買取実績

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掛軸
中林竹洞
「水墨竹図」
- 買取地区:
- 名古屋市内
- 買取方法:
- 店頭買取
参考価格¥30,000
中林竹洞の掛軸を買取いたしました。竹の幹や小枝、葉を水墨の濃淡によって見事に描き分けています。
竹洞の号は、豪商・神谷天遊に連れられ万松寺に出向いたときに、元の文人画家・李衎(りかん)の「竹石図」を見て深く感銘したことから授けられたといわれています。
同じ時、弟弟子の山本梅逸は、元代末期の画家・王冕(おう べん)の「墨梅図」に感銘したことからその号を与えられたという話が残っています。
戊戌(つちのえいぬ)清和月(せいわづき)と書いてありますので、おそらく1838年に描かれた作品です。清和月は4月の異称で、空は晴れ、清々しく和やかな時期を表しています。
中林竹洞(なかばやし ちくとう)は、江戸時代後期の名古屋を代表する南画家です。
1776年、桑名町(現:中区丸の内)の産科医・中林玄棟の長男として生まれます。幼い時から絵が好きでしたので、医業は継がずに画家の道を選びました。
14歳で尾張における南画の先駆者である山田宮常(やまだ きゅうじょう)に学び、翌年に尾張画壇のパトロンとして知られた豪商・神谷天遊に才覚を見込まれ、同家に引き取られます。ここで生涯の盟友となる、7歳年下の山本梅逸と知り合いました。
中国絵画のコレクターでもあった天遊の指導を受け、臨模を行い画法を会得します。19歳の時には絵画で生計を立てていたそうです。
1802年、恩人の天遊が病没すると梅逸と共に上洛し、古画を臨模して回ります。京都では、頼山陽や浦上春琴らと交流しました。
天遊の友人・内田蘭著に仕事の依頼を受けて生計を立てており、30代後半には画家として認められ、以後40年にわたり文人画家の重鎮として知られました。
1853年、78歳の時に京都で亡くなります。墓所は京都市の真正極楽寺にあります。墓碑に「竹洞隠士」とあり、近隣住人の方により守られているそうです。
竹洞は、画論や画譜など30種類を超える著作も残しています。また、長男・竹渓も画家として活躍しました。
竹洞は、中国からもたらされた山水画を写し学び、模倣を基礎にした山水画を主とし、静謐な南宗画的画境を確立させ人気を博しました。70歳前後から亡くなるまでの最晩年は、筆数が少なくなり、素直に自身の心情を吐露した作品へ変化していく様子を見ることができます。
北岡技芳堂では、中林竹洞をはじめとする南画家の作品の査定、買取を行っております。ご不明な点などございましたら、お気軽にお問い合わせください。
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