買取実績

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近藤悠三「山染付花瓶」

陶芸品

近藤悠三
「山染付花瓶」

買取地区:
名古屋市内
買取方法:
出張買取

買取価格¥60,000

人間国宝・近藤悠三の花瓶を買取いたしました。「染付の悠三」でも知られているように、絵付けをご覧になったら、すぐに作者が誰なのか分かるほど特徴がありますね。こちらは大きめの花瓶ですので、そのままお部屋に飾って楽しまれてもよいかもしれません。こちらの弊社ブログにて、近藤悠三の作品の買取などについてご説明しておりますので、よろしければご覧くださいませ。

「染付」は、白い磁器に酸化コバルトを原料とするで絵付けを施し、透明な釉薬をかけて高火度で焼きあげた焼物のことをいいます。時代をさかのぼること14世紀初頭、中国景徳鎮地方でこの技法は完成しました。その後、ヨーロッパ、イスラム諸国、朝鮮半島など各地方に伝播し、世界の陶磁器生産技術に大きな影響を与え、日本へは16世紀末に九州の有田地方に伝わり、広く受け入れられるようになりました。

近藤悠三のいた京都では、本格的に磁器の生産がされるようになったのは18 世紀後半のことです。 当時、多くは古染付や祥瑞などの中国の写しや、中国に習った伝統的な技術やスタイルばかりで、新しい独自の試みはほとんどされていませんでした。このような時代に、近藤悠三は染付技法を伝統的な枠組から新しい芸術表現へと昇華させていきます。

現在では陶芸家のことを「作家」とも言いますが、京都での陶器作りは分業制が一般的でした。ろくろの人、壺をひく職人さん、皿をひく職人さん、小さいものをひく職人さん、絵付けの人、窯に詰める人、焼く人、出来上がったものを送る人など、このようにして細かく全工程が分けられていました。明治に入ると、近藤悠三をはじめ、河井卯之助、清水六兵衛、八木一夫、浅見隆三、小川文斎などにより、これまでの分業制から一貫して作業が出来るように「作家」と言われるような形に分かれました。それまでの「職人さん」というのは、ろくろならろくろしかしませんでした。それを一貫して、形を作り、絵付けをして、何もかも出来て初めて「作家」と言うような名前に変わっていったそうです。これまでの時代の流れなども踏まえて作品を見ていくと、より面白いですね。

近藤悠三は、1902年に京都清水寺門前茶わん坂に、近藤正平と千鶴の三男として生まれます。家は代々清水寺の寺侍で、祖父は幕末の尊攘運動家の近藤正慎です。

1914年、12歳の時に京都市立陶磁器試験場付属伝習所轆轤科に入所、1917年に卒業後、同試験場で助手として勤務します。当時、河井寛次郎と濱田庄司が東京高等工業を卒業して技手として陶磁を研究しており、悠三は濱田庄司から窯業科学などを学びました。

1921年19歳の時に陶磁器試験場を辞め、イギリスから帰国して大和に窯を構えた富本憲吉に師事します。素地や釉薬などの技法だけでなく、制作に対する心構えについても指導を受けました。

1924年、富本憲吉のもとを辞し京都へ戻り、関西美術院洋画研究所へ通い、デッサン、洋画を学ぶとともに、京都清水新道石段下の自宅に仕事場を作り作陶を始めます。この頃は染付の他に、釉裏紅や象嵌等の技法も用いた作品を発表していました。1926年、24歳の時に中島光子と結婚します。

1928年第9回帝展に「呉須薊文かきとり花瓶」が初入選、以後15回展まで連続入選し、新文展へも出品、代3回文展では特選となります。

1943年には奈良で赤膚焼を研究制作していましたが、戦後は岐阜県多治見市にて志野焼の研究をしたり、以降は染付磁器による制作に集中しました。筆遣いによって濃淡を表し、柘榴、梅花、山水などをモチーフとして絵画的な要素を織り交ぜ制作をします。さらに1960年以降の作品には、これまでの呉須染付に併用して赤絵や金彩の技法を用いるようになり、さらに独特の作風を確立していきます。

この伝統的技法の研究を深めながら、民芸調の素朴な力強さを加え、ロクロ成形とともに豪快雄暉で伸びやかな独自の染付けの世界を切り開いていきます。日本工芸会常任理事、陶芸部会長を歴任し、1953年には京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)陶磁器科助教授、1956年同大学教授、1965年10月には学長に就任します。そして1977年、染付技法の重要無形文化財保持者の認定を受けました。

染付技法を、伝統的な枠組みから芸術表現へと変化させ、前衛陶芸の興隆期に自らの芸術性を追及しました。世界最大級の梅染付大皿や、生命感に満ち溢れた雄大な染付は「近藤染付」とも呼ばれ、様々な人々に愛されています。1985年2月25日、胃がんのため京都市上京区の京都第二赤十字病院で亡くなりました。生前に「自分はやり残したことがあるので、生まれ変わっても陶芸家として生まれてくる」と語ってみえたので、もしかすると今もどこかで作陶をしているのかもしれません。

清水寺へと続く緩やかな坂の途中に、近藤悠三記念館はあります。こちらは、近藤悠三の生家兼アトリエだった場所ですが、皆様は行ったことはありますでしょうか。私はまだありませんので、一度訪れてみたいものです。

【近藤悠三 略歴】

1902年、京都市清水寺下生まれ

1917年 京都市立陶磁器試験場付属伝修所轆轤科卒業

1921年 富本憲吉の工房で助手を勤める

1924年 清水新道石段下に築窯 1928年 第9回帝展初入選、以後13回連続入選。他文展など多くの作品を発表

1955年 日本工芸会常任理事、陶芸部会長を歴任

1956年 京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)教授

1965年 同大学学長就任

1970年 紫綬褒章

1973年 勲三等瑞宝章、京都市文化功労者章を受章

1977年 染付技法の重要無形文化財保持者の認定を受ける

1980年 紺綬褒章受章

1985年2月25日、逝去、享年83

陶芸家・近藤豊(1932年 – 1983年)は長男、陶芸家・近藤濶(ひろし)は次男、陶芸家・美術家の近藤高弘は孫、俳優の近藤正臣は親戚にあたります。

 

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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。

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