(豊臣秀頼)は一定の力を有していたが、方広寺(京の大仏)に納める梵鐘の鐘銘を巡る一連の紛争である方広寺鐘銘事件を契機として豊臣方と開戦し(大坂の陣)、1615年に大坂夏の陣により豊臣氏を滅ぼし、全国支配を磐石なものにした。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑の1人である。
作品の買取りの場合は実物を拝見させて頂き判断致します。高額でお買取させていただく場合はお時間が少々かかる場合もございます。
徳川家康の書かれた書には直筆と右筆があります
右筆(ゆうひつ)は、中世・近世に置かれた武家の秘書役を行う文官のこと。文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。執筆(しゅひつ)とも呼ばれ、近世以後には祐筆という表記も用いられた。
戦国大名としての徳川氏にも右筆は存在したと考えられる、徳川家康の三河時代の右筆は家康の勢力拡大と天下掌握の過程で奉行や代官などの行政職や譜代大名などに取り立てられたために、江戸幕府成立時に採用されていた右筆の多くは旧・室町幕府奉行衆の子弟の曾我尚祐や関ヶ原の戦いで東軍を支持した豊臣政権の右筆衆、大橋重保、関東地方平定時に家康に仕えた旧・後北条氏の右筆久保正俊などであったと考えられている。
徳川家康の真蹟を詳しく知りたい方は下記の書誌ご覧ください。
徳川家康真蹟集
Amazonで販売しております。
今回ご紹介する徳川家康は多胡藩久松松平家旧蔵
徳川家康真蹟集にも同じような形式の作品が掲載されておりました。
徳川家康真蹟集より抜粋
〈道中宿付〉
「道中宿付」とは旅行日程表である。秀吉に「律儀」と評され実務家であつた家康は、旅行の予定も自ら策定したのであらう。本書に収録した自筆道中宿付のみでも十二点にのぼる。
慶長十二年、駿河城に退隠した家康は、以後慶長十九年の大坂出陣の年を除いて、毎年初冬、九月末から十月末に駿府を立つて江戸に下向し、十一月末から十二月前半に駿河に帰著する旅行を年中行事の様にしてゐた。そして行きがけに、或は江戸を起点として武蔵国中を放鷹して廻り、時には下総・上総にも足を延ばし、往復の道中にも放鷹を楽しんだ。
家康の放鷹の記録は、今川氏のもとに駿府に育つた少年時代から始まる。以後、機を得ては毎年の様に楽しんでゐたと思はれ、鷹狩に関する記録は少くないが、殊に太平の世となつに隠退してよりのちは、それを唯一の楽しみとしてゐた様に窺はれる。楽しみっても、鷹狩は単なる道楽ではなく、身体の鍛錬、武術・合戦の訓練、民情視察等の目的を兼ねた行事であり、七十歳を超えても時に一日十里の道程⋯⋯当然騎馬であらう⋯⋯を行き、鉄炮を撃ち、民の訴へを自ら聴いてこれを裁き、それを機に人材、家臣や側室までも得たことさへあつた。
徳川家康真蹟集 道中宿付
今日に伝存してゐる自筆の道中宿付は、いづれも駿府退隠後のもので、図版七五の慶長十四年十月執筆と推される宿付が初見例である。いづれも単なる街道上下の宿割書ではなく、放鷹を予定した日程であつたことは、その巡路や、一ヶ所に数日滞在を予定した日割からもあり、かつ『当代記』『駿府記』等の実際の行動記録によつても裏付けられる道中宿付は予定表であるから、実際の行動とは当然かなり相違を生じてゐるし、また予定を何回も立て直したり、途中で部分訂正を行つたり、旅行の前半部分または後半部分のみの予定を記すこともある。だから、一回の旅行に関して数種数葉の道中宿付が作製されることも十分にあつたわけである。
旅行の途中、風雨天候や家康の健康状態等、事前に予測し得なかつたと思はれる理由による日程の変更は常に行はれたが、出立日や経路・駿府帰著日等の大概は道中宿付に記された通りに実施されてをり、家康は晩年から最期に至るまで、已れの行動は自らの意志によつて策定し、実行してゐたと知られる。
徳川家康真蹟集 道中宿付
徳川家康筆 道中宿付 掛軸
今年は、大河ドラマどうする家康が放映されています。
戦国時代はロマンがあり人と人とのやりとりを学ぶのには最強の教材だと思っております。
家康の軸を掛けて良いお茶碗で美味しいお抹茶を頂きたいですね。
徳川家康の買取相場
徳川家康は、数々の掛け軸が残されており、それらは時々買取市場に売りに出される場合があります。
作品数がそれほど多くない上に、ビックネームで沢山のコレクターがいることから、それらの掛け軸は高額査定になる可能性が非常に高くなっており、実際に300万円という高い査定金額が付された作品も存在し、文献などに掲載されている作品ではあれば500万以上の査定となる事もございます。芸術作品としての価値だけでなく、骨董的価値や歴史的価値も兼ね備えている徳川家康の掛軸作品は、多くの買取業者が積極的に買取りを行っている美術品の一つとなっていることもあって、その買取相場は将来的にさらに上がっても不思議ではありません。そのため、もし手元に徳川家康の作品があるという場合には、相場の水準をしっかりと確認した上で、少しでも高く買い取ってくれる業者を探すようにした方がよいでしょう。
※徳川家康の消息以外にも様々な掛軸を買取り致しております。
掛軸の売却をご検討なさっているお客様は、北岡技芳堂までご連絡ください。
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徳川家康 簡単な略歴
1542(天文11年)三河岡崎城主・松平広忠の長男として岡崎に生まれる。(1歳)
1547(天文16年)人質として駿府へ向かう途中で連れ去られ、尾張へ送られる。(6歳)
1549(天文18年)父・広忠が暗殺される。今川義元の人質となり駿府へ移る。(8歳)
1557(弘治3年)今川氏の重臣・関口義広の娘・築山殿と結婚する。(16歳)
1559(永禄2年)墓参りで岡崎に帰る。長男・信康が誕生する。(18歳)
1560(永禄3年)桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討ち取る。(19歳)
1563(永禄6年)長男・信康が信長の娘・徳姫と婚約。名を元康から家康へと改める。 三河一向一揆を鎮圧へ。(22歳)
1566(永禄9年)東三河・奥三河を平定し、三河国を統一。徳川に改姓し、朝廷から三河守に任ぜられる。(25歳)
1568(永禄11年)遠江国へ進出し、武田信玄と駿河・遠江の分割を取り決める。(27歳)
1570(元亀元年)織田信長の援軍で姉川の戦いに出陣し、浅井・朝倉軍を破る。 岡崎より浜松へ移り、浜松城を築いて本城とする。(29歳)
1572(元亀3年)武田信玄が遠江国・三河国への侵攻を開始(西上作戦)。 一言坂の戦い、二俣城の戦いで武田軍に敗北。三方ヶ原の合戦で武田軍に大敗する。(31歳)
1573(元亀4年)信玄が病死(53歳)。室町幕府が滅亡。本多忠勝らに長篠城を攻めさせる。(32歳)
1574(天正2年)次男の秀康(後の結城秀康)が誕生。母親は側室の於万の方。(33歳)
1575(天正3年)織田信長と連合し、長篠の戦いで武田勝頼を撃破。(34歳)
1579(天正7年)三男の秀忠(後の二代将軍・徳川秀忠)が誕生。 信長の命で正室・築山御前を殺害。嫡男・信康を自害に至らしめる。(38歳)
1581(天正9年)武田方の高天神城を攻略し、遠江を完全に平定する。(40歳)
1582(天正10年)武田氏の滅亡で駿河国を得る、本能寺の変で信長が自害、伊賀越えをして堺から岡崎へ戻る。 信長の死後、甲斐・信濃を奪い、5カ国の大名となる(41歳)
1584(天正12年)小牧・長久手で秀吉と戦い講和(小牧・長久手の戦い)。(43歳)
1586(天正14年)浜松城から駿府城へ移る。 秀吉の妹・朝日姫と結婚。大阪城で秀吉に謁見。(45歳)
1590(天正18年)小田原攻めで先鋒を務める。秀吉からの移封命令により、江戸城を居城とする。(49歳)
1600(慶長5年)会津の上杉景勝の征伐へ向かう。関ヶ原で石田三成らを破る(関ヶ原の戦い)(59歳)
1603(慶長8年) 征夷大将軍となり江戸幕府を開く。(62歳)
1605(慶長10年)秀忠に将軍職を譲り、自らは大御所となる。(64歳)
1607(慶長12年)駿府城を築き、隠居城とする。(66歳)
1615(慶長20年)大坂夏の陣。淀殿と秀頼が自害し、豊臣家が滅亡する。(74歳)
1616(元和2年) 朝廷より太政大臣に任じられる。4月17日に駿府城で病死し、久能山に葬られる。(75歳)
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