買取実績
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掛軸
竹久夢二
「友だち」
- 買取地区:
- 京都府
- 買取方法:
- 出張買取
買取価格¥400,000
何やら子供たちが楽しそうに話をしながら歩いています。きっと画風をご覧になっただけで、誰が描いた作品かすぐにお分かりになる方も多いのではないでしょうか。今回は、美人画で一世を風靡した大正ロマンを代表する画家、竹久夢二の作品を買取いたしました。
こちらの作品には、東美鑑定評価機構鑑定委員会の鑑定証書も付いております。少々表装に経年劣化が見られましたので、現代の住宅環境でも飾りやすいように、掛軸から額装にしてもよいのかなと考えております。北岡技芳堂では、美術品の修復・染抜き・仕立てなども行なっておりますので、お気軽にご相談いただけますと幸いでございます。
竹久夢二は、1884年(明治17年) 9月16日、岡山県邑久郡本庄村大字本庄119番邸に父菊蔵、母也須能の次男に生まれます。本名は茂次郎(もじろう)、姉は松香(7歳)です。18歳で上京し、雑誌や新聞にコマ絵を寄稿するところから画家としての道を歩み始めます。若い頃は、新聞や雑誌に絵や詩を投稿して生活をしていました。
1905年、22歳の時に『中学世界』にコマ絵「筒井筒」が第一賞に入選します。以来、夢二は大正ロマンを代表する画家として大衆から支持されるようになっていきます。1909年、26歳の時に『夢二画集 春の巻』が洛陽堂から出版されました。これは、社会主義系の新聞や青少年、少女向けの雑誌などに掲載された夢二のコマ絵の版木を譲り受け、彼の詩歌、散文などを編さんされたもので、当時の若者の心を掴みシリーズ化されて8巻まで出版されました。
夢二は画家であり詩人、デザイナーでもあり、雑誌の挿絵原画、セノオ楽譜や中山晋平楽譜の表紙デザイン、文才を発揮した小説や俳句、作詞などの自著・他著をまじえた文学関連の装丁本や挿絵原画、そして若い女性に人気を博した千代紙、便箋や封筒などの印刷物など、クリエイターとしも多彩な才能を発揮していました。商業美術や出版の世界でも卓越した存在だった夢二の仕事の領域は、画家にとどまらず、今でいうイラストレーター、グラフィックデザイナー、あるいはアートディレクターの先駆者といえるかもしれません。1897年(明治30年)頃から、ヨーロッパの世紀末芸術の波が日本にも押し寄せます。
洋雑誌や美術書からロートレックをはじめ、ゴッホ、ゴーギャン、ルドン、ムンクらの図版を切り抜いて貼りつけた夢二のスクラップブックが残っており、熱心に研究していたことがうかがえます。一方、ロートレックら世紀末の芸術家も日本美術の影響を受けていて、時を超えて呼応するかのような関係はとても興味深いものがありますね。
特に美人画が有名ですが、子どものための絵画や童話、童謡、詩、児童劇などでも才能を発揮し、詩と絵画を融合した芸術を開花させました。1905年、早稲田実業校での苦学生時代に『中学世界』の夏季増刊号に投稿した「筒井筒」が第一賞に入選し、画家デビューを果たした夢二ですが、翌年には早稲田文学社の『少年文庫』の挿絵を担当、その後『日本少年』『少女の友』『子供之友』『幼年の友』など、さまざまな児童向けの雑誌の表紙や口絵、挿絵を担当しました。
また高嶋平三郎の本や、大手八郎の詩集に挿絵をつける仕事もしつつ、絵だけではなく物語をつづるなど、画文とも両方に携わる子ども向けの著作を多く手がけています。ちょうど子ども向けの仕事をしていた明治末期頃、夢二の息子が学齢期になっており、子ども特有のしぐさや物の見方を身近で感じながら制作に向き合うことができたようで、子どもに向けたわかりやすくやさしい文章と、太めでシンプルな線による単色の絵が大衆の支持を得たと考えられています。
竹久夢二といえば、一ヵ所に定住することなく放浪の画家として、はかなくも恋多き漂泊の人生を送った人でもありました。「夢二式美人画」の制作を通じて、自身にとっての永遠の女性像を描き続けました。そんな夢二には、作品とも関わりのある切っても切れない存在の女性がいます。彼女たちは夢二にとって創作の女神とも呼べる存在でした。
とりわけ、唯一戸籍上の妻となった岸たまき、夢二の愛人である笠井彦乃とお葉(佐々木カネヨ)、この3人の女性は夢二の人生だけでなく、創作にも大きな影響を与えました。2歳上の岸たまきとは1907年、24歳で結婚しますが、約2年で離婚します。しかし、その後数年間にわたり同居と別居をくり返し、3人の男児を授かるという不思議な生活を続けていました。
3人の中で特に夢二の心に残る女性だったは、12歳年下の彦乃です。たまきと切れない関係の中、女子美術学校への編入を目前とする彦乃と出会います。夢二ファンとして「港屋絵草紙店」を開く夢二のもとへ通い、絵を見てもらううちに親密な関係へと発展していきましたが、父親自慢の一人娘であったため、女性の噂が絶えない夢二との仲は許されなかったそうです。二人は芸術と恋を貫く決意から、父親の反対を押し切り京都で同棲を始めます。しかし幸せなときは長く続かず、1918年、彦乃は結核に倒れ入院します。父親によって夢二は面会を断たれ、1920年1月の臨終に立ち会うことすら叶わず、彦乃は25歳という若さでこの世を去りました。
1919年に彦乃と引き離された頃、絵筆をとれないほどに憔悴しきっていた夢二を気遣う友人たちの紹介によって、当時画家の才能を引き出す人気モデルであった佐々木カネヨ(通称お葉)と出会います。竹久夢二のモデルになる前には、画壇で注目された洋画家の藤島武二や日本画の伊藤晴雨のモデルをつとめるなど、画家の才能を引き出して個性的な作品へと導くモデルとして、類い稀な魅力を兼ね備えた女性だったようです。1921年、夢二37歳、お葉17歳の時に所帯を持ちますが、こちらも長くは続かず、1925年に作家の山田順子と浮気関係が始まり、お葉は去ってしまいます。その後、山田順子とも4カ月で別れるたようです。
恋多き男の夢二は恋愛遍歴についても数々の評伝があり、自身の日記や手紙などで語られる愛の言葉は後世の多くの創作の題材ともなっています。夢二の描く女性像は大正ロマンを象徴しています。センチメンタルな表情にすらりと華奢な体つき、そして退廃的な雰囲気に満ちた女性像は「夢二式美人画」として、大正期の青年と少女の心捉えました。独特の情感をたたえた美人画のスタイルを確立し、叙情あふれる絵画の世界にとどまらないその多彩な個性と才能で、今もなお高い人気を博しています。
1884年(0歳)9月16日、岡山県邑久郡本庄村(現・岡山県瀬戸内市邑久町本庄)に生まれる
1891年(8歳)明徳小学校に入学
1895年(12歳)邑久高等小学校に入学
1899年(16歳)叔父、竹久才五郎を頼って神戸中学校に入学、在学8ヵ月で家事都合により中退
12月一家で福岡県遠賀郡八幡村大字枝光に転居
1901年(18歳)夏に家出して上京、苦学
1902年(19歳)早稲田実業学校専攻科入学、学生時代にスケッチを『読売新聞』などに投書
1905年(22歳)「中学世界」に投書したコマ絵「筒井筒」が一等入選このとき、初めて夢二を名乗る、早稲田実業学校専攻科中退、投書家時代を終える
1906年(23歳)童話雑誌『少年文庫』の挿絵を描く
1907年(24歳)岸たまきと結婚、たまきをモデルに「夢二式美人」生まれる、平民新聞にて幽冥路の筆名を用いコマ絵や川柳を発表
1908年(25歳)2月長男虹之助生まれる、水彩画「BROKEN MILL AND BROKEN HEART」を描き、大下藤次郎を訪れ、岡田三郎助の助言を受ける
1909年(26歳)5月たまきと戸籍上離婚、最初の著書『夢二画集-春の巻』発刊、ベストセラーとなる
1910年(27歳)8月たまきと千葉県海鹿島に滞在
1911年(28歳)5月次男不二彦生まれる
1912年(29歳)京都府立図書館にて「第一回夢二作品展覧会」
1914年(30歳)日本橋に「港屋絵草紙店」を開店、来店した笠井彦乃と出会う
1915年(31歳)たまきと別居
1916年(33歳)2月三男草一生まれる、京都へ移る
1917年(34歳)6月彦乃京都へ来る
1918年(35歳)京都府立図書館において第2回竹久夢二抒情画展覧会開催
1920年(37歳) 1月16日、彦乃、東京順天堂医院で永眠、享年25歳
1924年(41歳) 12月29日、東京荏原郡松沢村にアトリエ付住宅「少年山荘」(別名「山帰来荘」)を新築、お葉や息子たちと同居
1931年(48歳) 2月に父が妹日下栄宅で没、享年79歳、5月7日、横浜港より秩父丸で出帆、ホノルルに2週間滞在の後、龍田丸でアメリカへ向かう
1933年 (50歳)11月に帰国、病が悪化し病床に伏す
1934年 (51歳)逝去
2014年 平成26年生誕130年、「竹久夢二学会」設立
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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。
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