2019年2月8日

葛明祥の花器を買取ました。

葛明祥の花器

葛明祥(かつめいしょう)は、清朝乾隆・嘉慶年間(1736年-1821年)頃に活躍していた、宜興窯(ぎこうよう)の陶工で親子三代にわたってこの銘を使用していたとされています。
宜興窯では鈞州とよばれた河南省禹県を中心に作られた鈞窯(きんよう)という青磁陶器を製作していました。

 

 

 

 

単色を特徴とする鈞窯釉を葛明祥とその弟である葛源祥(かつげんしょう)が継承、発展させたものが海鼠釉(なまこゆう)です。
その釉色がナマコに似ているところから命名され、青地をベースにオパール現象によって青白く美しい艶をした色彩の海鼠釉を得意としていました。
葛兄弟はこの海鼠釉の技法を施した数々の名作を残しています。
作品の多くは日本へ大量に輸出された為、日本には比較的存在しますが中国にはほとんど存在していなかったといわれております。
ご紹介の花器は、陽刻方印(文字と輪郭を残し他を削り取った角型の印)で「葛明祥造」と底裏に印刻されています。
また、葛明祥造の他にも「葛源祥造」と印刻されている作もあるようです。

 

 

 

 

 


葛明祥のこの形のものですとそれほども珍しい形ではないですが、花台が家鴨になっている為、珍妙で素晴らしく、かえってそちらに感心いたしました。家鴨の花器自体が新しいと葛明祥の本体自体も新しいと判断されてしまいます。
今回この葛明祥の花器に南国産の赤いエピデンドラムを近所の花屋で買い求め投げ入れました。
花言葉は「孤高の憧れ」、他の植物が育たない樹木や岩の上に根を張る姿からそのように付けられたようです。
和花ですと近所の花屋には売っていませんので、葛明祥の花器に洋花を生けてとりあえず切り抜ける時があります。

 

葛明祥の代表的な技法である海鼠釉が施されているもの、花入、壺、水盆、火鉢などが特に需要の見込めるお品物となります。青い海鼠釉が印象的な葛明祥ですが中には白い海鼠釉を施した作品も存在しますので、査定をご希望のお客さまは「作者・作品名・種類・色・形・大きさ」など詳細をお伝えください。高価格にて買取いたします。

 

 

 

 

2019年2月7日

【査定・買取ご希望のお客様へ】2月7日(木)

本日は出張の為、終日不在となります。

お電話、メール、ラインにて査定等はお受けしております。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

2019年2月6日

【査定・買取ご希望のお客様へ】2月6日(水)

本日は出張の為、17時頃まで不在にしております。

ご来店ご希望のお客様は、お手数ですがお電話くださいませ。

お電話、メール、ラインにて査定等はお受けしております。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

2019年2月5日

【査定・買取ご希望のお客様へ】2月5日(火)

本日は出張の為、終日不在となります。

お電話、メール、ラインにて査定等はお受けしております。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

2019年2月4日

詠寄世祝 和歌 三条西實條

詠寄世祝 和歌 三条西 實條
田中塊堂 箱書

 

詠寄世祝 和歌 三条西 實條

王(ワ)きて猶 ひかりもそはむ玉鉾(タマホコ)の 道しある世の 時にあふ身は

 

素晴らしい表具です。

 

–解説–
とくに一層、光も備わっている玉桙(美しい矛)があり、その道しるべがある世の中の、時と向き合う身であるよ

後陽成天皇の時代に宮中の歌会にて、
後陽成の治める時代を玉鉾の光と例えて讃えた和歌。

2月5日は、旧暦の1月1日です。昔は1ヶ月ぐらい遅れてきますがなかなか実感がわかないですね。今年は元号が5月1日に改元され新天皇の即位がありますので、ふさわしいのではないかと思いご紹介いたします。

三条西實條“実条”(さねえだ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の公家。
ご染筆されたのは、三条西実条が権中納言の時期、三十歳代、戦国末期の慶長十一年(32歳)から慶長一八年(39歳)。

 

三条西家歴代当主
1. 公時 2. 実清 3. 公保 4. 実隆 5. 公条 6. 実枝 7. 公国 8. 実条

 

三条西家の家職は歌道であり、実条の高祖父で戦国時代前期の当主・三条西実隆は当代随一の歌人と評された。実隆・公条・実枝の三代はいずれも歌道に優れており、家職として歌道を継承した。しかし実枝は子の公国が幼かったため、弟子の一人であった細川藤孝(幽斎)に中継ぎとして歌道を継承した。「たとえ細川家の嫡男の一人といえども、絶対に他人には伝授しないこと、三条西家に、もし相伝が断絶するようなことがあれば、責任をもって伝え返すこと」等を誓わせ、古今伝授を行った。公国成人後、幽斎は歌道を継承しようとしたが、公国が32歳で死去したため、幽斎は改めて公国の子である実条に歌学伝授を行い、師・実枝との約束を果たした。
実条は慶長18年7月11日(1613年8月26日)武家伝奏に任ぜられ、幕府との交渉を担うこととなった。元和9年(1623年)には、幕府3代将軍・徳川家光の将軍宣下に際して上卿(口頭で天皇からの宣旨を伝える役)を務めた。なお家光の乳母・斎藤福(春日局)は、父・斎藤利三が主君・明智光秀の起こした本能寺の変に従い、山崎の戦いに敗死した後、母方の親戚である公国に引き取られ三条西邸で養育された過去があり、実条とも幼少より親交が深かった。寛永6年(1629年)、福が病中の家光の代理として上洛した際、御所へ昇殿する資格がなかったため、同年内大臣となった実条の義理の妹、猶妹(ゆうまい)として縁組を行い、三条西家の女性の資格で参内し、後水尾天皇に拝謁を許されることとなった。

 

 

 

2019年2月2日

草間彌生 かぼちゃ(Y) を買取いたしました

草間彌生 かぼちゃ(Y) をお客様から購入しました。

以前、売却した作品と久しぶりのご対面でした。

草間彌生 かぼちゃ(Y) 
screenprint 
2003
ed.150 AP.15 PP.5

株式会社草間彌生作品照会済

 

10年ぐらい前にお客様に販売した作品ですが、今回、お客様からの売却依頼があり買受致しました。

昔の記憶が呼び覚まされて、その時の自分の状況などがフラッシュバックしました。

10年ひと昔と言いますが、様々な事が変わりましたね。これからの10年もまた変わるのでしょう。
美術品の価値の変化で、時代の変化を思い知らされました。

柳の下にいつまでもドジョウはいない、新しい元号に向けてこれからの事を考えていこう。

 

最近、草間彌生作品のお問い合わせを多くいただいております。

求めたい方、売却されたい方

いずれの方も弊店にお問い合わせしてください。

ご連絡お待ちいたしております。

 
 
 

2019年2月2日

草間彌生美術館に行ってきました。

未来へのわが展望をみてほしい

ー植物とわたしー

開館して半年ぐらいでしょうか、予約制ですので予約して行ってきました。

 

〜屋上の草間彌生作品〜

 

 

種苗業を営む旧家に生まれた草間彌生は、幼少期から植物に囲まれて育った。

その植物は愛すべき対象でもあり、幻覚による恐怖も与えた。

代表作のかぼちゃの立体や平面の作品に加え、鏡をつかった無限の反復を生み出す作品など、10代のスケッチから最新作までの展示でした。

 

 

 

〜エレベーターの中も草間彌生作品〜

 

〜真っ暗な草間彌生展示室〜

2分感満喫できます。

 

所在地: 〒162-0851 東京都新宿区弁天町107

 時間: 営業中 ⋅ 営業終了時間: 17:30

 

最近、草間彌生作品のお問い合わせを多くいただいております。

求めたい方、売却されたい方

いずれの方も弊店にお問い合わせしてください。

ご連絡お待ちいたしております。

 

 

 

 

 

2019年2月2日

【査定・買取ご希望のお客様へ】2月2日(土)

本日は15時までと、16〜18時まで不在にしております。

ご来店ご希望のお客様は、お手数ですがお電話くださいませ。

お電話、メール、ラインにて査定等はお受けしております。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

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