買取実績
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![増山雪斎「花鳥図」](https://gihodo.jp/wp-content/uploads/2024/12/a5df8989f6b166e75487f23adf17505b.jpg)
掛軸
増山雪斎
「花鳥図」
- 買取地区:
- 一宮市
- 買取方法:
- 出張買取
参考価格¥100,000
増山雪斎「花鳥図」の掛軸を買取いたしました。とても美しい花鳥画ですね。現在の三重県北端に位置する長島を治める大名で、本名は正賢(まさかた)、書画に長けた文人大名として「雪斎」の号で知られています。写実的な虫類写生図譜や華麗な花鳥画など、数多くの作品を残しました。
増山正賢(増山雪斎)は、1754年に第4代藩主・増山正贇(まさよし)の長男として江戸に生まれました。1776年、父が亡くなると同時に、23歳で遺領2万石を襲封します。
長島藩は、伊勢国桑名郡長島(現在の三重県桑名市長島町)に存在した藩で、領は木曽川・長良川・揖斐川の三川が運ぶ土砂が堆積してできた三角州地帯を占めています。
土地が水位より低いため、輪中を形成して開発が進められましたが、度々水害による凶作に見舞われてきました。治水は累代藩主の最大の治政上の課題であり、正賢にとってもそれは例外ではありませんでした。宝暦年間の大規模な治水工事の結果、正賢の時代にはその脅威も緩和されるようになりました。
詩文、煎茶、書をはじめ、さまざまな文書に造詣が深かった正賢は、40歳になって隠居を願い出ます。1801年、48歳を迎えた時に致仕して巣鴨の下屋敷に隠棲し、囲碁や文芸にいそしんだといいます。
雪斎は出家後の号で、致仕ののち巣鴨に隠棲したことから巣丘隠人、石を愛でたことから石顛道人などと号し、他にも君選、括嚢小隠、王園、灌園、雪旅、長洲、愚山、松秀園、蕉亭など多くの別号がありました。
雪斎は文雅を好み、画家の十時梅厓や春木南湖を招き、大田南畝など多くの文化人とも交流しました。文人として、非常に広範囲に関心を広げた人であったことが伺えますね。
また、大阪の豪商・木村兼葭堂が過醸罪に問われた際には、長島藩領の川尻村に隠棲させ庇護し、その苦境を支えました。藩も身分も越えた親交は、雪斎の文人的教養を高めるにとどまらず、伊勢長島の文化振興にも影響を与えました。
晩年は巣鴨の下屋敷で自適の生活を過ごし、虫類の精密な写生画である「虫豸帖(ちゅうちじょう)」(東京国立博物館蔵)を残しました。桑名には他に、雪斎の子である雪園、真宗高田派の住職・帆山花乃舎らをはじめ、桑名に移り住んだ画家・星野文良らがいます。
1819年1月29日、66歳で病歿しました。雪斎がとりわけ意を注いだのが画でしたが、その中心を沈南蘋風の濃彩による写実的な花鳥の密画が占めています。2019年には没後200年記念として、三重県立美術館で雪斎の展覧会が行われました。
一般に評価されてきた作品は、主に江戸に隠居した後のものでした。しかし近年、雪斎に関する調査や研究によって、長島藩主時代の作品、大坂の文人との合作、十便十宜図関連資料などの存在が知られるようになってきました。雪斎の細やかな写生は、江戸博物学の発展という時代背景とともに、愛護の心に富んだ人格によるものといえるかもしれませんね。
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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。
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