買取実績

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藤田嗣治「母と娘」リトグラフ

版画

藤田嗣治
「母と娘」リトグラフ

買取地区:
名古屋市内
買取方法:
出張買取

買取価格¥50,000

藤田嗣治のリトグラフを買取いたしました。制作年は1964年で、フジタの作品の中でも人気の高い母子像です。作品全体がヤケてしまっておりましたので、今回の査定額とさせていただきました。お客様のお母様が気に入り、日当たりの良いリビングに長い間飾っていらしたとのこと、買取価格としては下がってしまいましたが、毎日眺めて楽しまれたご様子を伺うことができました。作品をご購入時に、毎日眺めたくてずっと飾っておきたいけれど劣化が心配、と仰るお客様もいらっしゃいます。大好きな作品が生活の中にあると、心も豊かになるような気がいたします。作品の変色や劣化を完全に防ぐのは難しいのですが、対策をすると進行の速度を遅らせることはできるかと思いますので、お気軽にご相談いただけますと幸いでございます。

藤田嗣治といいますと、おかっぱ頭に丸眼鏡、ちょびっと生えたヒゲに顔の横に猫を抱えている人、ひと目見れば誰もが心を奪われる魅力を持っている「乳白色の肌」など、思い浮かべるイメージは様々あるかと思います。

フジタは、1886年に東京府牛込区(現在の東京都新宿区)の医者の家に4人兄弟の末っ子として生まれました。父・藤田嗣章(つぐあきら)は、大学東校で医学を学んだ後、軍医として台湾や朝鮮などの外地衛生行政に携り、森鷗外の後任として最高位の陸軍軍医総監にまで昇進した人物です。兄弟には大学教授になった者もおり、エリート家庭に育ちました。父から医者か軍人になることを求められましたが、手紙で画家になりたい旨を伝えたところ、油絵具一式を買い与えられます。 すでに中学時代にはフランス語を学び、森鷗外の薦めもあり1905年に東京美術学校西洋画科(現・東京藝術大学美術学部)西洋学科に入学しました。しかし、当時の日本画壇は洋画家・黒田清輝らのグループにより性急な改革の真っ最中で、印象派や写実主義が主流だったため、フジタは高い評価を得ることができませんでした。1910年に卒業した後も、当時黒田清輝の支配下にあった文展に精力的に出品しましたが、黒田が完全に牛耳っていた文展において日の目を見ることはなく、出品作は全て入選することはありませんでした。

フジタはフランスに帰化した画家ですが、初めての渡仏は1913年26歳の夏のことでした。そこでパリのモンパルナスに居を構え、隣の部屋に住んでいて後に親友と呼んだアメデオ・モディリアーニやシャイム・スーティンらと知り合います。フジタは彼らを通じて、ジュール・パスキン、パブロ・ピカソ、オシップ・ザッキン、モイズ・キスリング、ジャン・コクトーらとも交流を持ちます。当時のモンパルナスは町外れの新興地でしたが、家賃の安さで芸術家、特に画家が多く暮らしていたそうです。イタリアやスペインなど各地から若い芸術家が集まり、カフェやアトリエで親交を深めていたいました。同じようにパリに来ていた川島理一郎、島崎藤村、薩摩治郎八、金子光晴、岡田謙三らの日本人ともフジタは出会っています。

パリでは、キュビズムやシュールレアリズムなどの新しい20世紀の絵画が登場しており、日本の黒田清輝流の印象派の絵こそが洋画だと教えられてきたフジタは大きな衝撃を受けます。フジタは自身の著書で「家に帰って先ず黒田清輝先生ご指定の絵の具箱を叩き付けました」と語っており、パリで出会った絵画の自由さや奔放さに魅せられ、今までの作風を全て放棄することを決意しました。その中で日本人画家として個性を発揮していきますが、パリでの生活を始めてわずか1年後の1914年に第一次世界大戦が勃発、日本からの送金が途絶えてしまい、しばらくは貧窮した生活を送ります。戦時下のパリでは絵が売れず、食事にも困り、寒さのあまりに描いた絵を燃やして暖を取ったこともあったそうです。そして、自分で整えられるということでおかっぱ頭にしました。

そのような生活が2年ほど続き、フランス領内に侵攻していたドイツ軍が守勢に転じて大戦が終局に向かい出した頃、初めてフジタの絵が7フランで売れました。最初の収入はわずかではありましたが、その後少しずつ作品が売れ始め、3か月後には初個展を開くまでになります。そこで著名な美術評論家・アンドレ・サルモンが序文を書き、良い評価を受け、作品が高値で売れるようになりました。翌1918年に第一次世界大戦が終結し、戦後の好景気に合わせて多くのパトロンがパリに集まって来ていましたが、この状況がフジタにとって追い風となっていきます。

マン・レイの恋人「モンパルナスのキキ」をモデルとした裸婦像で注目されるようになり、1921年にはサロン・ドートンヌの審査員として推薦されます。1922年に代表作のひとつ《裸婦》で一躍有名になります。フジタの日本の面相筆を使用した、線描を活かした独自の技法による「乳白色」という独特の画風は、パリの大衆に受け入れられます。エコール・ド・パリを代表する画家として認められ、サロンに作品を出す度に黒山の人だかりができたそうです。そのため、1920年代はフジタの黄金時代といわれています。

1932年に訪れた南米でも大歓迎を受け、アルゼンチンで個展を開催します。メキシコに滞在した後は日本に帰国し、1934に銀座・日動画廊で個展を開催、大成功となりました。その後フランスに戻りますが、1939年9月に第二次世界大戦が勃発、帰国を余儀なくされます。その後、太平洋戦争に突入した日本において陸軍美術協会理事長に就任することとなり、記録のための戦争画を制作するため、小磯良平らとともに従軍画家としてシンガポールや南方に派遣されました。

1945年8月に敗戦を迎えると、戦争画を描いたということに対してフジタを「戦争協力者」と批判するものが現れます。また、陸軍美術協会理事長という立場であったことから、一時はGHQからも聴取を受けるべく身を追われることとなります。こうした戦後の日本国内の情勢や、強い批判にさらされたフジタは1949年3月に日本を発ち、アメリカ、イギリスを経て1950年2月にパリに戻りました。しかし、傷心のフジタがフランスに戻ると、すでに多くの親友の画家たちはこの世を去るか亡命をしており、その上フランスのマスコミからも「亡霊」呼ばわりされてしまいます。そのような中にあっても、フジタはいくつもの作品を残しました。また再会したパブロ・ピカソは藤田を温かく迎え、その交友は晩年まで続きました。

1955年にはフランス国籍を取得し、1959年にカトリックの洗礼を受け、ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチにあやかり「レオナール(レオナルドのフランス語読み)・ツグハル・フジタ」という洗礼名を授かりました。以後、フジタが日本に帰ることはありませんでした。

1960年には、人と会うのを避けて制作に没頭するために、パリ近郊の農村へ夫人と移り住み、ここが終の棲家となりました。この頃、人生最後の仕事として、ランスで建設中だった礼拝堂が完成すると、その内部を飾るためのフレスコ画に着手していました。老体に鞭を打ちながら、朝から晩まで作業に集中していたそうです。日本と訣別したはずのフジタでしたが、晩年には何人かの日本人との交流もありました。

1966年8月31日にフレスコ画は完成し、それから3ヵ月後、フジタはパリの病院に入院、膀胱がんと診断されます。1968年1月29日、転院を重ねた末に入院していたスイス・チューリッヒのカンスピタル州立病院で死去、81歳でした。臨終には、君代夫人、画家の海老原喜之助、田淵安一、元パリ市会議員ジョルジュ・ブラジェが付き添っており、遺体はフランスに運ばれ、かつて洗礼を受けたランスの大聖堂で葬儀が行なわれました。

フジタは、独自の技法による表現でエコール・ド・パリを代表する芸術家として活躍し、国際的なスターとして成功しました。しかし時代や戦争に翻弄され、フランスに帰化して以来、日本に戻ることはありませんでした。乳白色のイメージが強いですが、別人が描いたのではと思うような作品もあり、多様性を併せ持っています。日本国内では、アーティゾン美術館、東京国立近代美術館、国立西洋美術館、ポーラ美術館、軽井沢安東美術館、平野政吉美術館などで作品をご覧いただくことができます。このような時代背景とともに追っていくと、さらにフジタの作品に近づくことができるかもしれません。

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※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。

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