買取実績

買取実績

安田老山 南画

掛軸

安田老山 南画掛軸

買取地区:
名古屋市内
買取方法:
店頭買取

買取価格¥40,000

安田老山(やすだろうざん)は、幕末から明治期にかけて活躍した文人画家です。高須藩医・安田春庵の子として、1830年に美濃国(岐阜県)養老に生まれます。養老山から名を養、号を老山としました。別号に万里翁があり、居所を水石艸堂と称しました。少壮時に詩書画を好み、長崎南画三筆のひとり鉄翁祖門に入門、画法を学んでいましたが破門されます。

1864年に中国に密航、上海の文人画家・胡公寿に師事し、中国各地の山川を跋渉しました。3年後に一時帰国、長崎に残してきた伊原愛(号は紅楓)を伴い、再び上海を訪れます。当時の上海で日本人画家夫婦として活動し、胡公寿や馮耕三ら当時の文人たちとも積極的な交流を行っていました。しかし紅楓は1872年に客死、長きにわたり上海に居留しましたが、1873年に帰国します。

帰国後は東京に住み活動しました。しかし無名のため生活に困窮し、再び渡清を企てていたところ、日下部鳴鶴・巌谷一六と出会い、その画才が見出されました。

奔放な画風が維新後の人士の気風に合い、老山派とよばれる画派を形成して一世を風靡します。東京を代表する存在となり、老山と奥原晴湖の大陸風の画は大いにもてはやされました。老山は同時代の清画をよく伝えたといわれ、東京画壇で活躍します。「盛名一時に昇り彼の絵を求むる人多く門前市をなす」とされるほどの人気でした。

しかし、その人気に便乗した模倣作家による芸術的創造性に乏しい南画作品の氾濫は、マスコミからの批判を招きました。またアーネスト・フェノロサに「つくね芋山水」と酷評され、老山をはじめとするこの時代の文人画家たちは不当に貶められていきます。以降、南画は衰微していくこととなります。

老山は1883年、52歳でこの世を去りました。老山没後にはこのような傾向は一段と強まり、近代の日本画は老山のような作風から意識的に遠ざかるような傾向を見せつつ発展することとなっていきます。日本画の転換期であった明治時代、老山や他の南画家たちはどのような思いでいたのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※買取価格は制作年、作風、状態などにより相場が変動いたしますので、
掲載されている金額は、ある程度の目安としてご参考にしていただけますと幸いでございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

北岡技芳堂では、絵画、掛軸、骨董品、刀剣類などの美術品全般を幅広く取り扱っております。
売却をご検討なさっているお客様や、ご実家のお片付けや相続などでご整理をされているお客様のご相談を承ります。
遺産相続に伴う評価書作成も行っております。

何から始めたらよいのか分からない場合も多いことと存じますので、
ご不明なことなどございましたら、まずはお気軽にご連絡くださいませ。
愛知県、三重県、岐阜県、静岡県を中心に、全国への出張買取も行っております。

【北岡技芳堂 名古屋店】
460-0018
愛知県名古屋市中区門前町2-10
電話:0120-853-860
営業時間:10時〜18時
定休日:日曜(出張が多いため、ご来店の際はご予約をお願いいたします)

#骨董品買取#骨董品#古美術#絵画#版画#茶道具#陶芸品#日本刀#彫刻#金#掛軸#現代アート

ツイッター facebook インスタグラム

電話でお問い合わせ

0120-853-860

フリーダイヤル受付時間

月曜日〜土曜日
10:00〜18:00

電話でお問い合わせ 0120-853-860

受付時間
月〜土曜日 10:00〜18:00
(受付時間 10:00〜18:00)

無料LINE査定 無料Web査定