2024年10月22日
徳田八十吉の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の徳田八十吉の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
徳田八十吉の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、徳田八十吉の作品の買取情報を確認してください。 簡単LINE査定も受付致しております。
徳田八十吉の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の徳田八十吉のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた徳田八十吉の作品を鑑定して買取り致します。
陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の徳田八十吉の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
三代徳田八十吉 本人
『戦後しばらく、経済は社会主義、文化は抽象化への全盛でした。 私の周辺でも必然の流れと信じ、誰も疑わない時代でした。 具象から完全抽象に至る論理は、若者にとって大きな魅力と説得力がありました。 私には「九谷に描かれる絵」は、抽象でなければならなかったのです。 若い時、「アーチストの道は棄ててクラフトマンの道を歩こう」と思った私でしたが、「クラフトも創作に徹すればアートへの道が開けるかもしれない」という淡い思いもありました。 齢七十、遺された人生を、一生懸命、淡々と生きてゆきたいと思っています。 「作家の年輪は作品の積み重ね」です。 少しでも大きくなればと思っています。ご高覧を乞います』
三代徳田八十吉
三代徳田八十吉 彩釉
彩釉の技法は、九谷焼の伝統を受け継ぎつつも、より現代的な美意識に応えるために発展しました。重要無形文化財(人間国宝)にも指定された三代徳田八十吉は、この技法の確立者として広く知られています。三代徳田八十吉は、九谷焼の五彩を駆使しつつ、新たな色彩の表現を追求し、彩釉技法を独自に進化させました。
三代徳田八十吉先生の生涯を通じた作品制作は、九谷焼の技術と美学を一層高めるものとなりました。特に「燿彩」シリーズは、九谷焼の伝統的な色彩を基盤にしながらも、色彩の層を重ねることで、まるで光が内部から溢れ出るかのような透明感を持つ作品をとなっています。
彩釉は従来の九谷焼には見られなかった新しい表現であり、国内外で高い評価を受けました。その深い色合いは、九谷焼の印象に革新をもたらしたとされており、その美しさは今日でも多くの人々を魅了し続けています。
三代徳田八十吉の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.三代徳田八十吉の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。
Q.三代徳田八十吉の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。
Q.三代徳田八十吉の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただけます。
Q.三代徳田八十吉の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
三代徳田八十吉 耀彩
作品の色彩と輝きからも分かるように、耀彩とは「光り輝く色という意味」です。
三代徳田八十吉は祖父から伝授された九谷五彩の赤を除く四彩で作品づくりをします。
同系色の釉薬を重ね合わせ、順に配置していくことでグラデーション効果をつくりだします。
三代徳田八十吉は従来の九谷の特徴である色絵の概念を超え、自分らしい作品を作ろうと古九谷の色の確認を行っていたとき偶然発見したのがこの耀彩でした。
新しいことに取り組むことでおこる失敗と新発見、微妙な釉薬の色彩変化と通常の上絵窯よりはるかに高い温度での焼成方法、これが耀彩を完成させる要因となりました。
三代徳田八十吉 略歴
1933(昭和8)年9月14日、石川県能美郡小松町字大文字町(現、小松市大文字町)に二代徳田八十吉の長男として生まれます。本名正彦。
生家は、祖父の初代徳田八十吉(1873―1956)、父の二代徳田八十吉(1907―97)と続く九谷焼の家系で、初代八十吉は1953年に「上絵付(九谷)」の分野で国の「助成の措置を講ずべき無形文化財」に選定されています。
古九谷再現のための釉薬の研究と調合に取り組んだ祖父と陶造形作家として日展を中心に作品を発表し富本憲吉にも学んだ父のもとで育った三代徳田八十吉は、1952年4月に金沢美術工芸短期大学(現、金沢美術工芸大学)陶磁科へ入学します。
1954年3月に同大学を中退し、父・二代八十吉の陶房で絵付技術を学びます。
1955年の秋、病に倒れた祖父・初代八十吉から上絵釉薬の調合を任されて翌年2月祖父が亡くなるまでの数ヶ月間に釉薬の調合を直接教わりました。
本格的に陶芸の道に進む意志を固めたのは1957年で、すでに1954年から日展に出品していたが、9度の落選を経験した後、63年第6回日展に器「あけぼの」を出品して初入選(以後6回入選)。初入選作品は鉢型の器の外面を口縁に沿って上から下に青、黄、緑、紺と色釉を塗り分けたもので、色釉のグラデーションを初めて試みたという点で重要です。しかし、後に代名詞となる「燿彩」に見られる自己の様式、すなわち特有の透明感のある色調と段階的な色彩の変化を確立するまでには、ここから1980年代前半にいたる上絵釉薬の調製法と絵付・焼成法に関する研究と技の錬磨が必要でした。
焼成法に関する大きな変化は電気窯の使用です。当初は父の薪窯(色絵付)で焼成をしていたが、薪窯の温度を上げることに限界を感じ、1969年に独立して小松市桜木町に工房兼自宅を構えた際、電気窯による高温焼成を始めました。素地は1280度で固く焼き締めた薄い磁器を用い、色釉の美しさを効果的に見せるため、研磨の工程では器表面の微細な孔なども歯科医の用具にヒントを得た独自の手法で全て整えて平滑な素地を実現しました。上絵付の焼成は1040度に達する上絵としては極めて高い温度で行い、ガラス釉の特質を活かした高い透明感と深みのある色調を表出しました。色釉は古九谷の紫、紺、緑、黄、赤の五彩のうち、赤はガラス釉でないため使わず、残りの四彩を基本とし、少しずつ割合を変えて調合することで200を超える中間色の発色が可能になりました。こうした技術の昇華を経て生まれたのが「燿彩」という様式でです。それは花鳥をはじめとする描写的な上絵付による色絵の世界を超えて、九谷焼が継承してきた伝統の色そのものの可能性を広げたいという探求心が結実した色釉のグラデーションによる抽象表現の極みであり、1983年から「光り輝く彩」の意を込めたこの作品名を使うことが多くなりました。
2003年の古希記念展の後は「耀彩」と表記します。
1971年の第18回日本伝統工芸展に初出品して「彩釉鉢」でNHK会長賞を受賞します。翌年に日本工芸会正会員となる(以後38回入選)。
1977年の第24回日本伝統工芸展に「燿彩鉢」を出品して日本工芸会総裁賞
1981年の第4回伝統九谷焼工芸展に「彩釉鉢」を出品して優秀賞
1983年の第6回伝統九谷焼工芸展に「深厚釉組皿」を出品して九谷連合会理事長賞
1984年の第7回伝統九谷焼工芸展に「深厚釉線文壺」を出品して大賞
1985年に北国文化賞
1986年に日本陶磁協会賞、同年の第33回日本伝統工芸展に「燿彩鉢「黎明」」を監査員出品して保持者選賞
1988年に第3回藤原啓記念賞
1990(平成2)年に小松市文化賞、同年の’1990国際陶芸展に「燿彩鉢「心円」」を出品して最優秀賞
1991年の第11回日本陶芸展に「燿彩鉢「創生」」を推薦出品して最優秀賞(秩父宮杯)
1993年に紫綬褒章
1997年にMOA岡田茂吉大賞などを受賞
1986年に石川県九谷焼無形文化財資格保持者
1997年に国の重要無形文化財(人間国宝)「彩釉磁器」保持者に認定されました。小松市の名誉市民に推挙されました。
1994年6月に日本工芸会理事(~2004年6月)、1998年4月に日本工芸会石川支部幹事長(~2006年4月)
2004年6月に日本工芸会常任理事(~2008年6月)に就任
2005年に九谷焼技術保存会(石川県無形文化財)会長
2007年1月に小松美術作家協会会長、同年3月に財団法人石川県美術文化協会名誉顧問に就任。海外展への出品も多く、
1991年に国際文化交流への貢献が認められ外務大臣より表彰された後も2007年の大英博物館「わざの美 伝統工芸の50年展」にともなって「私の歩んだ道」と題する記念講演を行うなど最晩年まで貢献を続けました。
2009年8月26日午前11時04分、突発性間質性肺炎のため石川県金沢市下石引町の金沢医療センターで死去した。享年75。
2010年7月22日から9月6日に石川県立美術館で「特別陳列 徳田八十吉三代展」(同館主催)
2011年1月2日から12年1月29日に横浜そごう美術館、兵庫陶芸美術館、高松市美術館、MOA美術館、茨城県陶芸美術館、小松市立博物館、小松市立本陣記念美術館、小松市立錦窯展示館で「追悼 人間国宝 三代徳田八十吉展―煌めく色彩の世界―」(朝日新聞社・開催各館主催)が開催されました。
三代 徳田八十吉 耀彩小紋八角香炉
「香炉」は茶道で使われたりその形の美しさから観賞用としてもコレクターが多く評価も高いです。
「古九谷冩意卓形香爐」「燿彩香炉」「燿彩獅子撮み大香炉」など「香炉」作品は特に高価買取をさせて頂きます。
三代徳田八十吉の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.三代徳田八十吉の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
三代徳田八十吉 査定価格におけるポイント
三代徳田八十吉の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
三代徳田八十吉先生の作品は窯で出来る景色が重要で景色が鮮やかで綺麗な作品に高値の査定価格がつきます。
5万円から200万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと3万前後になります。
正彦サインの初期の作品は査定価格が低くなります。
大皿は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります300万円の高値が付いたこともあります。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
九谷焼は窯の焼き上がりの景色を重要とします。上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。
模様が強く出ている作品が高値の傾向にあります。三代徳田八十吉展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
大皿は大きければ大きいだけ高値が付く傾向にあります300万円の高値が付いたこともあります。
制作年代
三代徳田八十吉先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ三代徳田八十吉の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2024年10月22日
黒田辰秋の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の黒田辰秋の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
黒田辰秋の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、黒田辰秋の作品の買取情報を確認してください。 簡単LINE査定も受付致しております。
黒田辰秋の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の黒田辰秋のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた黒田辰秋の作品を鑑定して買取り致します。
陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の黒田辰秋の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
制作は、当時一般的であった分業制に疑問を持ち、図案制作、素地作りから加飾までを一貫して黒田辰秋自身で行うもので、実用性と装飾性、素材の特性を一体化させたところに生命感にあふれた独自の創作世界を切り開きました。古典に根差したその活動は、民藝運動と関係づけて語られることが多いものの、黒田はあくまでも自身を「個人作家」としてみなしており、自身が生み出した作品のひとつが「地球と代えられる」だけの価値を有しているかということを常に問いかけていました。
黒田辰秋 螺鈿総貼小棚
黒田辰秋は、木工芸の分野で初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた作家です。その作域は多岐にわたっており、螺鈿による漆芸には、貝の複雑な色味を組み合わせた繊細なものから、華やかな図案による大胆なものまでさまざまな作品があります。
黒田辰秋の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.黒田辰秋の作品は、当店が真贋を拝見させていただき判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。
Q.黒田辰秋の作品以外にも骨董品などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせていただき、買取りさせていただけます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。
Q.黒田辰秋の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただきます。
Q.黒田辰秋の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.黒田辰秋の作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
黒田辰秋 本人
黒田辰秋 略歴
1904(明治37)年9月21日、京都府京都市の塗師屋を営む黒田亀吉の六男として生まれます。
病弱の幼時期を送り、1919年父兄の勧めで一時蒔絵師に就くが、健康を害してこれを止め、以後独学をします。
この頃、漆芸界での分業制に疑問を持ち、制作から塗りまでの木工芸の一貫作業を目指して木工も独学しました。
1923年第一回京都市美術工芸品展に「螺鈿竜文卓」が入選します、デビュー作となる。
1921年楠部弥弌、1924年には河井寛次郎、柳宗悦、青田五良(染織)らを知り、彼らの民芸運動に共感します。
1926年柳らが発行した『日本民芸館設立趣意書』の表紙の表題を彫る。
1927年には柳宗悦、青田五良、鈴木実(染織助手)と共に上賀茂民芸協団を創立し、共同生活をしながら制作に没頭しました。この頃朝鮮の木工品に学ぶところが大きく、また技術的にも、透明漆を塗り木目を生かして重厚な仕上がりを見せる拭漆や、朱漆、黒漆、白蝶貝等による螺鈿などの技法を既に用い、大量の木工家具や装飾品等を制作しました。
1928年御大礼記念博覧会に特設された民芸館に「拭漆欅テーブルセット」を出品、1929年には民芸協団作品展が開催され、また民芸論を通じ、小林秀雄、志賀直哉、芹澤銈介らを知ります。
上賀茂民芸協団は1929年秋解散となるが、ここでの活動が以後の制作態度を決定しました。また本の表題や扉絵、挿絵などもこの頃手がけています。
1930年柳宗悦の推薦により国画会に無鑑査出品、以後同展に出品すします。
1935年頃よりメキシコ産アワビ貝(耀貝)を使った螺鈿も本格的に手がけ、終戦前後までは主に個展を中心に活動します、
1940年には武者小路實篤を知る機会を得ます。
1948年、戦後に至りその社会的活動も活発となり、漆芸研究団体を結成、1948年京都工芸作家審議委員会(常任委員)、1954年日本工芸会近畿支部創設、1956年日本工芸会正会員、1958年には日本伝統工芸展鑑査委員・木工部長となります。
作品では1959年東宮御所「耀貝螺鈿盒子」、1967年皇居新宮殿扉飾り、及び梅の間用の大飾棚、そのほか螺鈿の台座などを制作しています。
木質の持つ美を極力生かし、伝統に学び民芸運動にも参加する一方、卓越した技量により現代的な造型性をも盛り込んだその作品は、志賀直哉をして「名工中の名品」と言わしめました。
1970年重要無形文化財(人間国宝)の指定を受け、1971年紫綬褒章、1976年京都市文化功労者、1978年勲四等旭日小綬章を受章、また1964年国画会会員となっています。
1982年(昭和57年)木質の美を追求し続けた木漆工芸の人間国宝黒田辰秋は、6月4日午後3時30分、急性肺炎のため京都市伏見区の自宅で死去した。享年77。
耀貝螺鈿大丸茶器
黒田辰秋はメキシコの鮑貝に小学校時代から憧れていて、いつかそれを用いることを長い間構想していたと言います。
この作品のように全面に貼ることで今までにない蠱惑的な輝きの魅力を最大限に引き出した作風となりました。
茶器などの曲面で、十六分割した意匠に細分化した貝片を漆で貼ることは、卓越した技術と強靭な根気が必要となります。
友人である棟方志功がこの仕事を「耀貝」と名付けています。
茶器の内側は黒塗となっていて、耀貝の煌きをより際立たせています。
黒田の耀貝作品は、見た目はモダンできらびやかだが、その実、細かく切り分けられたメキシコ鮑の貝片をほとんど加工することなく、張り合わせて完成されている。
美しい耀貝のキラキラは、貝のもつ自然な輝きを集めて、きわめて人工的な形態をつくりあげたといっていい。
黒田辰秋 金鎌倉四稜捻茶器 1965-70年
蓋の中央から稜線は回転し始め、螺旋を描きながら表面を包み込むように下の方へと向う。
計算されつくした形でありながら、柔らかで生き生きとした動きを感じます。
捻りを加えた独特の造形に、濡れたような朱赤がのり、品の良い仕上がりとなっている。 黒田辰秋先生の代表作の一つと言えます。
木や貝などの素材そのものが持つ装飾性にゆだねるような方向性も、拭漆や螺鈿に共通して見られる黒田辰秋作品の特色です。
黒田の拭漆は、たっぷりと木地に漆を吸わせる独自の方法で、艶やかな漆の質感とくっきり鮮やかに浮き出る木目を実現しています。
螺鈿でも絵や文様を描くことはほとんどなく、総張りにして素材が本来備えている姿を見所にするような作品が多くあります。
黒田辰秋 査定価格におけるポイント
黒田辰秋の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
黒田辰秋先生作品は小さくても棗が一番高値の査定価格が出来ます。60万円から200万円ぐらいの買取相場です。
竹の茶杓ですと10万前後になります。箱物などの螺鈿の作品は査定価格は高いです。
保存状態
箱が汚れているのも査定価格が下がります。漆物の作品で、時折ヒビやワレがある作品がありますが査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
螺鈿の作品の査定価格が上がる傾向にあります。黒田辰秋展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
黒田辰秋先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ黒田辰秋の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2024年10月21日
加藤土師萌の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の加藤土師萌の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
加藤土師萌の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、加藤土師萌の作品の買取情報を確認してください。 簡単LINE査定も受付致しております。
加藤土師萌の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の加藤土師萌のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた加藤土師萌の作品を鑑定して買取り致します。
陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の加藤土師萌の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
加藤土師萌 紅地金襴手雲雀迎春花文飾壺
「紅地金襴手こうちきんらんて」は、器物の表面を赤絵の具で塗りつめ、金箔を貼っていく技法で、中国明時代のものがよく知られている。「色絵磁器」で重要無形文化財保持者に認定された加藤土師萌は「五彩」「黄地紅彩おうちこうさい」、「金襴手きんらんて」など中国陶磁についての研究に余念がなかったが、本作品はそうした研究成果を示すものの一つです。
加藤土師萌の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.加藤土師萌の作品は、当店が真贋を拝見させていただき、判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。
Q.加藤土師萌の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせていただき買取りさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。
Q.加藤土師萌の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただきます。
Q.加藤土師萌の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
加藤 土師萌 略歴
(かとう はじめ)1900年3月7日〜1968年9月25日)
本名は加藤一(かとうはじめ)
東洋の陶磁器に対して高い見識を持つ。教え子に鳴海要などがいます。
1900年 愛知県瀬戸町(現在の瀬戸市西本町)に生まれます。
1914年画家をこころざし、愛知県立陶器学校(後、愛知県立窯業学校)図案科の日野厚に図案を学びます。
1916年第4回農展図案部に初入選 1920年愛知県立窯業学校の助手となり、成型などの研究に取り組みます。
1921年まで愛知県窯業学校助手等を務め、陶磁器の図案を習得します。
1924年第11回農展工芸品部に初入選。この年より、「土師萌」の号を用いる。
1926年美濃に移ります。岐阜県陶磁器試験場に勤務、研究と作陶を行います。
1927年第8回帝展初入選(工芸部門が新設された回である)。新文展、日展に出品を続け、その後日本伝統工芸展へと発表の場を移しています。
1930年試験場の加藤土師萌のもとに荒川豊蔵来訪、大萓で発見した黄瀬戸・志野・織部などの陶片を持ち込みます。
1931年美濃古窯跡の発掘調査を行う。
1935年岐阜県より派遣され、中国・朝鮮の窯業を視察。
1937年パリ万国博覧会でグランプリ受賞。
1940年横浜の日吉に移住。大倉和親(大倉陶園社長)の支援を受け、窯を築きます。
1947年唐津に古窯跡の調査に行く。 1950年「日本陶磁協会」理事に就任。
1951年 黄地紅彩が重要無形文化財に指定。その後も金襴手・青白磁など磁器を研究。
1952年第1回神奈川文化賞受賞。黄地紅彩の上絵付の技法が無形文化財に選定されます。
1953年第6回中日文化賞受賞。
1954年「桃李会」結成。第1回日本伝統工芸展に出品。
1955年 東京藝術大学に陶芸科が創られ初代教授就任。
1957年黄地紅彩の上絵付が無形文化財の記録保存に認定。
1958年ブリュッセル万国博覧会にてグランプリ受賞。
1961年4月27日、重要無形文化財「色絵磁器」保持者(人間国宝)認定されます。
1962年釉裏金彩の技法を磁器に応用することに成功。
1966年 日本工芸会理事長就任。他、文化財保護審議会専門委員等を歴任。
1967年東京芸術大学名誉教授になる。紫綬褒章受章。 1968年死去。勲三等瑞宝章受章。
加藤土師萌の代表作
加藤土師萌作 黄地金襴手菊文蓋付大飾壺
親族間で秘蔵されてきた大型の磁器の壷、皇居宮殿に納めた作品の色違いで、亡くなる直前に手がけた貴重な一品です。
美濃焼の歴史に大きな功績を残した加藤土師萌先生の歴史的名品
中国・明時代の黄地紅彩を再現した加藤土師萌
加藤土師萌は色絵磁器で1961年に重要無形文化財保持者に認定されていますが、色絵以外にも金欄手、金彩、染付、辰砂、影青、織部、均窯、古瀬戸、黄瀬戸、備前、萩、釉裏金彩など、多様な技法に取り組み、幅広い制作を行った陶芸家です。
その中でも中国・明時代の五彩・金襴手・黄地紅彩などの技法を近代化した色絵磁器の作品は、多年にわたる研究の成果として芸術的にも技術的にも高く評価されています。
その加藤土師萌自身がひとつの技法にこだわらず、ありとあらゆる技法に貪欲に取り組んだのにはある深い理由がありました。
「ペーパーデザインから作陶の道に入って、いろいろな作調のものを手がけた。低温物、高温物、酸化焔、還元焔等まさに“よろずや”思いのまま、よそ目には何が目標?と思えたかもしれない。しかし、幅広く、技術を手がけた上でなければ、陶磁の本質を知ることも出来ず、結論がでない」
古陶磁の収集や鑑賞が盛り上がりを見せていた時代の中で、古陶磁の名品に学び、ひたむきに制作を行う事で、少しでも名品に近づきたいという思いが高まっていったのかも知れません。
]
黄地紅彩の再現
1950年、加藤土師萌は明の時代に出現した後に途絶えていた高等な上絵技術「黄地紅彩」を約2年かけて解明・復元に成功しました。
この技法は1951年に無形文化財(人間国宝)に指定されました。
黄地紅彩とは、黄色の釉薬で全体を彩色した上から赤色の上絵の具で文様の下地にあたる部分を彩色して文様を表す技法で、中国・明時代の嘉靖年間(1522~66年)に作り出されたものです。
この技法の解明にあたっての最大のポイントは、黄釉の発色、すなわち黄釉の焼付温度が常識では考えられない1000℃であるということを発見した事です。
当時、この黄地紅彩の技法は秘密とされてきましたが、加藤土師萌は陶芸界の秘密主義に抵抗し、黄地紅彩の制作技術についての記録を原稿用紙約百枚に克明に記しました。
この記録は文化財保管委員会に保管されており、記述通りに作陶すれば黄地紅彩ができるといわれています。
先人達が何百年もの時間をかけて蓄積してきた製陶技術に対する確かな知識に基づいて制作を行うことで、伝統の厚みを付加するすることになると考えていた加藤土師萌先生の倣作への取り組みを通じて、古作における素材、技法と表現の関係を解き明かし、自らの制作に活かした作品は、現代でも貴重な資料として残され続けています。
加藤土師萌 査定価格におけるポイント
加藤土師萌の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素をあげますのでご参考にして下さい。
作品の種類
加藤土師萌先生は金彩の作品が高値の査定価格が出来ます。20万円から300万円ぐらいの買取相場です。
ぐい呑みですと5万前後になります。加藤土師萌先生は茶碗よりも壺などの大作が査定価格が上がる傾向にあります。
保存状態
茶碗や湯呑みなどは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。紅地や黄地など金襴手の作品の査定価格が、上がる傾向にあります。加藤土師萌展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
加藤土師萌先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ加藤土師萌の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2024年10月20日
井上萬二の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の井上萬二の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
井上萬二の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、井上萬二の作品の買取情報を確認してください。 簡単LINE査定も受付致しております。
井上萬二の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の井上萬二のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた井上萬二の作品を鑑定して買取り致します。
陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の井上萬二の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように当店にご相談下さい。 誠意を持ってご要望に沿うよう、高価買取をさせていただきます。
井上萬二 白磁緑釉桐彫文壺
井上萬二は有田焼を代表する陶芸家です。有田焼の中でも純白の地肌を見せる白磁を制作し、柔らかで滑らかな造形だけで端正さ、温かさ、凛とした風格を表現しています。
作品には卓越したろくろ技術と、こだわり抜いた美意識が現れています。
自らの制作の傍ら、日本のみならず海外でも積極的に作陶指導を行っています。
究極の美を表現した質の高い作品と日本の伝統工芸の在り方を世界に伝える活動が高く評価されています。
1995年5月31日に白磁で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。
90歳を超えた今でも作品を作り続けています。
井上萬二 本人
井上萬二の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.井上萬二の作品は、当店が真贋を拝見させていただき、判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。
Q.井上萬二の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。
Q.井上萬二の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただきます。
Q.井上萬二の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
井上萬二 白磁渦文壺
白磁渦文花瓶は鳴門海峡の渦潮から着想を得たという、らせん状の文様が特徴の花瓶です。流線形のデザインを生み出すには彫琢されたろくろの技術が必要になります。井上萬二のろくろの技量をうかがい知れる作品です。
井上萬二 略歴
佐賀県西松浦郡有田町出身。
生家は窯元であったが当時の日本社会情勢から軍人を志し、1944年8月に15歳で海軍飛行予科練習生となりました。
鹿児島海軍航空隊に入隊し、まず鹿屋航空隊、次いで1945年6月に串良航空隊に配属されました。
日本の敗戦間際に少年戦闘予備軍であった。(実戦には行っていない)
1945年(昭和20年)終戦の年に地元九州故郷に帰還復員し、その後に父親の勧めで酒井田柿右衛門 (13代目)の窯元で働き始めます。修行7年目の1952年頃に奥川忠右衛門の作品に衝撃を受け、門下生となり白磁や轆轤の技法を学びました。
1958年に酒井田柿右衛門窯を退社し、県立有田窯業試験場の技官として勤務を始めます。その傍らで独自の基礎となる意匠や釉薬の研究に励んだ。
1969年(昭和44年)、ペンシルベニア州立大学から有田焼の講師として招かれて渡米し、5ヶ月間担当しました。海外での活動はドイツなどでの個展や2002年3月のモナコ国王の在位45年記念の展覧会など、多岐にわたっています。
1968年、第15回日本伝統工芸展で初入選を果たします。
1977年に全国伝統的工芸品展通産大臣賞
1987年には第34回日本伝統工芸展で文部大臣賞を受賞しました。
1995年5月31日に重要無形文化財「白磁」保持者(人間国宝)に認定されます。
1997年紫綬褒章を受章
2003年11月旭日中綬章を受章
2017年現在、有田町で息子の井上康徳(2020年佐賀市内の病院で死去、享年62歳)、孫の井上祐希と共に井上萬二窯と平屋建てのギャラリーを構えています。
華やかな絵付けが中心の有田焼の中で、なにも筆を加えない中国発祥の白磁に徹するという独特の制作を続けています。
直接的間接的に教え子は既に500人、アメリカでも150人を超え、なお後進の育成にも力を注いだ。
井上萬二の代表作品である「白磁青海波文丸形壷」、「青白磁桃彫文珈琲碗」、「白磁緑釉彫文壺」、そして「白磁緑釉金魚彫文面取花瓶」について解説します。
白磁青海波文丸形壷
白磁作品の特徴として、染付の作業をしない為、作り手の高い技術が必要となります。彩は感じることができないですが、造形の美しさや白い色味から滲み出る柔らかな印象、作品一点一点に唯一無二の存在感を感じることができると思います。
丸型壺に吉祥文である青海波を施した作品となっています。重厚感ある白磁の壷は井上萬二の真骨頂で、磨け上げられたろくろ技術から作り出された造形美となっています。
井上萬二 青白磁桃彫文珈琲碗
全体に掛けられた柔らかな緑釉の中に桃の文様が彫り込まれ、純白の桃として仕上げられた作品です。また、井上萬二さん特有の高台に向かって引き締まる造形がシャープな印象を与えスタイリッシュな珈琲碗となっています。珈琲碗に描かれた桃の文様は、正面のみとなっています。
ソーサーには溝がないため、カップの横にお菓子を一緒にのせたり、お皿としてお使い頂いたり幅広く使用できる考案されております。
井上萬二 白磁緑釉彫文壺
轆轤で成形した壺に、百合・夕顔・唐草の文様を彫り込み緑色の釉薬で掛け分けした作品です。艶やかな白磁と瑞々しい緑釉の色のコントラストと、なだらかな丸みを持った胴の曲線に力強い口縁が一体化したバランスがとれた魅力的な作品です。
井上萬二インタビュー
何といっても有田焼は400年続いてきました。 中国は1000年前からですが、それと比べても、有田焼が長く続いている事が分かります。
有田焼が長い歴史を重ねてこられたのは、無名の陶工たちが作り上げた作品が今も名品として残り続けているからです。
400年を振り返って、原点に戻り、心と技術を今に合わせて、現代に合ったものを生み出す努力をしていく必要があると考えます。
これからの伝統を作っていくためにも、より多くの人々に有田焼をアピールすることを絶やさず、実際に見て考えてもらいたいと願います。
そのためには、現代だけを見るのでなく、本来の有田を忘れてはいけません。全国各地に素晴らしい伝統工芸がある中で、「さすが、有田焼だ。」と言われるものを作り続ける事です。
先人の心を受け継いで作品を創り、日本中の人々に愛されるものを作ることで、活力ある有田になると信じています。
井上萬二 査定価格におけるポイント
井上萬二の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
井上萬二先生は白磁の壺に細工が施してある作品が一番高値の査定価格が出来ます。8万円から20万円ぐらいの買取相場です。
ぐい呑みですと1万円前後になります。カップ&ソーサーなどは2万円から3万円前後になります。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
大きな壺の作品の査定価格が高値がつく傾向にあります。井上萬二展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
井上萬二先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ石黒宗麿の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
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2024年10月19日
金重陶陽の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
北岡技芳堂は、陶芸家 金重陶陽先生作品を鑑定・買取りを強化中です。 金重陶陽の作品に精通した専門の鑑定士が丁寧に査定致します。
もし金重陶陽の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。 先代様の金重陶陽のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた金重陶陽の作品、備前焼や伊部焼の陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の金重陶陽の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように、当店にご相談下さい。 誠意を持って、ご要望に沿うよう、高価買取をさせていだきます。 出張買取のご希望の方は事情をお聞かせいただきご訪問させていただきます。
金重陶陽は、明治29年(1896)1月3日、岡山県和気郡において備前焼窯元の名門“六姓”のひとつに生まれます。本名金重勇 15才の頃から父、金重楳陽に陶製法を学びます。以後、備前焼の制作に没頭し、一時期低俗な雑器焼となっていた備前焼を格調ある作風に復興させるべく室町・桃山期の古備前の作風復元に努力、窯変をもった芸術的作品の制作に成功し、備前焼中興の祖といわれました。昭和31年(60歳) – 備前焼の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
金重陶陽 伊部窯 花入
金重陶陽の陶印が2種類刻印された珍品の備前花入です。 昭和5年~10年頃までの分銅印から土彫に入れ替わる時期に制作されたと思われる作品です。中期の作品ながら細部まで卓越した陶技を垣間見る事が出来ます。 細工師としての陶技を超え、新たに桃山古備前の美を追求し、研究を重ねて作風が変化し出した頃の作品です。 強烈な降灰による多彩な窯変を見せる備前も魅力的ですが、古備前に見られるような、土の温もりが実感出来る素晴らしい花入です。
金重陶陽の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.金重陶陽の作品は、当店が真贋を拝見させていただき、判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。
Q.金重陶陽の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。
Q.金重陶陽の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただけます。
Q.金重陶陽の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
金重陶陽 備前鶴首徳利
陶印が比較的短めの「ト」になっていることから、 昭和30年代後半に制作された最晩年期の作品であると思われます。 酒を入れれば、濡れてより美しい色合いとなって見る者を楽しませてくれます。
金重陶陽 略歴
1896年に父金重慎三郎(号媒陽)、母竹能の元に長男として和気郡伊部町(現備前市伊部)に生まれます。金重家は備前六姓のひとつです。
1901年(5歳)焼物に興味を持ち土いじりを始めます。
1907年(11歳)カメ、カブトを博覧会に出品受賞します。
1909年(13歳)弟七郎左衛門(素山)生まれます。
1910年(14歳)伊部尋常小学校高等科を卒業。父について作陶をはじめます。
1911年(15歳)食塩青の技法で、煎茶器を造ります。
1912年(16歳)父不在のため、独力で窯焚、製品の販売をします。
1915年(19歳)岡山での書画、陶磁器の入札会に欠かさず出かけます。
1916年(20歳)耐火度の高い棚板を考案し、窯詰めの形式を改良をする。父媒陽死去。
1918年(22歳)大本教に入信。彩色備前を作り始める。「陶陽」の号を用います。
1919年(23歳)倉敷市酒津の西山窯にて1年間制作します。
1920年(24歳)岡山の富豪佐藤喜久治の依頼で、橋本関雪との合作を制作します。
1921年(25歳)ドイツ式マッフル窯を作り、窯変の焼成に工夫を加えます。
1922年(26歳) 備前で初めて宝瓶を制作、伊部中に流行。
1923年(27歳)橋本関雪来訪、岡山錦園に遊びます。
1924年(28歳)名古屋松坂屋にて十五代永楽善五郎と最初の展覧会を開催。
1925年(29歳)三村陶景、西村春湖と備前三名工として知られます。
1927年(31歳)ドイツ式の窯と備前式の窯を折衷し窯を改良、木炭をくべて棧切の焼成に成功。
1928年(32歳)母竹能死去。荻野綾子と結婚。大日本勧業博覧会に「彩色備前孔雀置物」出品。「備前飛獅子置物」「彩色備前鬼瓦に鳩置物」を昭和天皇に献上します。
1929年(33歳)長女常子生まれます。
1930年(34歳)古備前の土を研究し、桃山調備前の土味を出すことに成功。
1931年(35歳)次女幸恵生まれます。
1932年(36歳)官休庵来訪し、手造りの茶器等制作。本格的に轆轤を挽いて茶器を制作。「土」の窯印を用います。
1934年(38歳)長男道明生まれます。
1936年(40歳)川喜田半泥子が唐津行きの途中に来訪、これより交流が始まります。半泥子の千歳窯を訪れ作品制作。
1937年(41歳)三女美和子生まれる。「備前糸目水指」「備前糸目掛花入」を表千家家元惺斎宗左好みとして制作。
1938年(42歳)大阪阪急百貨店にて初個展開催。川喜田半泥子来訪制作。東京資生堂ギャラリーにて個展開催します。
1939年(43歳)川喜田半泥子と相互に行き来し互いに制作。
1940年(44歳)次男慎一生まれる。大阪阪急にて第二回作品展開催。半泥子と相互来訪。
1941年(45歳)素山出征のため、窯の構造をかえ、画期的な成功をおさめる。加藤唐九郎来訪。
1942年(46歳)川喜田半泥子、荒川豊蔵、十代三輪休雪と「からひね会」結成。四女達子生まれる。荒川豊蔵来訪制作。備前焼技術保存者に認定されます。
1943年(47歳)表千家家元千宗左即中斎来訪。三男晃介生まれる。
1944年(48歳)日本美術協会及工芸統制協会代議員となります。
1945年(49歳)四男元郎生まれる。素山と共に美濃大萓に荒川豊蔵を訪ね、制作をします。
1947年(51歳) 生活用品芸術陶磁器認定委員となります。
1949年(53歳)出口直日(大本教三代教主)来訪し茶碗・水指・徳利などに釘彫りの絵付けをする。川喜田半泥子の廣永窯を訪れる。北大路魯山人来訪し作陶する。藤原啓・山本陶秀・藤田龍峰・金重素山・浦上善次と備前窯芸会を結成。
1951年(55歳)京都府亀岡の大本教が花明窯を築窯、指導の為一ヶ月滞在し制作も行う。フランス・イラク・イランで開催された、「現代日本陶芸展」に「備前緋襷輪花花器」を出品します。
1952年(56歳)備前焼無形文化財記録保持者に認定される。朝日新聞社主催「第1回現代日本陶展」に「備前台鉢」「備前三角花入」を出品。窯印を「ト」と改める。イサム・ノグチ、北大路魯山人と共に来訪制作。北大路魯山人の依頼で北鎌倉山崎に備前窯を築窯、一月半滞在。魯山人窯で釉薬物を多数制作。石黒宗麿・荒川豊蔵・加藤唐九郎・宇野三吾ら在野の有志と共に「日本工芸会」の設立を協議。
1953年(57歳)加藤土師萌来訪し制作。伊部に来訪したバーナード・リーチを囲み、石井不老・三村陶景・山本陶秀と共に会談。田山方南来訪。
1954年(58歳)伊豆山「桃李郷」において、石黒宗麿・加藤土師萌・小山富士夫・荒川豊蔵・加藤唐九郎・小森小庵・黒田領治・佐藤進三・金重陶陽の九人で「桃李会」結成。岡山県無形文化財保持者に認定。萩の吉賀大眉の窯で制作。唐津、中里無庵の窯で制作します。
1955年(59歳)日本工芸会結成。日本橋壺中居で「第1回桃李会展」開催。
1956年(60歳)備前焼の重要無形文化財保持者に認定。シカゴ美術館主催「日本現代陶芸六人展(富本憲吉・石黒宗麿・加藤土師萌・荒川豊蔵・加藤唐九郎・金重陶陽)」に出品。日本橋三越で「作品展」開催。京都裏千家茶道会館で「新しい陶芸の茶会」を開催します。
1957年(61歳)広島天満屋で個展開催。石黒宗麿来訪。中村研一来訪制作。武者小路千家十三世家元有隣斎来訪制作。11月、欧米に旅行に出る、翌年2月帰国。アメリカ合衆国にて作品展開催します。
1959年(63歳)中国文化賞受賞。東京国立近代美術館開催の「現代日本陶芸展」に「備前水指」出品。上野松坂屋で加藤唐九郎と二人展開催します。
1960年(64歳) 山陽新聞賞受賞。岡山県文化賞受賞。岡山県文化財保護協会理事、備前町文化財保護委員長となります。
1961年(65歳) 富本憲吉、河井寛次郎、浜田庄司、バーナード・リーチ来訪。
1962年(66歳) 名古屋丸栄にて個展開催。日本工芸会理事となります。
1963年(67歳) 奥村土牛・酒井三良来訪、釘彫り制作。小山富士夫来訪制作。立花大亀来訪、釘彫り制作。
1964年(68歳) ハワイ大学夏期講師に招待。滞在中ホノルルにて「金重陶陽・道明二人展」開催。「現代国際陶芸展」に「備前壺」出品。加藤土師萌来訪制作。井伏鱒二来訪。
1965年(69歳) 磯野風船子・吾妻徳穂・谷川徹三・菊地一雄がそれぞれ来訪。岡山県工業試験所陶磁器指導所の講師になります。
1966年(70歳) 「人間国宝五人展」出品。紫綬褒章受章。岡山天満屋にて「陶歴五十五年記念・金重陶陽回顧展」開催します。
1967年(71歳) 昭和天皇・香淳皇后備前来訪の際、御前制作。大阪髙島屋にて「金重陶陽・素山・道明三人展」開催。国立岡山病院にて死去。勲四等旭日小綬章受章。
金重陶陽 本人
「やきものは教えられるものではなく、自らが感じ とらねばならない。 作品は生れてくるものだから、 本人の人間性を高くしなければ良い作品は生まれてこない」
金重陶陽の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.金重陶陽の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせていただきます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
金重陶陽 査定価格におけるポイント
金重陶陽の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
金重陶陽先生の作品は窯で出来る景色が重要で景色によって、高値の査定価格がつきます。30万円から70万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと10万前後になります。壷心庵陶陽のサインの作品は高値が付くこともあり板皿などは500万円の高値が付いたこともあります。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
備前焼は窯の焼き上がりの景色を重要とします。上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。作品の査定価格が、緋襷(ひだすき)藁などを敷いて作る模様や胡麻模様が強く出ている作品が高値の傾向にあります。金重陶陽展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
金重陶陽先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ金重陶陽の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
**************************************
弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2024年10月18日
石黒宗麿の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
御所蔵の石黒宗麿の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
石黒宗麿の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、石黒宗麿作品の買取情報を確認してください。 簡単LINE査定も受付致しております。
鉄釉陶器の人間国宝石黒宗麿は、25歳のときに稲葉天目と称される中国宋代12世紀~13世紀の窯変天目茶碗(現在、静嘉堂文庫美術館蔵・国宝)に感銘を受けて作陶を志したと語っています。昭和3年に京都へ移り住んで以降、中国の唐・宋時代の古陶磁を研究し、幅広い陶芸技法を体得していきました。
昭和11年に京都市北部の八瀬やせに窯を移して以後はここを生涯の作陶の場とし、独創的な陶芸の世界を築き上げていきます。戦後はチョーク釉の新技法や、藍彩など低下度色釉を駆使した、従来どこにもなかった作品を創出し、自由な気分と近代感覚に溢れた、斬新で品格ある作品を生み出し続けました。
昭和30年に重要無形文化財保持者(人間国宝)の制度が誕生すると、富本憲吉、濱田庄司、荒川豊藏らと共に、陶芸界から最初の認定を受けています。 作家としての自分の表現を追求し続け、多彩な作品を生み出した石黒宗麿の芸術の魅力は今も人々から愛されています。
石黒宗麿 鉄釉 窯変油滴天目指掻茶碗
石黒宗麿は鉄釉陶器の重要無形文化財保持者、人間国宝に認定されました。
石黒宗麿の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.石黒宗麿の作品は、当店が真贋を拝見させていただき、判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。
Q.石黒宗麿の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせていただき、買取りさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。
Q.石黒宗麿の作品は画像で査定して頂けますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただきます。
Q.石黒宗麿の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
石黒宗麿 本人
」
石黒宗麿 略歴
重要無形文化財保持者、日本工芸会理事
1983年明治26年4月14日、富山県新湊の医師石黒伯の長男に生まれました。
1898年明治31年7月11日富山県立富山中学校を中退しました。
1919年大正8年ころ東京美術クラブにおいて、世界の名器として定評のある稲葉家から岩崎家に移った曜変天目茶碗、「稲葉天目」をみて感激し、陶芸に志すにいたった。
1921年大正10年5月に上京して渋谷区富ヶ谷に築窯して製陶研究にはいります。
1923年大正12年8月埼玉県比企郡に築窯、同15年2月に金沢市に移ります。
1927年昭和2年1月京都市東山に転じ、このころから小山富士夫氏らと中国、日本の古陶磁の研究に着手し、その再現に努力した。石黒宗麿は、特定の師につかず、専ら古陶磁を師として独学研究をしました。
1934年昭和9年6月からは1年間、佐賀県唐津市に滞在して古唐津とお茶碗窯復興に尽力しました。
1935年昭和10年4月10日には京都市郊外八瀬に築窯しました。
1938年昭和13年5月、中国、満州、朝鮮各地の陶磁業を視察しました。
1941年昭和16年11月、柿天目、黒定窯、河南天目、木葉天目など曜変天目からの感動に発した宋窯の研究は一応その技法を解明して完成された。こうした鉄釉にかかわる宋磁研究をもとにして品格の高い作品を発表し、他の追従を許さない境地を開拓し、また唐三彩、均窯、絵高麗、三島、唐津などの作域においてもすぐれた技術を示し幅広い活動をおこなって、陶芸界に大きな影響を与えました。
1955年昭和30年2月、鉄釉陶器の重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた。また同年設立された社団法人日本工芸会の理事に就任し、伝統工芸の振興に力を尽しました。
1956年昭和31年2月には富山県新湊市名誉市民に推され、同年6月には陶芸研究家のために居住していた住居、工房を提供して財団法人八瀬窯を設立し、後継者の養成にあたりました。
1963年(昭和38年11月、紫綬褒章を受章。なお、晩年には社会福祉法人愛隣会を通じて、身体障害者、精神薄弱児、母子家庭、保育園などの福祉活動にも献身的に協力しました。
1968年昭和43年、勲三等瑞宝章を受章し、同年6月3日、老衰のため死去。晩年には社会福祉法人愛隣会を通じて、身体障害者や精神薄弱児、母子家庭、保育園などの福祉活動にも献身的に協力しました。墓所は八瀬霊苑。
石黒宗麿 釉彩干柿文壺
彩瓷というオリジナルの技法による優品です。
彩瓷は石黒宗麿流の呼び方で、低火度焼成の彩絵、軟彩の瓷器の意と考えられています。海老茶色の干柿と黒の線のリズムが絶妙で生き生きとしています。
石黒宗麿の独創的な図案で、口縁部の特徴ある形と相まって素晴らしい活筆で絵付けをしています。
1959年 昭和34年頃の作品。
石黒宗麿 査定価格におけるポイント
石黒宗麿の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
石黒宗麿先生は鉄釉の壺が一番高値の査定価格が出来ます。30万円から200万円ぐらいの買取相場です。
ぐい呑みですと10万前後になります。板皿などは大きい割に査定価格は高いです。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。天目茶碗の作品の査定価格が上がる傾向にあります。
石黒宗麿展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
石黒宗麿先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ石黒宗麿の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話052(251)5515
営業10:00-18:00
2024年10月17日
加藤卓男の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品の買取りブログ
御所蔵の加藤卓男の陶芸作品の買取価格を知りたい方は、高額査定の北岡技芳堂にお任せください。
加藤卓男の作品を他社よりも高い買取価格で査定しています。 買取査定のポイント、加藤卓男作品の買取情報を確認してください。 簡単LINE査定も受付致しております。
加藤卓男は、岐阜県多治見市にある幸兵衛窯の6代を襲名した陶芸家です。 ラスター彩の復元に成功するなどし、人間国宝に認定されるほど陶芸界で功績を残しております。
作品は高く評価され、ラスター彩の作品は特に高い評価をされております。 北岡技芳堂は、加藤卓男の作品に関して深い知識があり、買取実績も多くあるため、お客様にとって損のないお取引が可能です。
売却希望の方は、骨董品買取専門店の北岡技芳堂へぜひご連絡ください。 豊富な買取実績にもとづく無料査定で 少しでも高く、お客様の満足する価格で買取いたします。
加藤卓男 ラスター彩人物唐草文鉢
加藤卓男の買取査定ポイント
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.作品が、本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.加藤卓男の作品は、当店が真贋を拝見させていただき、判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。
Q.加藤卓男の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。
Q.加藤卓男の作品は画像で査定して頂けますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただきます。
Q.加藤卓男の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
加藤卓男 略歴
1917(大正6)年9月12日生まれ、江戸時代から続く美濃焼窯元五代目加藤幸兵衛の長男として、岐阜県土岐郡市之倉村(現、多治見市市之倉町)に生まれます。
1935(昭和10)年岐阜県立多治見工業学校(現、多治見工業高等学校)を卒業後、京都の商工省陶磁器試験所に入所します。
1937年同試験所終業後、帰郷し家業の福寿園丸幸製陶所(現、幸兵衛窯)に勤務します。
1938年より従軍。転属先の広島市で残留放射能により被爆。その後10年ほど入退院を繰り返す生活を余儀なくされました。
1954年第10回日展に「黒地緑彩草花文花瓶」を出品し初入選します。
1961年陶磁器意匠と技術の交換のため、フィンランド工芸美術学校に留学。この間、休暇を利用してはじめて中東各地の陶器の産地を訪れ、そこで古代ペルシア陶器の美に触れる。帰国後は本格的にペルシア陶、なかでもラスター彩の研究を志すようになりました。
1963年第6回新日展に出品した「花器 碧い山」が特選北斗賞を受賞します。
1964年には第3回日本現代工芸美術展で「流」が現代工芸賞を受賞します。
1965年第8回日展で「油滴花器 煌」が再び北斗賞を受賞。作家活動の一方で続けていたペルシア陶研究の成果は、昭和50年代に自身のラスター彩作品として結実。ラスター彩とともに同じペルシア系統の青釉にも取り組み、独創的なフォルムと鮮やかな青色が融合した作品を制作しました。
1980年には宮内庁正倉院事務所より正倉院三彩の「三彩鼓胴」と「二彩鉢」の復元制作を委嘱され、約7年間におよぶ研究と試作を経て復元に成功する。この経験と技術を生かし、自身の創意による三彩の仕事にも取り組みました。
1988年紫綬褒章受章。
1995(平成7)年重要無形文化財「三彩」の保持者に認定されました。ペルシア陶に魅せられ、研究のため訪れた中東の古窯址発掘現場で、織部に似た陶片を発見して以来、加藤は、ペルシアから日本へと広がる壮大なやきものの技術交流と発展史へと興味を広げました。しかし、古代のペルシア陶の技法を解明、再現することにとどまらず、作家として、古陶磁研究を自己の表現の手段として昇華させ、清新な現代の陶芸を創造した点で高く評価されます。朝日陶芸展をはじめとして国際的なコンペティションでたびたび審査員を務め、陶芸界のリーダー的存在として果たした役割も大きいです。トルコ、イスタンブールの国立トプカプ宮殿博物館(1986年)をはじめ国内外で開催した個展多数。
2002年4月1日から30日まで『日本経済新聞』に「私の履歴書」を連載(『砂漠が誘う―ラスター彩遊記』日本経済新聞社、2002年加筆所収)、作品集に『ラスター彩陶 加藤卓男作品集』(小学館、1982年)がある。没後、岐阜県現代陶芸美術館で回顧展「加藤卓男の陶芸展―陶のシルクロード」(2006年)が開催されました。
2005年(平成17年)1月11日、87歳没。故人として第五回織部賞特別賞を受賞。卓男は、1月11日午前11時45分、肺炎のため岐阜県多治見市の病院で死去しました。享年87。
加藤卓男最 正倉院復元三彩貼花文花入 最晩年の作品
加藤卓男の中で最も代表的かつ重要無形文化財保持者にも認定された三彩の作品です。遥か遠くシルクロードに想いを馳せ異国を感じさせるような鮮やかな発色が抜群に美しく、花を入れる花瓶というよりもこれだけで芸術品として堂々とした作品といえます。
加藤卓男の買取り査定
加藤卓男の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
加藤卓男先生はラスター彩と三彩が査定価格が一番高いです。10万円から60万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと3万前後になります。板皿などは大きい割に査定価格は低いです。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。釉薬の華やかな、色目の良い作品の査定価格が、上がる傾向にあります。加藤卓男展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
加藤卓男先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ加藤卓男の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
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2024年10月16日
鈴木蔵の作品を買取り致します。北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
北岡技芳堂は、陶芸家 鈴木蔵先生作品を鑑定・買取りを強化中です。
鈴木蔵の作品に精通した専門の鑑定士が丁寧に査定致します。もし鈴木蔵の作品をお持ちでしたら、ぜひ北岡技芳堂にご相談下さい。
先代様の鈴木蔵のコレクションやご自身が蒐集されました作品、または譲り受けた鈴木蔵の作品、志埜(志野)などの陶芸作品を、遺品整理、生前整理、コレクションの整理、お引越し、リフォーム、片付けなど、ご所蔵の鈴木蔵の作品を正当な評価で売却したい方、後悔しないように、当店にご相談下さい。 誠意を持って、ご要望に沿うよう、高価買取をさせて頂きます。 出張買取のご希望の方は事情をお聞かせいただきご訪問させていただきます。
鈴木蔵 志野茶碗
「志野には日本人の美意識の独自さと素晴らしさがある」と語る鈴木藏。作品を作るなら「新しくて、力強いもの」という姿勢を崩さず、古来の日本人の感性を現代の作品へと表現しています。
略歴 鈴木蔵(すずきおさむ)
1934年生まれ、美濃焼の産地として知られる岐阜県土岐市駄知町にて、釉薬の研究者であり岐阜県の陶磁器試験場の技師でもある鈴木通雄の長男として生まれます。
1953年(昭和28年)、岐阜県立多治見工業高等学校窯業科を卒業後、父・通雄が技術部長を任されていた丸幸陶苑試験室(幸兵衛窯関連会社の一般生活陶器製造会社)に入社します。窯業開発研究室の助手として働きながら陶土や釉薬などについて学び、陶芸の基礎的な知識を本格的に身につけます。さらに、五代目加藤幸兵衛(加藤卓男の父)から作陶の教え受け、荒川豊蔵や加藤土師萌などに師事するなど制作にも励みました。志野焼や織部焼への関心が高く、大平、大萱、九尻にある桃山時代の古窯跡を探索してその制作技法を研究しました。
1959年(昭和34年)に初出品した現代日本陶芸展にて佳作を受賞します。
1962年(昭和37)チェコ国際陶芸展でグランプリを受賞するなどの功績をあげます。
1968年(昭和43年)に独立。桃山時代の半地下式穴窯を研究した成果を取り入れた独自のガス窯を築いて焼成方法を研究するなど、現代的な技術を用いた新たな志野焼の開発に取り組みます。
1982年(昭和57年)には日本陶磁協会金賞を受賞します。
1987年(昭和62年)には芸術選奨文部大臣賞を獲得します。
1994年(平成6年)6月27日に重要無形文化財(人間国宝)「志野」保持者に認定されます。
1995年(平成7)に紫綬褒章を受章します。
2006年(平成18年)4月に旭日中綬章を受章します。
鈴木蔵の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.鈴木蔵の作品は、当店が真贋を拝見させていただき、判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。
Q.鈴木蔵の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。
Q.鈴木蔵の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただきます。
Q.鈴木蔵の作品ではありませんが買取りしていたかけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
鈴木蔵 志野茶碗
「志野は日本で生まれた独特の創作であり、日本人の感性、美意識といった最も基本的なすべてが凝縮されている」。鈴木蔵のこの言葉は、志野の本質を突くものであり、簡潔な表現の背景には、半世紀にわたる伝統との対峙があり、積み重ねた思いを凝縮した深みがあります。
鈴木蔵の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させいただいてております。
3.鈴木蔵作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせていただきます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
鈴木蔵 査定価格におけるポイント
鈴木蔵の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
鈴木蔵先生はお抹茶茶碗が一番高値の査定価格が出来ます。30万円から70万円ぐらいの買取相場です。
ぐい呑みですと10万前後になります。板皿などは大きい割に査定価格は低いです。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。釉薬の赤が華やかな作品の査定価格が、上がる傾向にあります。鈴木蔵展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
鈴木蔵先生の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ鈴木蔵の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
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2024年10月15日
中里太郎右衛門の作品を買取り致します。 北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
中里太郎右衛門の陶芸作品を鑑定させて頂き、高価買取致します。
ご所蔵の中里太郎右衛門の売却を検討されておりましたら鑑定させて頂き、査定を致しまして、高価買取致します。 特に12代 中里太郎右衛門(無庵)13代中里太郎右衛門(逢庵)の陶芸作品を買取り致します。その中でも川喜田半泥子と交流のあった中里無庵の茶碗は特別に高価買取が可能となります。
中里太郎右衛門の歴史
現代に古唐津を蘇らせた伝統ある窯元 中里家の始まりは今から約400年前、江戸時代初期に遡ります。 当時陶工をしていた中里又七(のちの初代・中里太郎右衛門)が窯を開き、作陶に従事したことから始まりました。 しばらくは藩からの保護を受けていた唐津焼ですが、1734年から幕末にかけて、将軍家および高家への献上品としてのみ焼くことが許されるようになります。 この「献上唐津」により、多くの窯が閉鎖します。中里家のみが古唐津を伝承する形になりました。 このような経緯によって一時は途絶えてしまった古唐津ですが、1927年に12代目・中里太郎右衛門を襲名した中里無庵の働きにより、再び息を吹き返すことになります。 中里無庵は佐賀県や長崎県の唐津窯跡を調査することで、古唐津の技法を研究し、復興させました。また、唐津焼特有の「叩き技法」を用いて、従来と異なる新たな作風も生み出しています。 こうして現代に蘇った古唐津の技法は、13代目太朗右衛門、14代目太朗右衛門へと代々受け継がれ、現在に至ります。
中里無庵 茶碗
箱書きは太郎右衛門と書いてあるより無庵の箱書きのが高値で買取りできます。
中里太郎右衛門の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.中里太郎右衛門の作品は、当店が真贋を拝見させていただき、判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。
Q.中里太郎右衛門の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせて頂き、買取りさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが査定は低くなります。
Q.中里太郎右衛門の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただきます。
Q.陶芸作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
中里太郎右衛門の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営にコストを削減しておりますので高価買取させていただいております。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させいただいてております。
3.独自販売戦略があり、専門知識とデータにて適正価格にて買取りさせていただきます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
10年前に中里太朗右衛門窯に行った時の写真です。
初代 中里又七 生没年不詳初代中里又七は肥前国唐津藩の御用焼物師の陶家です。
1720年(享保5)に5代中里喜平次が記した古文書(中里家蔵)によれば、 同じ高麗人の矢作や彦右衛門達と文禄年間1592年~1596年に伊万里市に「田代窯」を開窯した後、 大川原窯に移って岸岳直系の古唐津を焼成しました。 又七達が唐津藩主・寺沢志摩守広高の御用窯に任ぜられたのは1615年(元和元)とされ、 椎ノ峰窯へ移って寺澤氏の御用焼物師を務めました。
2代 中里太郎右衛門 生没年不詳
3代 中里甚右衛門 生年不詳~1703年(元禄16)
4代 中里太郎右衛門 生年不詳~1744年(延享元)
5代 中里喜平次 1691年(元禄4)~1757年(宝暦7)
6代 中里太郎右衛門 生年不詳~1786年(天明6)
7代 中里陶司 生年不詳~1823年(文政6)
8代 中里尚徳 生年不詳~1827年(文政10)
9代 中里太郎右衛門 生年不詳~1872年(明治5)
10代 中里一陶 生年不詳~1879年(明治12)
11代 中里太郎右衛門 1854年(安政元)~1924年(大正13)
11代中里太郎右衛門は捻り細工を専門としており、 猿、虎、牛、達磨、柿本人麻呂等の陶彫が残されています。 「からつ天祐作」の銘が多いです。
中里太朗右衛門窯
中里太郎右衛門窯の工房敷地内には、五代中里喜平次が築窯した「国指定史跡 唐人町御茶盌窯」があり、見学することができます。
12代 中里太郎右衛門(無庵) 1895年(明治28)~1985年(昭和60)
本名を中里重雄といいます。 代々当主が受け継ぐ名称が 中里太郎右衛門です。 そのため、中里無庵は隠居してから名乗るようになった名称です。 11代の次男として生まれた中里無庵は有田工業学校を卒業すると唐津窯業株式会社や唐津煉瓦株式会社で技師として勤務しながら基本的な陶技を習得していきました。 長男が家督を継がずに別の道へと進んだため、家を継承する事になり、材木商・無津呂家の養嗣子となっていましたが、父親が亡くなると12代を継承しました。 12代となってからは藩政の時代から使用してきた御茶碗窯を再建して新しく倒焔式石炭窯を築き、古唐津窯跡の発掘調査を行い、長らく途絶えていた古唐津の叩きの技法を完成させるなど功績を残しています。 こうして桃山時代の素朴で力強い作風に魅了された中里無庵は、日本陶磁上の歴史にも名を残した唐津焼の第一人者として知られるようになり、今日における唐津焼の隆盛の功績によって唐津無形文化財や重要無形文化財「唐津焼」保持者の認定を受けるまでになります。 主に茶陶を中心に制作を行っており、叩きの技法を駆使した壷や大花瓶などは高く評価され、彫塑的な表現に優れた獅子置物などにも秀作を残しています。 1959年には京都大徳寺にて得度して号「無庵」を拝領すると長男・忠夫に家督を譲り、以後は独自の作陶に没頭しました。
中里無庵 朝鮮唐津一重口水指
昭和2年に十二代太郎右衛門を継ぎ、昭和44年には大徳寺で得度し無庵の号を受け、太郎右衛門を息子に譲った後に「無庵」を隠居名とした。
13代 中里太郎右衛門(逢庵)1923年(大正12年)5月31日〜2009年(平成21年)
日本芸術院会員。本名中里忠夫。日本工匠会会長。国際陶芸アカデミー会員。中里無庵の長男であり、弟の中里重利、中里隆も陶芸家、自身の長男忠寛もまた14代中里太郎右衛門です。 進学に際しては後の作陶力向上のため絵画能力を重視した父無庵の意見により佐賀県立唐津中学校を経て美術学校である官立東京高等工芸学校工芸図案科に入学した経緯があります。 戦時中の1943年(昭和18年)には宮崎県の航空教育隊に入営、所属部隊が1945年5月に台湾の台北空港に展開、そのまま現地で終戦し1946年(昭和21年)まで台中で捕虜生活を経験しました。 古唐津再興を成した実父中里無庵の跡を継ぎ古唐津焼を研究し、その中でも「叩き」の技法を基本として独自の作風を築きました。しかしながら父より受け継いだ古唐津スタイルの伝統を堅持しつつも芸術性の高いモダンな唐津焼を求めました。 また作陶の傍らで唐津焼の起源を精力的に研究したことでも知られており、東南アジアなどを踏査した研究成果を多くの著作論文にまとめ積極的に発表し、2004年には提出した博士論文「唐津焼の研究」が京都造形芸術大学に認められ博士号を取得しました。
中里逢庵 唐津三島掻落し辰砂魚文偏壺
中里太朗右衛門の鑑定買取り評価
中里太朗右衛門の概要 日本の陶芸家で、特に美しい茶碗や器などの陶芸作品で知られています。また、彼の作品は茶道に関連するものが多く、その美術的価値は高く評価されています。 中里太朗右衛門の作品は、その独自のスタイルと希少性から、美術市場でも人気があり、コレクターの間で高い評価を受けています。
中里太朗右衛門の買取の査定プロセス
買取の際は、まず専門の鑑定士が作品の状態、年代、(落款)の有無、来歴などを評価します。特に有名な茶碗や、展覧会で展示されたことのあるもの作品などは、より高い査定額が期待できます。 市場価値 中里太朗右衛門の作品は、美術オークションや個人コレクター間での取引が盛んです。市場の動向や、最近の取引例を参考にしつつ、適正な価格を提案することができます。
作品の状態
陶芸作品は保存が価値に大きく影響します。欠損やひび割れの状態、修復の跡などにも価格に影響しますので、状態が良好な作品である事は、より高額での取引が可能です。
買取の流れ
まずは作品の写真や詳細を送って頂くか、直接査定をさせていただきます。作品の箱や付属品の写真もありますと詳しくご説明できます。
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美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただきます。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
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2024年10月14日
三輪休雪の作品を買取りいたします。北岡技芳堂の骨董品買取りブログ
お持ちの三輪休雪の陶芸作品を、大切にしてくださる次のお客様へ橋渡し致します。高価買取りさせて頂きます。
三輪休雪は、近代陶芸の重要な人物であり高い人気があります。北岡技芳堂では三輪休雪の作品を高く評価して買い取りしています。 特に三輪休雪を代表する作品は高価買取いたします。 三輪休雪は萩焼独特の品格をもつ優れた作品を制作しております。
萩焼の代表的な作家で、しかも歴史も古く、茶碗を中心に水差や茶入などの作陶作品があります。
三輪休雪(みわ きゅうせつ)とは、山口県萩市の萩焼窯元・三輪窯の当主が代々襲名している名跡です。三輪窯は、江戸時代寛文年間に起こったと言われ、代々坂高麗左衛門の坂窯と共に萩藩の御用窯を務めていた由緒ある窯元です。 10代、11代の三輪休雪は、重要無形文化財「萩焼」の保持者です。
10代三輪休雪の茶碗
10代休雪の功績として「休雪白」と呼ばれる白萩釉を生み出した事にあります。休雪白は通常の白萩釉に比べ、焼き上がり時に降り積もる雪のようなふくよかな仕上がりになります。
三輪休雪の買取でよくある質問
Q.1点でも買取りしていただけますか?
A.1点でも買取り可能ですが品物により、出張買取が難しい場合もありますので、一度ご相談ください。
Q.本物か偽物か分かりませんが買取りしていただけますか?
A.三輪休雪の作品は、当店が真贋を拝見させていただき、判断させていただきますので一度お問い合わせ下さい。ラインやメールで先ずは画像を送ってください。
Q.三輪休雪の作品以外にも陶器などがあり運べませんので出張買取りしていただけますか?
A.もちろん出張鑑定をさせていただき買取りさせていただきます。
Q.箱や箱書きが無いのですが買取りしてもらえますか?
A.共箱が無くても買取りは可能ですが買取り価格は低くなります。
Q.三輪休雪の作品は画像で査定していただけますか?
A.画像で判断できる品もありますが、簡易査定となります。画像査定が難しい場合は実際に作品を拝見させていただきます。
Q.三輪休雪の作品ではありませんが買取りしていただけますか?
A.陶芸作品でなくても絵画や骨董品など様々な物が買取り対象となります。
初代舜陶軒休雪
1630(寛永7)年~1705(宝永2)年 初代舜陶軒休雪は赤穴内蔵之助の子として生まれました。 本名を忠兵衛利定、号を休雪・普入といいます。 祖父は文禄・慶長の役の際に毛利一門の宍戸元続によって召致されてきた渡来陶工で、 石見国(島根県西部)で陶業を営んでいましたが、 毛利輝元の萩入封に際して蔵之助は萩に移住して小丸山に築窯したとされています。
1663(寛文3)年に佐伯家と共に萩藩の御雇細工人として召し抱えられました。
1682(天和2)年に初代佐伯半六が死去して2代となる子が幼少の為、 藩命により無田ヶ原の佐伯窯を継承して現在に至るまで陶業を続けています。 三輪家が佐伯窯を継承した事で2代佐伯半六は松本御用窯(松本萩)に従事しましたが、 3代佐伯半六の時に大釜という地に築窯して独立しました。 3代佐伯半六は赤川助右衛門の孫・赤川四郎右衛門の次男として生まれます。坂家の養子から佐伯家の養子となりましたが、
1700(元禄13)年、3代藩主・毛利綱広の命で京都に赴いて樂家の樂吉左衛門で技法を伝習しました。 李朝陶技に樂焼を導入するという萩焼技術史上において画期的な事項となりました。 以後、三輪家では代々藩主の求めに応じて樂焼も制作されました。
2代 弥兵衛利成 生年不詳~1728(享保13)年 2代弥兵衛利成は初代三輪休雪の三男として生まれました。
1745(延享2)年に佐伯家の先祖である「林姓」に改姓して「林半六」と名乗りました。
3代 忠兵衛利以 生年不詳~1729(享保14)年 3代忠兵衛利以は初代三輪休雪の長男として生まれました。
4代 休雪利之 生年不詳~1764(明和元)年 4代休雪利之は3代忠兵衛利以の養子となりました。 1744(延享元)年、藩命で初代三輪休雪に続いて京都の樂家で技法を伝習しました。
5代 勘七利近 生年不詳~1803(享和3)年
1817(文化14)年の6代林半六の時に子息出奔の咎によって林家は断絶しました。
6代 両蔵利武 生年不詳~1845(弘化2)年
7代源太左衛門利興 生年不詳~1865(慶応元)年
8代 雪山泥介 1840(天保11)年~1921(大正10)年 8代雪山泥介は本名を陶蔵、泥介とも名乗りました。 1865(慶応元)年、三輪家8代を襲名しました。 青年時代は高杉晋作の率いた奇兵隊に身を投じた程の客気でしたが、 健康上から国事を諦めて家業に復帰しました。 磁器製造の技術もあったとされ、東光寺焼等の他窯指導も行っています。 幕末から明治にかけての激動期に活躍した名工として知られており、 10代三輪休雪の指導も行いました。
9代三輪雪堂(雪山の子 ?~1927年)
10代三輪休和(本名邦廣、第9代雪堂の次男、人間国宝 1927年~1967年)
11代三輪壽雪(本名節夫、第9代雪堂の三男、人間国宝 1967年~2003年)
11代三輪休雪の茶碗
10代休和、11代寿雪共に川喜田半泥子と親しく共に三重県津市の千歳山まで何度も訪れたみたいです。
12代三輪龍氣生(本名龍作、第11代壽雪の長男 2003年~2019年)
13代三輪休雪(当代、本名和彦、第11代壽雪の三男 2019年~)
現在も続き当代も現在もご活躍されております。
12代 三輪休雪は、11代 三輪壽雪の長男として生まれました。本名は龍作。号は休雪といいます。 「萩焼」の人間国宝となった伯父の休和(10代休雪)と父の作陶姿を小さい頃から見て萩焼固有の技法に親しんでいました。 1967年、東京藝術大学大学院修了展に処女作であるオブジェ陶のハイヒールを「花子の優雅な生活」と題して発表しました。 1974年、山口県萩市椿東上野に築窯しました。 1980年茶陶制作を開始し、1992年に黒陶に色彩を加えた技法「黒陶彩」を発表。 2003年に12代三輪休雪を襲名します。 休雪は、萩焼の伝統的要素を取り入れつつ、自己の感覚を交え制作活動を繰り広げました。
12代 三輪休雪の水差
13代三輪休雪は、1951年、山口県萩市に十一代三輪休雪(壽雪)の三男として生まれる。1975年に米サンフランシスコ・アート・インスティテュートに留学。1981年に帰国後、「不走庵 三輪窯」において作陶に入る。萩焼の概念を打ち破る独創的な表現が常に注目を集めてきた。2019年、十三代三輪休雪を襲名します。
13代 三輪休雪《エル キャピタン 茶碗》2020年
13代三輪休雪になるとどうやってお茶を飲むのだろうと考えてしまいますが・・・・
先代、先先代の真似をしても仕方がありません。
しかし、迫力がありますね!
北岡技芳堂では、三輪休雪の作品の鑑定、査定、買取りを行っております。
当店では、歴代の三輪休雪の萩焼作品を、確かな鑑定と丁寧な査定を行い、お客様にご満足いただける高価買取をさせて頂いております。
以下に、買取の流れと査定・査定についてご説明させていただきます。
1. 無料査定・鑑定のご依頼
三輪休雪の作品の査定・鑑定を無料で承ります。お電話での簡易査定、写真で詳細情報をメールで送信していただくか、直接店舗にお持ちください。場合によって出張査定をさせて頂きます。
2. 専門家による評価と査定
専門家が、作品の状態や制作された時代、箱書きの署名、真贋を確認させて頂きます。その上で現金で買取りを行います。
三輪休雪の買取で当社が選ばれる理由
1.当社は人件費や運営のコストを削減しておりますので、その分高価買取が可能になります。
2.創業昭和25年より、秘密厳守にて買取させ頂いております。
3.三輪休雪の作品のオークションデータに基づいて適正価格で買取りさせて頂きます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.従業員ではなく、店主自らが鑑定に伺わせていただきます。
三輪休雪 査定価格におけるポイント
三輪休雪の作品は同じ様な作品であっても、査定額は大きく異なってきます。
幾つか要素を挙げますのでご参考にして下さい。
作品の種類
三輪休雪の作品は窯で出来る景色が重要で景色が鮮やかで綺麗な作品に高値の査定価格がつきます。
11代、12代、13代三輪休雪の作品が人気があります。
10万円から30万円ぐらいの買取相場です。ぐい呑みですと110万前後になります。
初期の作品は査定価格が低くなります。
鬼萩茶碗が高価格になる傾向にあります80万円の高値が付いたこともあります。
保存状態
茶碗などは使いすぎると汚れてしまい査定価格が下がります。箱が汚れているのも査定価格が下がります。
作品の出来・不出来
三輪休雪の作品は焼き上がりの景色を重要とします。上がりが良い作品と上がりが悪い作品があります。
三輪休雪展などの展示会での掲載作品であると高い評価が出来ます。
制作年代
三輪休雪の作品は、初期の作品よりも後期の作品の方が査定価格が上がる傾向にあります。
※このように同じ三輪休雪の作品でも、様々な要素により査定額は異なります。 また、相場(業者間での流通価格)も変動します。
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弊店は販売をする店舗だからこそあらゆる骨董品が高価買取を可能にします。
美術品の売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を賜ります。
どうしたら良いか分からなかったり、ご売却を迷われている方がが多いと思いますが、どのようなことでも北岡技芳堂にお任せください。
裁判所にも有効な書類を作成させていただく事も出来ます。
北岡技芳堂では骨董品の他にも、絵画や貴金属、宝石、趣味のコレクションなど様々なジャンルのものを買受しております。
出張買取も行っております。愛知県、三重県、岐阜県、静岡県その他の県へも出張させていただく。
まずは、お電話にてお気軽にお問い合わせくださいませ。
骨董品の買取【北岡技芳堂 名古屋店】
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