買取実績
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![中村左洲「寒江帰棹」](https://gihodo.jp/wp-content/uploads/2024/12/7870bd6c6de3451a388cf38f8b9835e6.jpg)
掛軸
中村左洲
「寒江帰棹」
- 買取地区:
- 三重県
- 買取方法:
- 出張買取
参考価格¥15,000
中村左洲「寒江帰棹」の掛軸を買取いたしました。こちらは、左洲50歳の時の作品です。
雪深い入り江に一艘の船が帰ってきました。とても寒そうですが、戻ってきた安堵感のような漁師の心情が伝わってくるようです。
左洲といえば、鯛や魚の絵を得意とした日本画家として広く知られており、中でも鯛を描いた作品は「鯛左洲」と称されて珍重されてきました。今回は鯉の絵ではありませんので、 比較的査定額はお安くはなってしまいますが、とても良い画だと思います。
中村左洲(なかむら さしゅう)本名:佐十は、1873年に現在の伊勢市二見町今一色の漁師の家に生まれました。幼い頃から絵を描くのが好きで、地元の海辺や魚、鳥などの写生をして楽しんでいました。
11歳で父が病死し、生活に困窮した一家は離散します。母は他家の女中となったため、左洲は祖母と姉妹らと共に親戚に居候する身となりました。
しかし15歳の時に母も亡くし、一家の生計を立てるため左洲は漁師として働きました。苦しい境遇の中、支えとなったのは画でした。漁師になってからも、寸暇を惜しんで描き続けていたそうです。
18歳の時、郷土の三村亘翁の紹介で伊勢を代表する画家・磯部百鱗(いそべ ひゃくりん)に師事します。百鱗はその画才の尋常でないことを見抜き、熱心に指導をしました。
百鱗からの勧めで、1895年22歳の時に第4回内国勧業博覧会に出品した「製塩図」が受賞、明治天皇の皇后の目に留まり、同一画を描き献納することとなりました。
すると上流階級の間で話題となり、その後も数々の展覧会に出品しては受賞を重ね、画家として認められるようになりました。28歳で結婚し、2男4女に恵まれます。
東京で開催される展覧会にも出品するようになり、1917年44歳の時、第11回文展に「群れる鯛」を出品して入選しました。絵は真珠王と呼ばれた御木本幸吉の目にとまり、購入したという話も有名ですね。
こうしたことから、左洲は写実的な鯛の絵の名手として知られるようになりました。
伊勢神宮が近くにあり、皇族や宮司からの依頼や招待が多く、作品を献上することもあったそうです。そのため、伊勢地域の内宮や外宮、山岳などの風景なども作品の中に見られます。
古くから日本人を魅了してきた伊勢という町ですが、その繁栄は多くの偉人たちによって支えられ、神宮の門前町として特異な文化的発展を遂げてきました。
特に伊勢の画檀については、狩野派・南画派・円山四条派などの画派が育まれ、その多様性は京や江戸にも匹敵しました。
左洲の魚への的確な観察眼と穏やかな風景構成からは、江戸時代京都に生まれた円山四条派の絵画観が、明治以降も地方へ広範に普及していったさまを見て取ることができます。
70歳を超えても絵筆を握り続け、花鳥・歴史・風景・人物画などあらゆる題材の作品を数多く残しました。漁師の家に育ち、伊勢の海に親しみを持っていたことから、特に魚やエビ、海辺の景色などを好んで描きました。
1953年に81歳で没するまで二見を離れず、鯛を好んで描いたことから「鯛の左洲さん」の愛称で地元伊勢の人々に愛された画家でした。左洲は今、一色の墓地に眠っています。
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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。
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