買取実績
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掛軸
横山大観
「十六羅漢」
- 買取地区:
- 名古屋市内
- 買取方法:
- 出張買取
参考価格ASK
横山大観「十六羅漢」の掛軸を買取いたしました。こちらは明治33年頃~明治39年頃、大観が32歳~38歳の作品となり、朦朧体に取り組んだ時期とほぼ重なっています。
使用されている落款は、細く針金の様な書体で書かれているため、針金落款と呼ばれています。こちらの作品は、横山大観記念館の鑑定登録済です。
朦朧体は、明治の後半から横山大観や菱田春草らがはじめた新しい絵画の試みです。日本画の改革を目指した岡倉天心から「空気や光を描く方法を考えよ」といわれた大観、春草らは、西洋画の画法を取り入れた新たな画法の研究を重ね、輪郭を線ではっきりと描かない没線描法の絵画へと進化させました。これにより日本画の流れは大きく変わっていくこととなります。
線の描き方や顔料の伸ばし方などは多岐に及び、現在では統一して朦朧体と呼ばれていますが、当時は技法を指す言葉ではありませんでした。
新しい表現の試みは、日本画の常識であった墨の線を否定し、明瞭な輪郭をもたないなどと理解されず、批評家からは揶揄を込めて朦朧体と呼ばれていました。俳人・正岡子規までもが「これでは余りなさけない」と朦朧体を批判していたそうです。
天心らの美術運動は朦朧体の悪評を受け、特に天心の近くにいた大観や春草は絵が売れずにその生活は困窮を究めました。大観の芸術は広く認められるようになっていくのは、明治から大正へと元号が変わる頃です。
朦朧体は、日本の気候の特徴である湿潤な空間を表現しようとした新しい試みでした。空気中に水蒸気をたっぷりと含んでいる霞(かすみ)、霧(きり)、靄(もや)、雨などの日本特有の風景を、輪郭線を描かずに、色彩のぼかしや重ねによって空気や光を表現しています。
当時の批評家たちは非難する意味で「朦朧体」という言葉を使いましたが、現在では大観や春草らが目指した画法を表す言葉として定着しています。
横山大観の買取については、よろしければこちらもご覧ください。
https://gihodo.jp/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E8%A6%B3/
※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。
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