買取実績

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伊東深水 花鳥画

掛軸

伊東深水 
花鳥画

買取地区:
一宮市
買取方法:
出張買取

買取価格¥80,000

伊東深水(いとう しんすい)の花鳥画の掛軸を買取いたしました。美人画が有名ですので、花鳥画は珍しいかもしれませんね。深水は一般に美人画家とされていますが、初期は社会の下層階級に注目した労働者や乞食、新聞配達などを対象とした秀れた作品を描いています。また木版画での足跡も大きく、肖像画や時代を反映した風俗画にも意欲を示しています。風景画に対しても生涯にわたり強い関心を寄せており、眼前の光景を的確にとらえる巧みな筆線も、大きな魅力の一つとなっています。

伊東深水は、1898年に東京深川に生れます。間もなくして伊東半三郎・まさ夫妻の養子となります。しかし、1907年に養父の事業が失敗したため小学校を3年で中退し、家計を助けるために幼くして看板屋で働き始めました。

翌年、11才の時に東京印刷活版部へ職工として入り、日本画家の中山秋湖に日本画を学びました。1911年には同所意匠部に転じ、図案部門の顧問であった日本画家・結城素明に画才を認められ、1911年に鏑木清方に入門します。この時、生地の深川と師の清方に因んで、深水の号を清方から与えられました。

1912年、「のどか」を明治時代に結成された日本の美術団体・巽画会に出品、初入選となります。翌年の巽画会では、「無花果の蔭」で一等褒状となり、1914年の再興第1回日本美術院展に入選したのを機に印刷会社を辞め、新聞小説の挿絵を描く傍ら本格的に日本画を描き始めます。

また、この頃から実業補習夜学校に入学し、中等科の過程を修了しました。当時、養父の事業失敗から生活は貧窮していたため、日中の勤務後に夜学に通い、夜中に絵を描くという酷しい日課が繰り返されていました。過酷な日々を乗り切れたのは、深水の恵まれた天分に加えて、大変な努力家であったからかもしれません。

1915年、清方門下からなる郷土会結成に参加します。翌年には、新版画運動を牽引した新世代の版元・渡辺正三郎に見出され、最初の版画作品《対鏡》を制作、続けて美人シリーズを版行したほか《近江八景》など風景画にも佳作を残しました。

1916年の再興美術院第3回展に大島で取材の「乳しぼる家」が入選ますが、この頃から大正末年にかけては、新聞雑誌の挿絵や口絵版画等の仕事に携わり、展覧会への出品はみられません。現在では、芸術性を高く評価される江戸時代の浮世絵ですが、明治期以降は石版画や写真の広まりとともに伝統的な版画は下火となりました。

このような中、大正期から昭和初期にかけて、主に二つの方向から版画再興の動きが出てきます。時刻自摺を主張する「創作版画」運動と、渡辺庄三郎を版元とする「新版画」運動です。

「創作版画」は、作家自らが自画・自刻・自摺により版画を生み出そうというものです。江戸以来の版画の伝統において三者分業で行われていた作業を、全て作家自身が行うことで、作者の個性をより自由に表現することを目指しました。個人主義や自我の尊重といった大正期に浸透しつつあった考えを背景に、盛り上がった動きといえるかもしれません。

もう一つは「新版画」運動です。こちらは伝統的な絵師・彫師・摺師の分業体制を保持しつつ、絵師と職人の協同により新作版画の制作を行うというものです。新版画の中心となった渡辺版画店は関東大震災による版木の紛失など困難にも見舞われましたが、多くの海外顧客を獲得するなど商業的成功を収めました。深水は、橋口五葉、川瀬巴水らと明快で情緒ある魅力的版画の数々をつくり、別の流れを形成しました。深水の木版画における足跡は大きく、戦後も特大判の木版画を製作したりと版画界でも貴重な存在でありました。

1919年に永井好子と結婚し、二人の息子を授かりました。好子夫人をテーマとした作品も多くありますね。公私ともに順調と思われましたが、1935年に料亭「勝田」の女将・勝田麻起子との間に娘(朝丘雪路)が生まれたことで世間を賑わせます。深水が娘を溺愛していたことも有名な話かもしれません。

1922年平和博覧会出品の「指」、同13年清方塾展出品の「湯気」は好子夫人をモデルにしており、色白で豊かな姿態の新妻を情感あるれる趣に表現したもので、これらの作品により人気を博して美人画での名声を得ていきます。深水には色々な画題を描きたいという願望があったようですが、美人画への反響があまりにも大きかったため、他の作品の注文が全く来なかったといいます。後年の深水式美人画は、一般的にこの作品によって方向づけられたと言われています。

昭和になってからは、第8回帝展で歌川派浮世絵の流れを汲む美人画や同時代を生きる女性たちをモデルとしたモダンな風俗画「羽子の音」を描き特選となり、美術界の評価のみならず広く大衆の人気を博しました。翌年に無鑑査となり、1933年第14回帝展では審査員となりました。山川秀峰、寺島紫明とともに清方門の三羽烏と称され、帝展や文展で活躍します。審査員をつとめながら毎年大作を発表ましたが、戦後は活動の場を日展に移しました。

1946年第2回日展「銀河祭り」、翌3回展「鏡」は古典的主題で、現代風俗の多い作域の中で珍しい傾向を示しました。1958年日本芸術院会員となります。主たる発表の場である官展のほか、1930年には朗峯画塾を主催し後進の育成にあたり、毎年展覧会を開催しました。

1940年には清方の同門である山川秀峰と人物画の研究団体として青衿会を結成し、人物画の発展につとめました。しかし、戦後は青衿会と児玉希望の画塾である国風会とが発展的解消を遂げ、両者併せて新らたに日月社が結成され、その顧問となりました。深水はこのような活動の他に個展も多く開催し、街の展観にも応ずるなど、極めて精力的に活動をしたため作品も数多く残されています。

1972年5月8日、膀胱がんのため東京信濃町の慶応病院で亡くなりました。深水は74歳で生涯を閉じるまで、多くの名作を生み続けました。また江戸の浮世絵の伝統を受け継ぎ、女性の美しさを創出する日本画家として、日本の近代美術史に大きな功績を残しました。

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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。

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