買取実績

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掛軸
頼支峰
七言絶句
- 買取地区:
- 名古屋市内
- 買取方法:
- 店頭買取
参考価格¥10,000
頼支峰の七言絶句の掛軸を買取いたしました。父・頼山陽の字よりもゆったりとしており、真面目な印象を受ける書体です。山陽や弟・三樹三郎の字と比べますと、性格の違いが表れているようで面白いですね。
表具屋の昔の小話ですが、明治時代は頼山陽の掛軸一幅で家が建ったと言われていました。それほどまでに、とても人気がありました。
頼支峰(らい しほう)は、幕末から明治時代の儒者です。1823年(文政6年)に頼山陽の次男として生まれました。頼三樹三郎は弟にあたります。
10歳の時に父・山陽が亡くなると、広島で儒学者・後藤松陰に学びます。その後、江戸へ遊学して門田朴斎の庇護を受けながら、昌平坂学問所で学問を修めました。
1852年から2年間、越後国水原代官所の学問所・温故堂の塾頭に就きます。その後帰洛し、父・山陽の跡を継いで家塾を開きました。
1859年、弟・三樹三郎が安政の大獄により斬首されます。安政の大獄は、安政5~6年(1858~1859)に、大老井伊直弼が行った尊攘(そんじょう)派への弾圧です。
安政の仮条約や、家茂を14代将軍に定めたことに反対する一橋慶喜擁立派の公卿、大名、志士ら百余名を処罰し、吉田松陰、橋本左内らを死刑としました。
これによって井伊直弼に対する反感がさらに強まり、徐々に井伊は孤立していきます。安政の大獄は、井伊が江戸城外で暗殺された桜田門外の変のきっかけとなりました。
東京遷都の際には天皇に随行します。支峰は弟・三樹三郎のように過激な思想には走らず、新政府では大学二等教授に任ぜられ、昌平学校で教鞭を執りました。1869年、明治政府の教育改革に伴い大学少博士となりますが、まもなく辞任して京都へ戻りました。
晩年は父の書である「日本外史」の標注本を作り、生涯学問を貫きました。1889年に67歳で亡くなるまで、京都で悠々自適な生活を送っていたそうです。
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