買取実績

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北村西望「夢」

 金属工芸・ブロンズ

北村西望
「夢」

買取地区:
名古屋市内
買取方法:
出張買取

買取価格¥30,000

彫刻家・北村西望(きたむらせいぼう)のブロンズを買取いたしました。今回の作品は、女性の頭に蝶々がとまっており、一緒に物思いに耽っているような静かなブロンズですので、西望にしては珍しい作品かもしれません。男性の躍動感溢れる作品もよいですが、こちらは見ていて心穏やかになる作品です。

北村西望といえば、長崎市の平和公園にそびえる《平和祈念像》を思い浮かべられる方も多いのではないでしょうか。漠然と世界平和を祈るための作品なのかなと思っておりましたが「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と西望の平和に対する想いが台座の裏に彫られているそうです。高さは約9.7メートル、重さは約30トンもある青銅製のこちらの像は1955年に完成しました。しかしそこまでの道のりは大変険しく、技術面、予算面についてや、非難中傷も起こり迫害が激しかったなどの問題が山積しており、一つ一つを多くの人々の協力によって解決していき、現在の姿が誕生しました。2024年は西望の生誕140年にあたります。今なお続く紛争の中で、世界は平和に遠く、核の脅威にさらされています。西望の作品を通して、あらためて「平和」について考えてみるのもよいかもしれません。

北村西望は、明治17年に旧名家であった北村家の四男として長崎県南高来郡南有馬村(現・南島原市)に生まれました。幼少の頃から図工が好きで個性的で大胆な作品を作り、常に周囲を驚かしていたそうです。父や周囲の人たちに彫刻の素質があるとほめられたこともあり、1903年に京都市立美術工芸学校に入学、そこで生涯の友でありライバルでもある建畠大夢に出会います。後に東京美術学校彫刻科に進学をしますが、西望も負けずに同校同科に進学します。

1907年に卒業後上京、建畠と共に東京美術学校彫刻科塑像部に編入学し、白井雨山に学びます。西望はかつて建畠とともに、白井雨山の家の離れを借りて自炊生活をしながら美術学校へ通っていたこともあったそうです。

西望は朝倉文夫、建畠大夢という二人の素晴らしい友人に恵まれました。二人とも彫刻の天才で、西望は二人の後をついて行くのがやっとであり、嫌でも勉強せざるを得なかったそうです。朝倉、建畠が次々入賞していくなか西望は中々芽が出ず、1915年にようやく9年目にして「怒涛」が二等賞を受賞します。翌年の第10回文展では《晩鐘》が特選となり、彼らとともに「文展の三羽烏」と呼ばれました。

1917年に建畠大夢・池田勇八・国方林三ら4名で研究団体「八手会(やつで)」を結成します。1919年には帝国美術院が創設され、第1回美術展覧会(帝展)の審査員に就任します。続けて1921年に建畠と研究団体「曠原社」を結成、同郷の先輩彫刻家で美校教授の水谷銕也も参加しました。

1918年、第12回文展に「将軍の孫」を出展、こちらは買取でも出てくることの多い西望の代表作の一つです。当時は筋肉質の動的な表現が多い作品傾向にあったため「将軍の孫」はかなり例外であったようです。

1920年に森鴎外より依頼された「寺内元帥騎馬像」が評価され、1927年に陸軍省から山県有朋の騎馬像の制作を依頼されます。銅像は1930年に完成しますが、第二次世界大戦が始まると日本は兵器用の材料不足に陥り、1943年ごろから全国各地の銅像の供出が進められました。西望は朝倉文夫らとともに銅像救出委員会を組織し、銅像を兵器に変えることの愚を主張したといわれていますが、戦時下で供出を免れた銅像は全国的にもごくわずかだったそうです。銅像の生みの親である彫刻家たちにとっては、あまりに悲痛な出来事だったことでしょう。

有朋の騎馬像はなんとか提出を免れましたが、その後数奇な運命をたどることとなります。戦後GHQ占領下で軍国主義的なものは公共の場から追放となったため、有朋の騎馬像に再び危機が訪れます。審査を経て実際に鋳つぶされた銅像はありましたが、この銅像について朝倉文夫が「将来文化財になるべき傑作であり、断じて残すべき」と強く主張した結果、無事残されることとなりました。しかし、その場に残るのは目障りとされたため、台座から降ろされた状態で上野公園の東京都美術館裏の空き地の地面に置かれ、そのまま放置されることとなります。西望はこの状態に心を痛めていました。

1955年ごろからさまざまな人々が誘致を考え始め、山県有朋公銅像再建会が組織されたり、防府市の民間団体でも誘致へ向けて動き始めていたり、さらには東京に残すべきという声も上がり、この一件は国会でも取り上げられることとなりました。放置された状態となってすでに十数年が経過したころ、西望のアトリエを設けていた井の頭自然文化園内へ移設することで決着しました。

1987年に西望が亡くなった2年後、再び誘致運動が湧き起こります。萩市出身者の団体が、有朋のふるさと・萩への移設を市長に要望、市議会で1992年3月に承認、重さ約5トンの巨大な銅像は東京から萩へと海上輸送され、6月8日に萩市中央公園で除幕式が挙行されました。戦時中の供出は免れましたが、GHQ占領下で追放の対象となり、助命されながらも十数年放置されてやがて生みの親のすぐそばへ、そして現在は有朋のふるさとの広い空の下、静かにそこにあり続けています。

1987年に102才で亡くなるまで、100歳を越えてなおアトリエに立ち続けて600点にのぼる作品を残しました。筋骨逞しい男性像を得意とし、若いころから長寿を人生の目標として、80年以上にもわたるたゆまない精進が数多くの傑作を生み出しました。

 

【北村西望・略歴】

1884年  父・陳連(のぶつら)、母・サイの四男として、長崎県南高来郡南有馬村白木野字宮野木場に西望(にしも)生まれる

1900年 有馬尋常高等小学校を卒業、12月小学校準教員免許取得、南有馬尋常小学校3ヶ月臨時勤務

1901年  母校白木野小学校に勤務

1902年 正教員となるため教職を辞し、長崎師範学校に入学するも風土病にかかり長期欠席して師範学校を退学となる
このころ父の隠居所の欄間を彫る、年末から再び有馬尋常小学校の教壇に立つ、天満神社神主に京都美術学での勉強を進められる

1903年 京都市立美術工芸学校に入学、建畠大夢と出会う

1907年 卒業後上京、建畠と共に東京美術学校彫刻科塑像部に入学し、白井雨山に師事

1912年 同学校を首席で卒業、12月口之津で徴兵検査を受け甲種合格、久留米工兵第18大隊に入隊

1914年 郷里にて島原市の板倉春野と結婚式を挙げ東京へ戻る、6月非常召集令状により春野を島原に帰し、久留米の工兵大隊に入隊

1915年 西望の長男「治禧」(はるよし)誕生、第9回文展で《怒涛》が二等賞を受賞、翌年の第10回文展では《晩鐘》が特選となる

1917年 建畠らと研究団体「八手会」を結成

1919年 帝国美術院が創設され、第1回美術展覧会(帝展)の審査員に就任

1920年 森鴎外より寺内元帥騎馬像の制作を依頼される

1921年 東京美術学校教授に任命される、建畠と研究団体「曠原社」を結成、同郷の先輩彫刻家で美校教授の水谷銕也も参加

1923年 寺内元帥騎馬像完成、東京の三宅坂に設置される(昭和18年の銅像供出で撤去され鋳潰される)

1925年 帝展会員に推挙される

1927年 陸軍省から山県有朋元帥騎馬像の制作依頼を受ける

1930年 山県有朋元帥像が完成し霞ヶ関の陸軍大臣官邸に置かれる

1937年 秩父鉄道初代社長の柿原万蔵氏の銅像製作

1944年 朝倉文夫とともに銅像救出委員会を組織、銅像供出の阻止運動を行う、東京美術学校を退職・従三位勲四等をうける

1950年 秋、長崎市から平和祈念像の建設の相談を受ける

1951年  祈念像の案を提出、長崎市より正式に依頼を受け着手する

1953年  井の頭自然文化園の土地を東京都から借り、アトリエを建設、そのアトリエに移る

1955年 《長崎平和祈念像》完成、8月8日除幕式

1958年 文化勲章受章

1972年 島原城に「西望記念館」完成、島原市名誉市民

1974年 社団法人日展名誉会長となる

1976年 新宮殿に「天馬」を献納

1979年 南有馬町名誉町民となる、西望公園完成・記念館オープン

1980年 東京都名誉都民・長崎県名誉県民となる

1985年 西望公園・記念館復元工事完成

1987年3月4日死去、満102才(享年104才)。

 

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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。

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