2014年2月16日
李登輝さんの言葉
李登輝
指導者は孤独に耐えよ
本物の指導者は常に孤独だ。
国家のためにつくしていても、反対勢力やメディアから批判される。
孤独にたえるには、強い信仰が必要だ。
それが、あらゆる困難を乗り越える原動力になる。
途中略
私はもともと学者だから、権力もお金もなかった。
そういう人間が改革をやろうとしたものだから、困難ばかりで、夜も眠られなかった。
国内では既得権者と闘い、対外的には大陸中国との問題があった。
そうした困難な事態に直面したとき、私は必ず聖書を手にした。
まず、神に祈り、それから聖書を適当に開いて、指差したところを読み、自分なりに解釈して神の教えを引き出そうとした。
自分を超えた高みに神が存在していて助けてくれる。
そのような信仰が、一国の運命を左右する孤独な戦いに臨む指導者をささえてくれる大きな力となる。
ウエッジ2014年2月号より
2月9日東京行きの新幹線のなかで
2014年2月13日
古い棚に美術品を飾りました。
上 北大路魯山人 刷毛目 大吉祥文 鉢
胎土は鼠色で粗いため白土を毛の強い刷毛で一気に刷きその上に釉薬を施して焼成したもので、刷毛痕が明瞭に残っています。李朝時代の刷毛目鉢を魯山人が写した作品です。
下 李朝瑠璃釉徳利 18世紀
李朝分院窯の瑠璃は伊万里焼の瑠璃とは、釉調も造形も異なる趣があります。技術的に完璧な伊万里焼に対して、分院窯のそれは技術を超越し、そこはかとない風韻が漂っています。この徳利に見る通り、あたかも染付ではないかと思われるような施釉が、独特の暈しによって余韻を生み出しています。
2014年2月12日
絹谷幸二の黄金富岳旭日
絹谷 幸二(きぬたに こうじ)は、日本の洋画家。日本芸術院会員、独立美術協会会員、東京芸術大学名誉教授、大阪芸術大学教授、日本美術家連盟理事。
純然とした空の青を背景に、限定された形の中に明るく躍動的な色彩で描かれた人物などが特徴とされる。アフレスコという壁画技法の国内第一人者でもある。
奈良県奈良市に生まれる。奈良県立奈良高等学校、東京芸術大学美術学部油絵専攻卒
1966年小磯良平教室。卒業制作で大橋賞受賞。
小学校一年生の頃から油絵を習い始める。芸大卒業後
1971年にイタリアへ留学、ヴェネツィアでアフレスコ古典画(フレスコ画のことで、本人は必ずアフレスコと〝ア〟をつける)の技法を研究する。
1974年安井賞展安井賞受賞、若手洋画家として期待される。その後メキシコ留学などを経て、
1993年東京芸術大学教授に就任、後進を育てる。また、NHKの日曜美術館によく出演する。アフレスコ絵画技法の地方公演なども行っている。
2000年に芸術院会員となる。新作個展は様々な全国有名百貨店にて開催されている。
2008年に35歳以下の若手芸術家を顕彰する絹谷幸二賞を毎日新聞社主催にて創設。
2010年に東京芸術大学名誉教授に就任。
2014年2月11日
隠崎隆一のオブジェ
隠崎隆一 (かくれざきりゅういち)
長崎県で生まれた陶芸家です。大学卒業後はグラフィックデザイナーとして働いていましたが、平面から立体への変化を求めて陶芸家になることを決意しました。
はじめは備前焼作家・岩本修一に師事し、備前陶芸センターで陶芸の基礎を学び、人間国宝である伊勢崎淳に師事して陶技を更に磨きます。
独立して登り窯を築くと様々な展覧会で入選、受賞を繰り返し、個展を中心に作品を発表しています。
「工芸」にこだわり、機能性と造形美を併せ持った作品作りを追求しており、伝統の技術を用いて新しいものを作り続けています。
その一環としてオブジェの制作も行っております。
陶歴
1950年 長崎県に生まれる
1973年 大阪芸術大学を卒業する
1988年 田部美術館「茶の湯の造形展」大賞受賞
1995年 第8回MOA岡田茂吉賞優秀賞受賞
1996年 日本陶磁協会賞受賞
2004年 「備前焼の魅力―伝統と創造―展」出品
2014年2月11日
棟方志功 梔子妃の柵
棟方志功
梔子妃の柵
大変な近視の為に眼鏡が板に付く程に顔を近づけ、軍艦マーチを口ずさみながら板画を彫った。第二次世界大戦中、富山県に疎開して浄土真宗にふれ、『阿弥陀如来像』『蓮如上人の柵』『御二河白道之柵』『我建超世願』『必至無上道』など仏を題材にした作品が特に有名である。
「いままでの自分が持っている一ツの自力の世界、自分というものは自分の力で仕事をするとうようなことからいや、自分というものは小さいことだ。自分というものは、なんという無力なものか。何でもないほどの小さいものだという在り方自分から物が生まれたほど小さいものはない。そういうようなことをこの真宗の教義から教わったような気がします」 と言っている。