買取実績

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林羅山「時雨」

掛軸

林羅山
「時雨」

買取地区:
名古屋市内
買取方法:
店頭買取

買取価格¥30,000

林羅山(はやしらざん)の掛軸を買取いたしました。作品に「時雨」とありますので、ちょうど今頃の季節でしょうか。しぐれる日はとても寒く、冷たい雨になりますね。このためなのか、時雨には「涙を流すこと」という意味もあるそうです。何度も繰り返す冷たい雨にたとえられた涙は、悲しい涙なのかもしれません。

林羅山は、江戸時代初期の儒学者であり、江戸幕府の儒官を代表する林家の始祖でもあります。1583年に京都の四条新町で父・信時(加賀の浪人)の子として生まれます。羅山は生後間もなくして父の長兄・吉勝の養子となり、幼い頃から学才を示しました。

13歳で建仁寺に入り、古澗慈稽・英甫永雄らに禅僧について学びましたが、僧にはなりませんでした。15歳で寺を出て家に戻り、独学で学問に打ち込み、読書三昧の日々を送ります。儒学に打ち込むうちに「宋学(そうがく)」と呼ばれた朱子学に大きな興味を持ち、17、18歳のころから研究を深めていきます。朱子学は、古代中国の思想家・孔子の思想を基本にした学問「儒学」から発展し、確立した哲学です。

21歳の時に吉田玄之(角倉了以の子)の紹介で、生涯の師となる当時日本一の儒学者・藤原惺窩(ふじわら・せいか)に入門します。羅山は惺窩から学問ばかりでなく、精神的にも大きな影響を受けました。羅山の学力が高かったことを示す逸話に、提出した既読書の一覧には440余りの書名が列挙され、儒教の経典、諸子百家や史書・地誌・兵学・本草など、多方面の漢籍が含まれていたそうです。さらに一目で5行ずつ読み、すべて覚えているという速読法を実践し、師匠・惺窩を驚かせました。

惺窩は、かねてより徳川家康から仕官を求められていましたが、自身の代わりに羅山にさせようと考えます。学問好きであった家康は、学者をも自らのブレーンに組み込み、徳川家のために活用していました。惺窩が推挙してきた羅山と家康は、京都・二条城で会うことになります。この時羅山は23歳、若い家康ブレーンの誕生です。2023年に放送されたNHK大河ドラマ『どうする家康』では、儒学を学び博学多才、方広寺鐘の銘文を大きく問題視して大坂の陣のきっかけを作る人物として、笑い飯の哲夫さんが羅山を演じていらっしゃいましたね。

22、23歳の頃に、これまで秘伝として貴族や僧侶の間で伝授されて来た古典に関する知識を一般に広めようとする、啓蒙的な文化活動として、朱子の注釈による『論語』の公開講義を京都の市中で行ないました。公家の清原秀賢は、これを禁止するよう徳川家康に訴えたが、家康は笑って取りあわなかったそうです。

当代一流の学者であった羅山の教えは、徳川家を屋台骨となる政治思想や家臣たちの道徳心まで言及しました。家康にとっては、軍事、財政、民政など天下を治めるために直接に必要な部門とは異なり、脇を固めたり知識を備えるといった意味で学者たちを重用しました。儒学者の羅山を筆頭に、宗教者の南光坊天海(なんこうぼうてんかい)、金地院崇伝(こんちいんすうでん)なども代表的な存在です。

少し話は逸れますが、羅山は地球方形説を唱えた人物としても知られており、仕官した翌年にイエズス会の修道士、イルマン・ハビアンと地球論争を行っていました。ハビアンは地動説と地球球形説を唱え、それらを儒教的な秩序論により否定した羅山は、自らの考え方であった天動説と地球方形説を主張します。地動説と地球球体説を中国の思想や理論、科学を楯に用いて論破していった結果、羅山が勝利し、その後ハビアンは自身の信仰に動揺し1608年には棄教することとなりました。宣教師フランシスコ・ザビエルは、日本人が地球が球体であったという事を知らなかったと報告していることからも、日本には16世紀後半まで地球という概念が存在しませんでした。一つずつ読み解いていくと、色々と話がつながり面白いですね。

羅山は博識の努力家で、58歳の時でも1年間に700冊を閲読していたそうです。思想上では朱子学を信奉し、それと対立する陸象山・王陽明らの学風を排斥することに努めており「惺窩答問」では、師・惺窩の寛容な学風を批判しています。また排仏論を唱えていましたが、現実には幕府で僧侶として待遇されており、寛永六年には民部卿法印に叙任されました。法印は最高の僧位のため名誉ではあったそうですが、言行不一致として民間の中江藤樹らの批判を招くこととなりました。羅山は時代の変革期に当たる江戸初期に登場し、それまでの閉鎖的な学問世界に強く反発しましたが、それは知識を伝播することへの強い意欲とも捉えられるかもしれません。

思想的に家康や幕府の政治に影響を及ぼしたという事実は認められていないようですが、羅山の学殖が幕府の内部で重んぜられたことにより、儒学者の社会的地位の向上に役立ち、多数の漢籍に訓点を加えたことにより、儒学の普及にも大きく貢献しました。また、羅山は、神道や日本の歴史にも関心が深かったそうです。家康死後は、秀忠・家光・家綱まで四代の歴任、侍講を勤めるとともに、古書の調査と収集、武家諸法度十九条を選定、朝鮮通信使の応接や外交文書の起草、寺社関係の裁判事務など学問や儀礼に関係ある公務に従事しました。

1656年に妻を亡くした際には、その死を悼む詩を26首詠むなど愛妻家でもありました。翌年の1657年に江戸の大火が起こり、羅山は幕府から賜った銅瓦の書庫を蔵書とともに焼失してしまいます。落胆した羅山は火災の翌日に発病し、4日後に病死しました。享年75でした。

羅山は温泉ブームの生みの親でもありました。公文書や学術書だけでなく、紀行文やエッセイなども執筆しており、詩文集の一説に「わが国には多くの温泉があるなかで、有馬温泉と草津温泉、飛騨の湯が三傑である」と書いています。この飛騨の湯とは、下呂温泉のことで、現在の有馬・草津・下呂の温泉を日本3名泉と呼ぶ由来となりました。下呂温泉の中心地・白鷺橋には、彫刻家・斎藤勝弘作の羅山像が設置されており、人気名所となっています。

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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。

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