二河白道の掛軸 | 北岡技芳堂

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2010年8月12日

二河白道の掛軸

善導大師の「観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)」に説かれている比喩で、今まさに往生せんとする人を阿弥陀仏が迎えんとする一種の来迎(らいごう)図です。
火の河・水の河を挟み、向こう岸は西方浄土、こちら岸はこの世の世界を示しています。

一人の旅人が、西を目指していました。もの寂しい広野に頼るべき人はなく、
群賊と悪獣がこの旅人が一人であるのを見て殺そうと襲いかかります。
旅人は恐怖のあまり西へ走ると、どこまでも、南北に続き、南には炎、北には
水の不思議な河にたどり着きました。
行く手は左に猛火に覆われ、右は荒れ狂う水の河がせまり、その境目には
わずか道幅十数センチの白道。火と水がぶつかり合い、向こう岸まで100m、
深さは、限りがありません。
この河に直面して、引き返しても、止まっても、前進しても死を免れない
「三定死」の絶望の極、まさに絶体絶命 !
しかし、西に進む決意をするとたちまち向こう岸よりかすかに自分を呼ぶ声。
ふと西岸を臨むと阿弥陀様。
「私を一心に念じ、こちらに来なさい。必ずあなたを護ります」と。
うしろからは「心を定め、行きなさい。決して災いはありません。留まれば死を待つのみです」
との声。振り返ればそこにお釈迦様。
また東岸の群賊たちはこの道が危険であって死ぬに間違いないから我われの所に
戻れと誘います。
さて旅人はどうしたでしょうか?。あなたならどうします?
・・・・・イエ!・・・この旅人こそまさにアナタなのです。

南には、火の河があります。この河は、怒り・憎しみの河です。
怒りと憎しみが、炎となって燃えています。

北には、水の河があります。この河は、欲の河です。
欲しがる気持ち、執着の気持ちが、大波となって荒れています。

釈尊の声
釈尊は、お経を通じて、この白い道を歩めと勧めていらっしゃいます。


またもや家の息子登場です。
元気に育ってもらいたいです。


作者略歴
木田華堂
(喜田華堂ともいう)は、享和二年(一八〇二)不破郡今須(現関ヶ原町)に生まれた。名は景静、字は伯壽、華堂のほか有竹石居、半舟翁とも号した。若くして京都に出て絵を岸駒に学ぶ。岸駒没後は岸良に就いた。のち二十年にわたり東国を遊歴、各地の名勝を写生し文人墨客と交わった後、嘉永(一八四八~五四)の初めに名古屋に至り廣井水車町に住した。
 気韻あふれる高雅な絵を描き、岸派の画家として世に認められた。桜花の絵が特に巧みであったという。門人も多く、のちに尾張藩主がその名を聞き、絵師の号を賜った。藩の命で名古屋城内を写生した作品も残されている。
 平素好んで経史を読み、詩文をよくした。早起きを好み、画作など一日の仕事の大半を午前中に済ませ、午後は客に接し、書を読むだけであったという。また、茶を嗜み、古器を愛し、風雅の友と交わった。栄利に淡泊で、絵を請うものがあっても潤料の多少を気にしなかったようである。
 晩年は煩を嫌い、居を尾頭橋の南に移す。絵を請うものも多くなったが、明治十二年(一八七九)七十八歳で病没した。
表装
北岡技芳堂製
古い裂で表装してあります。
北岡技芳堂お得意の仕事です。
浄土宗、浄土真宗のお寺の方や檀家さん一度見に来ていただけませんでしょうか。
ご来店お待ちいたしております。
古い掛軸は意味や言われを調べれば必ず面白い事がわかります。
また日本人ですのでこういう掛軸をかけて御もてなしをしたほうのがかっこ良いと思います。
こういう掛軸を床の間じゃなくても普通の壁に御洒落に掛けてください。
価格は250000円です。

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