買取実績

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織田廣喜「少女」

絵画

織田廣喜
「少女」

買取地区:
春日井市
買取方法:
出張買取

買取価格¥20,000

織田廣喜の代表作である「少女」の作品を買取いたしました。独特の画風で描かれる少女は、とても特徴的な顔をしていますね。織田廣喜は1日に何点もの作品を描いており、世の中に出回っている作品はかなり多く存在しています。そのため、市場での相場は年々お安くなっている傾向にあります。その中でも状態が良く、人気の高い赤い帽子の少女でありましたので、今回の査定額とさせていただきました。

織田廣喜(おだ ひろき)は、1914年に福岡県千手村(現・嘉麻市)に、父・鶴吉と母・マサノの次男として生まれました。幼少期は、ナシ畑や水田が広がるのどかで美しい自然に囲まれて過ごし、その後は碓井村(現・嘉麻市)へ引っ越しました。

1921年に碓井村立碓井尋常高等小学校に入学しますが、この頃から父の本棚から持って来た美術書を眺め、次第に模写のような事を始めるようになりました。

1929年、碓井尋常高等小学校高等科を卒業します。織田が15歳の時に麻生鉱業に勤務していた父が病気になったため、家計を助けるために働き始めます。陶器の絵付けや、ちょうちん屋の図案描きを経て福岡市の菓子店に勤めた後、碓井村へ戻って郵便局員として勤務しました。この頃には、村祭りの時に自宅の玄関先に水彩画や鉛筆画を並べて個展を開いていたそうです。

1931年から同村に住む帝展作家・犬丸琴堂(慶輔)に油彩画の指導を受け、同年の福岡県美術展にゴッホの影響を示す「ひまわり」で入選します。

1932年、犬丸琴堂の勧めもあり、両親を説得して上京します。中野に住む同郷の友人宅に住み、その後氷屋に住み込みで働きます。庭の掃除や屋根塗り、植木の手入れなど便利屋的な仕事や化粧品の訪問販売などをして必死に学費を貯めました。

1934年20の時、日本美術学校絵画科に入学します。当時は大久保作次郎が指導しており、後に藤田嗣治、林武らにも師事することとなります。在学中、3年ほど美術雑誌『みづゑ』の編集発行を行っていた大下正男のもとで発送作業などを行います。経済的に苦しかったため、舞台の描き割りや歌舞伎座の黒子をしたり、泡盛の空瓶に絵を描いては売り歩いていました。

1939年、日本美術学校西洋画科を卒業し、翌年第27回二科展に「未完成(室内)」で初入選します。

1943年、徴用により横川電機製図部に入ります。戦後は目をかけてくれていた東郷青児の家で、家事手伝いなどをしていました。

1946年、誰もが生きるのに精一杯だったこの頃、二科展で、100号のカンヴァスに3人の着衣の女性の立像を白と黒のペンキで描いた「黒装」を出品して二科賞受賞します。こんな時代だからこそ夢のある絵をと、モダンな衣装を着た女性を描いた大作でした。この時、後に妻となる萬宮リラと出会います。リラも画家で、この時18歳の若さで入選をしていました。

織田は1948年から洋画家・岡田謙三の家に住み込み、画業に専念するようになります。1950年に岡田が渡米した後は、洋画家・中原実の家に住み、1951年にリラと結婚後は杉並区上高井戸に転居しました。

この時代、キャンパスを買うお金がなかった織田は、集めた古キャンパスを井の頭公園の池に1週間漬けて絵の具を剥離させ、それをリラが畳糸で継ぎ合わせて、幅3mを超える500号のキャンバスを作りました。そのキャンパスを使い、二科展に出品した作品「讃歌」で仁科の会員となりました。

1960年、憧れだったフランスに単身船で訪れます。見るものすべてが新鮮で、自然や風景、夜の女性をモチーフとした絵などを一心不乱に描き続ける日々でした。モンマルトルのサーカス小屋では、描く紙がなくなりチケットの余白にまで描いたこともあったそうです。これまで行くことができず、パリを想像して描いた独創的な作品もありましたが、実見して、現実と想像の差異を認識するとともに、その認識を踏まえた上で想像力を働かせて描くことの重要性に気がつきました。

織田の絵は日本人だから描ける絵で、誰も真似することのできない個性ある作品として、日本やフランスで認められ始めたのもこの頃からでした。1962年にも渡仏し、スペイン、イタリアを訪れて翌年4月に帰国、その後も渡仏して滞在しながら取材を行いました。1971年には、パリのエルヴェ画廊で初めての個展を開催しています。

1980年に二科会常務理事、1995年には日本芸術院会員になるなど、意欲的な創作活動を続けました。

1983年に突然リラがくも膜下出血で倒れ、以後植物状態となります。1998年に亡くなるまでの15年間、織田はリラを献身的に介護して見守り、ベッドの傍らで作品を描いていたそうです。こうして描かれた作品は、哀愁を感じさせる女性の姿や幻想的に描かれた風景が特徴的です。

2012年、織田は自宅で入浴中に脱水症状で倒れ入院し、心不全のため八王子市の病院で亡くなりました。

現実を見たまま描くのではなく、「想像し嘘をつく」ことが絵の制作には必要であると生前、織田は語っていました。生涯を通して、デフォルメされ浮遊するような女性像を特色とする幻想的な作品を描き、人気を博しました。

 

【織田廣喜 略歴】

1914年 福岡県千手村に生まれる

1939年 日本美術学校西洋画科卒業

1940年 二科展に初入選する

1950年 二科会会員に推挙される

1960年 初渡仏

1968年 第53回二科展で総理大臣賞受賞

1971年  第56回二科展で東郷青児賞受賞、パリで初の個展開催

1992年 勲四等瑞宝章受章

1995年 日本芸術院賞・恩賜賞受賞、日本芸術院会員になる

1996年 碓井町立織田広喜美術館開館

2003年 勲三等瑞宝章、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章

2006年 二科会理事長

2012年5月30日 98歳没、没後従四位に追叙された

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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。

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