買取実績

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ジャン・コクトー「LE MUR DE DROITE」

絵画

ジャン・コクトー
「LE MUR DE DROITE」リトグラフ

買取地区:
東海市
買取方法:
店頭買取

参考価格¥10,000

ジャン・コクトーのオリジナル・リトグラフを買取いたしました。1956年作の「ヴィルフランシュ・シュル・メール」24点シリーズの内の1点となり、コクトーのスタジオ・スタンプサインも入っております。

こちらは、コクトーが南仏のヴィルフランシュ・シュル・メ-ルとマントン市役所の壁画の制作をしていた1950年頃に描かれた作品を、パリのF・ムルロが全ての作品を刷り、自筆のイニシャル・サインを入れたものとなっております。

絵画の買取につきましては、よろしければこちらもご覧ください。
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ジャン・モリス・ウジェーヌ・クレマン・コクトーは、フランスの芸術家です。詩人、小説、劇作、音楽、映画、絵画の各分野で活躍し、また映画監督、脚本家としての活動も行っており、その多彩さから「芸術のデパート」と呼ばれました。

コクトーは、1889年にフランスのパリ近郊の小さな町である、メゾン=ラフィットの裕福な家庭に末っ子として生まれました。父・ジョルジュは絵を描く趣味がありましたが、 1898年にピストル自殺をしてしまいます。

高校生時代は学業には力を入れず、マルセル・プルーストらと出会うなど文学に没頭しましたが、大学受験に失敗して進学を断念しました。

20歳ごろから社交界、裏社交界に出入りするようになり、雑誌や新聞に寄稿、詩人として頭角を現し、ココ・シャネル、ストラヴィンスキーらのアーティストと交流を深めていきます。

数年後には、モディリアーニをはじめとするモンパルナスの画家との交流が始まり、サティやピカソとも出会いました。

1917年にピカソ、サティらと手がけたバレエ『パラード』初演します。1918年には、後に六人組と呼ばれる作曲家、ルイ・デュレ、アルテュール・オネゲル、ダリウス・ミヨー、ジェルメーヌ・タイユフェール、フランシス・プーランク、ジョルジュ・オーリックを集めたコンサートも開いています。

1923年、フランス人作家のレーモン・ラディゲが亡くなりました。恋人でもあるラディゲの早すぎる死に、コクトーは悲嘆に暮れ、その後10年に渡り阿片に溺れることになります。ラディゲは20歳という若さで亡くなったので作品数は少ないのですが、三島由紀夫や堀口大學など日本の文壇の一部にも影響を与えた作家でした。

コクトーは、当時の前衛グループのどこにも属さずに曖昧な立場をとっていましたが、シュルレアリストらと激しく対立しています。

1934年、世界一周の旅で日本に滞在時、友人で日本帰国中の藤田嗣治と再会し、詩人・堀口大學も伴い相撲観戦や歌舞伎見物などを楽しんだそうです。

この時観た鏡獅子が、後の『美女と野獣』のメイクに影響したという説もあります。また、日本に来て最初に衝撃を受けたのは、石けりをしている少女が地面にチョークで描いた円で「子供がこれほど正確で幾何学的な線を描く国は他にはない」と驚いていたそうです。

1940年、エディット・ピアフのための演劇『Le Bel Indifferent』 を執筆し、この年に阿片から足を洗いました。1945年には代表的映画作品『美女と野獣』を監督、1955年にアカデミー・フランセーズ、ベルギー王立アカデミーの会員に選出されます。

1963年10月11日、歌手のエディット・ピアフが癌により死去、彼女のファンであり親友でもあったコクトーは多大なショックを受け、嘆き悲しみながら寝室に入った数時間後に自身も心臓発作で息を引き取りました。

 

 

【ジャン・コクトー 略歴】

1889年
パリ郊外のメゾン=ラフィットに生まれる

1895年
6歳の時に、シャトレ座でジュール・ヴェルヌ原作の『八十日間世界一周』などを見て驚嘆する

1898年
父のピストル自殺

1902年
リセ・コンドルセ高校部進学
アイス・スケートなどに熱中し、学業怠慢でフェヌロン校へ転学

1906年
エルドラド座に通い、前座の歌手・女優ジャーヌ・レネットと関係を持つ
中等教育修了・大学入学資格試験(バカロレア)に落第
家出してマルセイユへ行き麻薬と同性愛を知る

1907年
再度バカロレアに落第し、大学進学を諦める
母ウージェニーにより社交界にデビュー

1908年
ド・マックスの企画した「詩の朗読会」で自作を朗読
詩人としての華々しいデビューとなる

1911年
ロシア・バレエ団のデザイナー画家レオン・バクストの推挙で、ニジンスキーによる『薔薇の精』のためのポスターを制作
デザイン画家としてのデビューする
ディアギレフにより作曲家・ストラヴィンスキーを紹介され、社交界での交際はいよいよ広まる

1914年
スイスのストラヴィンスキー邸にて、小説『ポトマック』を完成
ダリユス・ミヨー、ジョルジュ・オーリック、アルチュール・オネッゲル等、若い作曲家との交際する
第一次世界大戦勃発に際しては衛生兵として従軍する

 1917年
シャトレ座におけるコクトー台本、ロシア・バレエ団による『パラード』初演
音楽はサティ、美術はピカソ、振付はレオニード・マシーン
賛否両論の大スキャンダルとなる
前衛芸術家としてのコクトーの華々しい誕生

1918年
アルチュール・オネッゲル、ダリユス・ミヨー、フランシス・プーランク、ジョルジュ・オーリック、ジェルメーヌ・タイユフェール、
ルイ・デュレーの六人の新進作曲家が、エリック・サティのもとに集まって結成した音楽家集団「六人組」発足

 1919年
シュールレアリストのグループ、特にアンドレ・ブルトンと対立
以後、コクトーの前衛的な立場は、常にシュールレアリスムと衝突することになる
ブルトン、アラゴン、スーポー編集の雑誌「文学」はコクトーを排除
16歳のレーモン・ラディゲに出会い、深い友情で結ばれる

 1921年
「六人組」の作曲、スエーデン・バレエによる『エッフェル塔の花嫁・花婿』が、ダダイスト等の罵声の中で初演
その芸術的過激さのゆえにスキャンダルとなる

 1922年
シャルル・デュランのアトリエ座で『アンティゴネー』初演
公開舞台稽古をブルトン等が野次で妨害

1923年
ラディゲが腸チフスで急逝

1924年
ラディゲの死による極度の鬱病
阿片を始める
カトリックの思想家ジャック・マリタンに出会う

1925年
マリタンから強い影響を受け、カトリックに回心
その勧めで阿片中毒の入院治療

1927年
サラ=ベルナール座でオラトリオ『オイディプース王』が、作曲家ストラヴィンスキーの指揮で初演

1928年
二度目の阿片解毒治療のため入院

1930年
最初の映画『詩人の血』を監督
公開は1932年

1933年
 三度目の阿片解毒入院

 1936年
『八十日間世界一周』を模した旅行をする
5月に東京を訪れ、歌舞伎座で六代目尾上菊五郎の『鏡獅子』を観る
鹿島丸船上でチャプリンと会う

1938年
アンバサドゥール座で『恐るべき親たち』の初演
パリ市会によってスキャンダラスだと断じられるが、興行は大成功となる 

1939年
第二次世界大戦が始まる

1940年
6月、ドイツ軍侵攻を避けて、ペルピニャンへ

1941年
芸術座で『タイプライター』初演、対独協力派の攻撃
フランスのファシスト勢力に睨まれる

1945年
『美女と野獣』のシナリオ完成

1946年
映画『美女と野獣』公開
戯曲『双頭の鷲』エベルト座初演
ジャン・マレーとエドヴィージュ・フイエールの演技によって大評判となる

1947年
映画『ルイ・ブラス』『双頭の鷲』の撮影
画家志望の青年エドゥアール・デルミットと出会い、後に養子にする

1948年
サルトルと共にジャン・ジュネの特赦をオリオール大統領に求める
映画『ルイ・ブラス』『恐るべき親たち』公開

1949年
映画『オルフェ』撮影開始

1950年
カンヌ映画祭特別出品作品として『オルフェ』上映
『恐るべき子供たち』パリ公開
オペラ座でバレエ『フェードル』初演
ヴェネツィア映画祭に『オルフェ』出品、国際批評家賞

1951年
ルノー=バロー劇団による戯曲『バッキュス』の初演がスキャンダルとなる
カトリック作家フランソワ・モーリヤックとの論争

1954年
心筋梗塞の発作、静養

1955年
ベルギー王立アカデミーの会員に選ばれ、アカデミー・フランセーズの会員にも選ばれる

1958年
ヴィルフランシュ=シュル=メールのサン・ピエール礼拝堂の内陣装飾

1959年
オペラ座でバレエ『一角獣と貴婦人』初演
オペラ・コミック座で、プーランク作曲のモノオペラ『声』初演
『オルフェーの遺言』パリ公開
ミイー=ラ=フォレのサン=ブレーズ=デ=サンプル礼拝堂の内陣の装飾

1960年
ロンドンのノートル=ダム=ド=フランス教会の内陣装飾

1963年
4月に心臓発作
10月11日朝、親友の歌手・エディット・ピアフ死去の報に容態急変
午後1時頃、コクトー死去
享年74歳

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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。

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