買取実績
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版画
東山魁夷
「白馬の森」リトグラフ
- 買取地区:
- 名古屋市内
- 買取方法:
- 出張買取
買取価格¥800,000
今回は、東山魁夷「白馬の森」のリトグラフを買取いたしました。ご両親が大切になさっていた作品をお譲りいただき、誠にありがとうございました。白馬シリーズは東山魁夷の不朽の名作ですので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。2021年に贋作版画が流通しているとの情報により一時期は取引価格がつかない状況にありましたが、少しずつ価格も戻り始め、また人気の図柄のため、状態などを拝見して査定額をお出しいたしました。
東山魁夷の作風は、日本絵画の伝統に西洋絵画の写実表現を一部取り入れ、写実的でありながら幻想的な雰囲気を持っています。「昭和の国民画家」と称され、四季を通じて自然との対話を重ねて詩情豊かに描きました。
1908年に横浜に生まれた東山魁夷(本名 新吉)は、1926年に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科へ入学、夏に信州を旅して山国の雄大な自然に強い感銘を受けます。卒業後、33年から35年まではドイツに留学します。2年間の滞欧で西洋美術を学び、その後の海外への写生旅行が東山魁夷の作品に大きな影響を及ぼしたことはいうまでもありません。欧州各地を巡り日独交換留学生に選ばれますが、ベルリン大学に入学も父親が病気のため中途帰国します。帰国後は太平洋戦争で応召し、熊本で終戦を迎えます。戦後の時代が急速に進む中で、自分の風景画が時代遅れの道を歩んでいるのではないかと考えることがあったそうですが、後に振り返り、自然に感動して風景画を描いてきたことはよかったし、これからもそれを貫いていくと言われています。
東山魁夷といえば、「緑響く(1972年)」を含む連作「白い馬の見える風景」がとても人気でよく知られているのではないでしょうか。1935年、27歳で留学を終え帰国すると、日本は第二次大戦へと向かっていました。暗い世相と自らの芸術の模索を続ける苦悶の時代、東山魁夷は白馬と、その背景に虹をよく描いていました。当時描いていた白馬は、苦悩と不安に包まれた世界に対する救いを願う気持ちの現れだったのではないかと、後に東山魁夷は振り返っています。白馬は戦争を境に描かなくなりましたが、時は流れ、ドイツ旅行の後に「白い馬の見える風景」の連作として白馬は戻って来ます。そのことについては何か運命的なものを感じ、そして再び現れた白馬は心の祈りを現わしていると魁夷自身が言われていたそうです。
東山魁夷の描く美しい風景の中には自然と人間の共存の願いが込められているので、人々に感動を与えるのではないでしょうか。
静謐で端正な風景画は、今も人々から愛され続けています。
1908年 横浜に生まれる
1911年 3歳の時に一家で神戸に転居
1921年 兵庫県立第二神戸中学校(現・兵庫高等学校)に入学
1926年 東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学
1929年 21歳の時、最初の展覧会出品作《山国の秋》が第10回帝展に入選
1931年 3月に東京美術学校日本画科を卒業、引き続き研究科に進み、結城素明に師事し雅号を「魁夷」とする
1940年 川崎小虎の長女すみと結婚
1965年 日本芸術院会員に選ばれる、日展理事に就任
1969年 文化勲章を受章、文化功労者として顕彰される
1980年 唐招提寺障壁画完成
1990年 長野に東山魁夷館開館
1999年 5月老衰のため逝去、享年90、勲一等瑞宝章を贈られる
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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。
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